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中川輝光の眼

アトリエから見えてくる情景
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歌舞伎十八番『勧進帳』

2016-10-13 | 小松を歩く

小松市には、歌舞伎十八番『勧進帳』で知られる史跡『安宅』があります。子ども歌舞伎の指導に、先代市川團十郎さんがよく小松市を訪れていました。・・・その史跡『安宅の関』に特設舞台を組み、歌舞伎十八番『勧進帳』を公演することができれば・・・この『小松市の夢』が実現しました⇒http://www.勧進帳小松.com/。市川海老蔵さん(武蔵坊弁慶)と中村獅童さん(富樫左右衛門)、ふたつの鬼才が、名優競演が、安宅の地で観られることになりました。日本海から吹きあがる風を背景に、鍛え抜かれた『歌舞伎の美』に魅了されることになります。


ギャラリー『ソレイユ』さんを訪れました

2016-08-15 | 小松を歩く

八月は暑く、特にこのお盆前後は気ぜわしく、古い友人に会う機会も多くなります。わたしたちの仕事には、明確な区切りなどありません、ふたつみっつのイメージが頭の中を交錯していて、それはそれは収拾がつかないことも多いのです。こう言った場合の解消法は・・・ええ、わたしなりにあるのです・・・とりあえずその場から『逃げる』こと・・・ええ、『先送り』にすぎないのです。わたしが逃げる場所は想定以上に狭いのですが、ほんの一時ですが、ギャラリー『ソレイユ』さんを訪れました。

ここには、『多様な表現の試み』があります。画面に『詩情』があふれていたのは、横江昌人さんの作品です。『貝殻』は描いても描かなくとも、それ自体に詩情が内在しています。そういったモノを見つめることで・・・伝わる『詩情』とはいったい何かとふと考える時に・・・作品にひとつの意味が加わるのかも知れません。


大文字町子ども歌舞伎が「花道広場」で『曽我十二時揚巻助六の場』を上演

2015-05-09 | 小松を歩く

今年のお旅祭りは、昨年と同じように『曳山曳揃え』があります。13時には、花道広場に五基が揃います。15時には、細工町交差点を目指して、これら五基が移動します。この『移動』もひとつの見どころになります。細工町交差点で、『曳山八基曳揃え』が完了し、18時から京町子ども歌舞伎の上演が、19時から大文字町子ども歌舞伎の上演があります。


現在、大文字町子ども歌舞伎が「花道広場」で『曽我十二時揚巻助六の場』を上演しています。


レオナルド・ダ・ビンチにあやかってこの美しい夕日を『鏡面夕日』と名付けたのです

2015-03-23 | 小松を歩く

小松駅前れんが通り商店街、わたしたちは「180番街」と呼んでいますが、この大通りの夕日が美しいのです。

通り立つと、真東に小松駅、真西に本覚寺があります。ですから、春分の日と秋分の日には、本覚寺に太陽が沈むことになります。ところが完全に沈む直前、小松駅の方を眺めると、駅の大ガラスに夕日がそのまま反映しているのです。本覚寺の方向からの夕日と、小松駅からの夕日が、同時クロスしながら、小松駅前れんが通り(180番街)を赤く染めることになるのです。

 

わたしは、レオナルド・ダ・ビンチにあやかって、この美しい夕日を『鏡面夕日』と名付けたのです。小松駅前れんが通り(180番街)には、自然が織りなす『無償の宝』があるのです。


「龍生派いけばな展」(小松市民ギャラリールフレ)を観る

2013-11-16 | 小松を歩く

「龍生派いけばな展」(小松市民ギャラリールフレ)を観る

小松市内、わたしたちの古書店「月映書房」から歩いて行ける範囲(散策区域)は限られています。公園の入り口付近に、小松市民ギャラリールフレがあります。

どのような花でも可憐で優しい、そういったイメージがわたしにはあります。ですから、花はむやみに折ってはならないと思っています。花々を、時には木々の枝をも切ってしまう「生け花」を、わたしはいつしか「残酷な行為」と思っていました。花々にとって、最もきれいな姿のときに切られるのは、理不尽でせつないことではないかと・・・。若い頃のわたしは、あまり「生け花展」には行くことはなかったのです。

近頃は、知り合いに案内されることも多く、それとなく会場を訪れたりしているのです。

どのような花も、わたしは好きですから、その美しい「一瞬」を見逃さないように・・・。

生きる意味は、表現する側だけにあるのではありません、素材自身の美しさを理解することも大切なのかも知れません。日本における「華道」は、幽玄(生死の境界)の中にあってこそ美しいのかも知れません。

