中川輝光の眼

アトリエから見えてくる情景
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「第2回宮本三郎記念デッサン大賞展」を観る

2013-09-28 | 小松を歩く

「第2回宮本三郎記念デッサン大賞展」を観る

金沢市には、美術館や画廊が多く、どこかで必ず展覧会をしている。わたしには、歩いて楽しい街のひとつですし、何より「青春期」を過ごした場所でもあり、想い出も多い。

比べて、小松市にはそういった施設が少ない。想い出と言えば、高校生の頃に「掟」を破って映画館に行ってたことぐらいです、その映画館も今はありません。今年の7月、わたしたちの新店舗を小松駅前に設置してから、できるだけ駅周辺をコンパス軸に歩いてみたのです。歩いても歩いても、わたしの好奇心が満たされることはありません。街には文化施設だけでなく、人々がそれとなく時間を過ごせるような場が必要です。小松駅周辺には、お寺が多く、古い街並みも残っています。しかしながら、街を歩いて楽しくならないのは、道のり(見た目)の変化にやや欠けることにあるのかも知れません。

どこでもそうですが、小松市役所や地域商店街も様々な取り組みをしています。週末のイベントにも、そう言った姿が見られます。何らかの「成果」があるのかもしれませんが、わたしにはわかりません。

「第2回宮本三郎記念デッサン大賞展」を観に行きました、市役所の近くに宮本三郎美術館があります。この辺りは、公園を中心に学校や図書館などがあり、小松市の文教地域になっています。宮本三郎さんの絵を集めた美術館ですから、規模としてはあまり大きくありません。戦後、石川県の多くの画家たちは、日展系(光風会・一水会)と在野系(二科会・二紀会)の4団体のいずれかに所属していました。宮本三郎さんは、二紀会の創設メンバーでした。画壇の重鎮というだけでなく、その描写力と華麗な色彩は比べようがないほどに群を抜いていたように思います。

絵描きにとって、「デッサン」という言葉には、明確な響きときわめて不明瞭な領域の、両面があります。美術系の大学に入る、あるいは入ってからの課題が明確なそれであり、イメージを作品にするためのスケッチやメモ(構想)までを指す(不明瞭な)場合もあります。いずれにしても、古今東西のすべての完成された作品には、そういった「デッサン力」の差違が少なからず見られます。多くの場合、優れた作品には、画家の要素としての「デッサン力」の優位性が確認できるのです。優れた作品が、誰にも好かれるとは限りません。この「デッサン大賞展」の審査員、横尾忠則さんの絵も山本容子さんの絵もわたしは好きです。わたしの古書店「月映書房」には、この二人の本が多い、文章もいいのです。しかしながらこの二人、「デッサン力」に優れているかというと・・・これは本人も認めていると思いますよ。わたしは、この会場では柴田高志さんの作品が最も好きでした。みなさんも観に来てください、歩いて楽しい街にするのは・・・わたしたちの心持ち次第ですから。


みゆ(MIYU)が社長椅子を独占している

2013-09-22 | みゆ(MIYU)

みゆ(MIYU)が社長椅子を独占している

このブログにひさしぶりにみゆ(MIYU)が登場する。

みゆ(MIYU)が社長椅子を独占している。こうして眺めていると、この社長椅子の上が居心地がいいのかも知れない。わたしたちが、小松市の新店舗に行くのは午後ですから、その間は、このみゆが能美店舗の社長代理ということになります。


ロートレックのポスター

2013-09-22 | 美術を考える

ロートレックのポスター

古書店「月映書房」には、ロートレックのポスターが一番いい場所に置かれています。

好きな画家は多い、しかし、画家で優れたデザイナーは、ロートレックだけです。

どこがいいかですって・・・線ですよ線、躍動する線、適確なデッサン力に魅力を覚えるのです。

何よりも、酔っていようが気持ちが移ろいでいようが「おかまいなしの線」、自信がなければあれほど「生きのいい線」は描けない。なかでも、すごいですよこのポスターは・・・わたしは暇さえ在れば眺めています。

 


