中川輝光の眼

アトリエから見えてくる情景
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カール・ラーソンを知っていますか?

2007-03-31 | 本の紹介

カール・ラーソンを知っていますか?

カール・ラーソンは、片田舎の風景や子どもたちを好んで描いた画家です。アンデルセンなどの多くの童話に、挿絵を描いています。生まれはスエーデンですが、幼い頃から転々と住居を変えなければいけない生活をしていました。その生い立ち故か、田園生活にあこがれ、画家として自活できるようになると、すぐに田舎に移り、野菜や花を育てる生活を始めます。もちろん、家庭も大切にしました。そういった生活から、これら「やさしい絵」が生まれたのです。カール・ラーソンの水彩画は、線が明瞭に描かれています、これはおそらく印刷されること(効果)を意識したものと考えられます。これ以降の挿絵に、多大な影響を与えることになります。


絵本「水仙月の四日」の紹介

2007-03-30 | 本の紹介

絵本「水仙月の四日」の紹介

絵本「水仙月の四日」は、宮沢賢治のお話に鈴木靖将が絵をつけています。雪の降る山里に、雪婆と雪童子が美しい情景を描いていく。モノトーンの世界に繰り広げられるお話は鮮やかな色彩に満ちていて、次第に心を虜にしていきます。デザインのようにしゃれた絵が、この絵本にもう一つの魅力を与えています。

 


絵本「影ぼっこ」の紹介

2007-03-29 | 本の紹介

絵本「影ぼっこ」の紹介

絵本「影ぼっこ」は、サンドラールの詩にマーシャ・ブラウンが絵をつけて絵本にしたものです。アフリカのまじないや伝説をもとに、サンドラールが詩を書いた。激しく燃える炎を囲み、アフリカの子どもたちが踊る、「影」がさらに子どもたちを取り囲むように踊る。私たちの「影」は、その人にまとわりつくように表れては消える悪魔のように扱われます。不確かな存在に「おそれ」を感じてしまうのは、今も昔も変わりがありません。この絵本の魅力は、まさにそこにあります。日本の「祭りごと」もそうですが、儀式やまじないは理解を超えて伝えられます。目に見えない力が、そこにはあります。その力に、身をゆだねてみたり、惑わされないように目を見開いたりしながら、私たちは生きてきたのかも知れません。

 

 


 


鉱物は発想の源泉です

2007-03-29 | 美術を考える

鉱物は発想の源泉です

私のアトリエには、さまざまなコレクションがあります。これら鉱物も、そのコレクションのひとつです。岩や石のかけらは、色といい形といい見ていて飽きません。密かに絵の一部に取り入れたこともあります。取り入れたと言っても、削って入れたわけではありません。質感や色の変化(イメージ)を参考にしたのですが。もちろん、これらの鉱物は細かく(粒子)すれば、日本画の顔料になります。しかし、鉱物から顔料をつくれる人も少なくなりました。京都に数人いますが、天然の顔料はますます高価になります。鉱物にはエネルギーが潜んでいるように思います。美しいものです。

 


井上陽水とキース・ジャレットをレコードで聴く

2007-03-28 | 音楽を聴く

井上陽水とキース・ジャレットをレコードで聴く

昨日に続いて、今日もレコードをかけています。井上陽水のアルバム「氷の世界」「ライオンとペリカン」とキース・ジャレット「THE SURVIVORS SUITE」を聴く。この名盤はキース・ジャレット・カルテット最後のアルバムになります。


キャロル・キングとジョルジュ・ムスタキをレコードで聴く

2007-03-27 | 音楽を聴く

キャロル・キングとジョルジュ・ムスタキをレコードで聴く

久しぶりにレコードをかける。キャロル・キングとジョルジュ・ムスタキを聴きました。キャロル・キングのアルバム「つづれおり」「シンプルシングス」を、ジョルジュ・ムスタキは東京でのライブレコードを楽しみました。キャロル・キングのアルバムの中でも優れた2枚です、「天使の声」と言われる澄み切った声がアトリエに響きわたる。ジョルジュ・ムスタキの声はやわらかく、すべてを包み込むように流れている。レコードで音楽を聴くのは、本当に気持ちが休まります。「私の孤独」、ムスタキの代表作ですが、何時聴いてもすばらしい。


能登半島沖地震2(中日新聞記事から)

2007-03-27 | 文化を考える

能登半島沖地震2(中日新聞記事から)

石川県地方紙の記事は、連日「能登半島沖地震」の詳細を知らせる内容が続いています。私個人への、メールや電話での問い合わせもありましたが、ご心配して頂きありがとうございます。私の方は、同じ石川県でもかなり離れていますのでほとんど影響ありません。私の友人に輪島塗の職人をしている人がおりますが、制作途中のものがすべてダメになったと聞きました。こういった自然災害は、思わぬところにも影響するものです。これからは、お年寄りの精神的なケアも含めて、細やかな対応も大切になります。


能登半島沖地震(中日新聞記事より)

2007-03-26 | 文化を考える

能登半島沖地震(中日新聞記事より)

能登は、美しいところです。私もスケッチや釣りに、よく行きます。言うまでもなく、食べ物もおいしいところです。これまでは、自然からの恵みの多いところだと思っていましたが、この地震で状況は一変してしまった。避難している多くはお年寄りと聞き、つらさは一層増します。この地域は、観光以外に産業らしい産業がありません。過疎だから、地域自治体は、都市に住む人たちが嫌う原発や産廃施設をいやいやながら誘致するのです。過疎だから、お年寄りたちが一生懸命守ってきた集落がそこにあるだけです。そこを地震が、容赦なく襲ったのです。力の衰えたお年寄りに「もう一度がんばれ」と気楽に言えない状況がそこにはあります。今できる支援は、すぐにしなければならない。しかし、ここに日本が抱えているこれからの大切な課題があります。私たちは、少し立ち止まって考えなければならないと思います。「豊かな生活」って、はたしてどこにあるのだろうか。


伝承遊び・あやとり2(中日新聞記事から)

2007-03-26 | 文化を考える

伝承遊び・あやとり2(中日新聞記事から)

以前、このブログでとりあげた「あやとり」について再度書きます。私の若き頃、「あやとり」の造形的な美しさに魅せられて、抽象作品を制作するのにその要素を取り入れてきました。それで「あやとり」には人一倍愛着があります。以前取り上げたのは、「あやとりは日本独自の伝承遊びではなかった」を、このブログで伝えました。今日はこの記事にもあるように、「あやとり」のおもしろさについて書きます。左右の10本の指に操られ、抽象的な形が次々と変化する。そのスピード感と繰り返しのおもしろさが、「あやとり」にはあります。2人以上で遊ぶ時に、その魅力は際だちます。私が見ていたものは、その抽象的な形に、次々と具象的な名前が付いていくことです。橋や田・はしごなどは見たままですが、動物などはまさにイメージでしかないものです。「おりがみ」のようにイメージしたものに近づけていくものと違い、できた形にイメージを与えていくことに興味を覚えました。考えてみれば私たちの創作行為は、「おりがみ」のようでもあり「あやとり」のようでもあるのです。そうです、私たちの発想の多くは「遊び」から生まれるのです。