中川輝光の眼

アトリエから見えてくる情景
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能登半島沖地震(中日新聞記事より)

2007-03-26 | 文化を考える

能登半島沖地震(中日新聞記事より)

能登は、美しいところです。私もスケッチや釣りに、よく行きます。言うまでもなく、食べ物もおいしいところです。これまでは、自然からの恵みの多いところだと思っていましたが、この地震で状況は一変してしまった。避難している多くはお年寄りと聞き、つらさは一層増します。この地域は、観光以外に産業らしい産業がありません。過疎だから、地域自治体は、都市に住む人たちが嫌う原発や産廃施設をいやいやながら誘致するのです。過疎だから、お年寄りたちが一生懸命守ってきた集落がそこにあるだけです。そこを地震が、容赦なく襲ったのです。力の衰えたお年寄りに「もう一度がんばれ」と気楽に言えない状況がそこにはあります。今できる支援は、すぐにしなければならない。しかし、ここに日本が抱えているこれからの大切な課題があります。私たちは、少し立ち止まって考えなければならないと思います。「豊かな生活」って、はたしてどこにあるのだろうか。


伝承遊び・あやとり2(中日新聞記事から)

2007-03-26 | 文化を考える

伝承遊び・あやとり2(中日新聞記事から)

以前、このブログでとりあげた「あやとり」について再度書きます。私の若き頃、「あやとり」の造形的な美しさに魅せられて、抽象作品を制作するのにその要素を取り入れてきました。それで「あやとり」には人一倍愛着があります。以前取り上げたのは、「あやとりは日本独自の伝承遊びではなかった」を、このブログで伝えました。今日はこの記事にもあるように、「あやとり」のおもしろさについて書きます。左右の10本の指に操られ、抽象的な形が次々と変化する。そのスピード感と繰り返しのおもしろさが、「あやとり」にはあります。2人以上で遊ぶ時に、その魅力は際だちます。私が見ていたものは、その抽象的な形に、次々と具象的な名前が付いていくことです。橋や田・はしごなどは見たままですが、動物などはまさにイメージでしかないものです。「おりがみ」のようにイメージしたものに近づけていくものと違い、できた形にイメージを与えていくことに興味を覚えました。考えてみれば私たちの創作行為は、「おりがみ」のようでもあり「あやとり」のようでもあるのです。そうです、私たちの発想の多くは「遊び」から生まれるのです。