 


秋晴れのれんが通り

2013-10-06 | 小松を歩く

秋晴れのれんが通り

小松駅前れんが通りも、秋晴れです。

れんが通り「月映書房」は、12時(正午)にオープンする。このように爽やかな日は、サイクリング気分(自転車)で来ることにしています。小学校グランド横を通ると、子どもたちの歓声が聞こえてくる、運動会です。周辺には多くの車が、駐車(無断かな?)している。こういうのもいいものです、これぐらいの夢中(活気)は見ていていいものです。秋晴れのもと、子どもたちに夢中になる若い両親の姿はいいものです。

さて、わたしたちの店舗のある「小松駅前れんが通り」も、秋晴れです。

この通りにも、散策する親子の姿が見られます。

穏やかな1日です。これはこれで、いいものです。

 

 


「第2回宮本三郎記念デッサン大賞展」を観る

2013-09-28 | 小松を歩く

「第2回宮本三郎記念デッサン大賞展」を観る

金沢市には、美術館や画廊が多く、どこかで必ず展覧会をしている。わたしには、歩いて楽しい街のひとつですし、何より「青春期」を過ごした場所でもあり、想い出も多い。

比べて、小松市にはそういった施設が少ない。想い出と言えば、高校生の頃に「掟」を破って映画館に行ってたことぐらいです、その映画館も今はありません。今年の7月、わたしたちの新店舗を小松駅前に設置してから、できるだけ駅周辺をコンパス軸に歩いてみたのです。歩いても歩いても、わたしの好奇心が満たされることはありません。街には文化施設だけでなく、人々がそれとなく時間を過ごせるような場が必要です。小松駅周辺には、お寺が多く、古い街並みも残っています。しかしながら、街を歩いて楽しくならないのは、道のり(見た目)の変化にやや欠けることにあるのかも知れません。

どこでもそうですが、小松市役所や地域商店街も様々な取り組みをしています。週末のイベントにも、そう言った姿が見られます。何らかの「成果」があるのかもしれませんが、わたしにはわかりません。

「第2回宮本三郎記念デッサン大賞展」を観に行きました、市役所の近くに宮本三郎美術館があります。この辺りは、公園を中心に学校や図書館などがあり、小松市の文教地域になっています。宮本三郎さんの絵を集めた美術館ですから、規模としてはあまり大きくありません。戦後、石川県の多くの画家たちは、日展系(光風会・一水会)と在野系(二科会・二紀会)の4団体のいずれかに所属していました。宮本三郎さんは、二紀会の創設メンバーでした。画壇の重鎮というだけでなく、その描写力と華麗な色彩は比べようがないほどに群を抜いていたように思います。

絵描きにとって、「デッサン」という言葉には、明確な響きときわめて不明瞭な領域の、両面があります。美術系の大学に入る、あるいは入ってからの課題が明確なそれであり、イメージを作品にするためのスケッチやメモ(構想)までを指す(不明瞭な)場合もあります。いずれにしても、古今東西のすべての完成された作品には、そういった「デッサン力」の差違が少なからず見られます。多くの場合、優れた作品には、画家の要素としての「デッサン力」の優位性が確認できるのです。優れた作品が、誰にも好かれるとは限りません。この「デッサン大賞展」の審査員、横尾忠則さんの絵も山本容子さんの絵もわたしは好きです。わたしの古書店「月映書房」には、この二人の本が多い、文章もいいのです。しかしながらこの二人、「デッサン力」に優れているかというと・・・これは本人も認めていると思いますよ。わたしは、この会場では柴田高志さんの作品が最も好きでした。みなさんも観に来てください、歩いて楽しい街にするのは・・・わたしたちの心持ち次第ですから。


小松市れんが通りも今日1日は「国際通り」

2013-08-24 | 小松を歩く

小松市れんが通りも今日1日は「国際通り」

小松市れんが通りは、今日も賑やかです。

海外から来ている(滞在している)人たちと小松市民との、交流会です。

それぞれ育った文化は違うかもしれませんが、「楽しい場」をつくることに違いはありません。

通りを遮断すると、かなり広い場ができる、それぞれのテーブルから笑い声がきこえる。

子どもたちには、夏休み最後の「楽しみ」だったかもしれません。