中川輝光の眼

アトリエから見えてくる情景
paraparaart.com ArtDirector

古い新聞(1902年4月発行・パリ)ガヴァルニの「特集記事」

2015-04-27 | 文化を考える

ポール・ガヴァルニ:PAUL GAVARNI(1804年1月13日~1866年11月23日)の挿絵が多く掲載されている古い新聞です。ポール・ガヴァルニはペンネームで、本名はギョーム=シュルピス・シュヴァリエ。「ラ・モード」誌で挿絵を描き始めたのですが、この雑誌からバルザックにジョルジュ・サンドなど著名な作家もデビューしています。発表の場を「シャリヴァリ」誌に移し、しばらくして、自らが監修する雑誌を創刊することになるのです。知的でエスプリにあふれたガヴァルニの挿絵は、パリ市民にも愛されました。言うまでもなくこの「おしゃれな画風」は、わたし好みです。この新聞の名称は「社交界の人々の新聞」と言います。

ここに掲載した古い新聞(1902年4月発行・パリ)は、ガヴァルニが亡くなってずいぶん後の「特集記事」になります。日経新聞と大きさを比較するとわかりますが、ずいぶん大きい紙面になります。わたしたちは、世界の歴史や文化と無縁に生きてきたわけではありません、もう少し視野を広めることも大切かも知れませんね。


映画『ブリキの太鼓』の原作者ギュンター・グラスが亡くなった

2015-04-14 | 文化を考える

ギュンター・グラスが亡くなった。

絵と文が入り交じったメモを見たのが、わたしがこの作家を知った最初でした。映画『ブリキの太鼓』の原作者、ノーベル文学賞作家としても知られますが、ギュンター・グラスの魅力は『時代を見つめる眼』、行動する知識人としての存在感です。「フクシマ原発事故」にも、明確な言及をしています。わたしたちは、明確な理念を持った知識人(時代の誤りに警鐘を鳴らしてきた大切な人)を、また一人失った。世界は、更に混迷を深めていく。


『最後の晩餐』には多くの習作(スケッチ)が遺されています

2015-04-07 | 文化を考える

わたしは、24歳の頃に『最後の晩餐』を見ました。室内は暗く、画面はぼんやりしていて、あまり良くは見えなかったのですが、完璧なまでの画面構成と荘厳な舞台(演劇空間)を見ているような異質な感覚に圧倒されたことを覚えています。それから数十年後に、クリーニングされた『最後の晩餐』を見ました。その鮮やかな色彩に驚きながら、以前見たのと別な「異質な感覚」に圧倒されたのです。


この『最後の晩餐』には、多くの習作(スケッチ)が遺されています。そのせいか、このような話までが、まことしやかに伝えられています。
「 ユダのモデルにふさわしい人物」が地下牢にいますよと言われたレオナルドは、
すぐさまその地下牢に向かった。その人物の姿や表情に納得したレオナルドはすぐさまスケッチを始めた。しばらくして、「レオナルドさん、お忘れですか、わたしですよ・・・」と低く響き渡る声で、そう言った。 思わず手を止めて、 やつれ果てた囚人を見つめるレオナルド・・・。数年前、イエスのモデルをした修道士、その人ではないか。加えて、その囚人が、サヴォナローラだという「あまりにできすぎた逸話」が伝えられています。おそら「つくりばなし」でしょうが、哲学的な意味合いの含まれた(ありそうな)話だからか、当時も今もそのように囁かれています。

このサヴォナローラに翻弄され、大きな犠牲を払った芸術家がたくさんいます。正義感の強いボッティチェリもその一人です、再起できないまでに打ちのめされたと言っていいのです。宗教指導者には二面性があります、現在も「負の遺産」は続いていると言っていいのです。