本の紹介・チェーホフ著「六号室」

2013-09-20 | 本の紹介

本の紹介・チェーホフ著「六号室」

チェーホフの「六号室」について、ちょっと想い出したのです。ですから、いつものようにこの本の内容については書きません。

わたしが中学3年生の頃、若い国語教師が生徒に「今読んでる本があったら聞かせてほしい」と・・・。何でもないこういった場面を、わたしは鮮明に覚えています。数人の生徒から、本のタイトルと内容について聞き、その先生が少し話を膨らませるというものでした。一呼吸置いて、クラス一の美女?(医者の娘)に聞くと、彼女は「源氏物語」と答え、読後感をさらりと言うのです。若い国語教師は、あきらかに不意を突かれたように、「そうかそうか・・・」と言い、明瞭な補足もせずに、何故か、即私の名を呼ぶのです。わたしは「チェーホフの六号室を読んでいます」と答える。すると、「チェーホフに六号室というのあったかな?」と言う。わたしはあわてて、「短編ですし、六号病室とか六号病練というのもあります」と言うと・・・「おもしろいか」と言われて・・・読み始めたばかりですし・・・教室の空気が少々重くなっているのを感じた。

わたしも既に「源氏物語」を図書館で読んでいましたし、中学生が読んでもさしさわりのない内容(源氏物語絵巻のような絵の多い)でしたし、医者の娘もそれを読んでいたのかもしれないと思っていたが・・・。

わたしは、美大を卒業し、即、地元の教師になりました。そこで、この国語教師に再会したのです。わたしは画家になりたくて、1年で教師を辞め、しばらくして他国へ行くことになります。さらに数年、事情があり、再度教師に復帰することになるのですが・・・地元に赴任したとき、この若い国語教師は教育長になっていました。ただただ、驚きです、まあこのようなものです世の中は・・・。何でもないことを、鮮明に覚えていたのにはそれなりの理由があるのです。


本の紹介・梅原猛著「隠された十字架」

2013-09-20 | 本の紹介

本の紹介・梅原猛著「隠された十字架」

多くの読書家がそうであるように、「広く浅く」から「狭く深い」領域に、いつしか傾斜していくようです。わたしの「古書店・月映書房」には、梅原猛さんの本が整然と並んでいる。20代の頃から継続して読んでいたのですが、この書棚を眺めながら、不思議な感覚にとらわれます。

中学・高校時代は、三島由紀夫・川端康成・谷崎潤一郎さらに亀井勝一郎を読んでいました、まさに「広く浅く」です。美大時代は、芸術・絵画論を軸に、これも「広く浅く」ですが、許される時間が多いこともあり「乱読」に近いものでした。「左翼」が主流の学内でしたから、マルクスも一通り読んでいました。わたしも「左翼」を自認していたのですが、マルクスの「芸術論」には違和感を覚えていました。

梅原猛さんの「隠された十字架」を読んだのは、文芸雑誌「すばる」で連載されていた頃ですから、大学を卒業してからになります。この連載を、待ち望んで読んだことを今も懐かしく想い出します。梅原猛さんが京都美大(現京都芸大)の学長になった頃に、わたしは友人の紹介でお会いしていたのですが、穏やかなその表情からはとうてい結びつかない内容に、驚かされたのです。それ以来、梅原猛さんの著作はすべて読んでいると言っていいのです。見つめる「眼」の確かさを、わたしはこの人に感じたのかもしれません。「古代史」をこれほどリアルに(生臭く)描いた人は、わたしは他に知りません。

梅原猛さんも高齢になられて、筆勢がやや衰え始めたのかもしれません・・・しかし、穏やかなエッセイもいいものです。


美しい「画集」の魅力

2013-09-17 | 本の紹介

美しい「画集」の魅力

絵画の本質を、わたしは「画集」から学んだ。

若い頃は、様々な「展覧会」に出かけ、多くの名作(ほんもの)を目にしてきました。国内だけでなく、海外にも足を運んだものです、優れた作品から直に学ぶことは大切です。確かに、20代のわたしが得た「表現力」は、そこで培ったものに違いないからです。しかしながら、空気感というか「時代感覚のズレ」というか、その作品が置かれている場と、それが描かれた時代状況がなかなか伝わってこないものです。多くの資料と「画集」が、その距離を縮めてくれるのですが、それでも何らかの「違和感」は残ります。その時代を生きる作家特有の「癖」というものが、周囲に「壁」のようなものをつくっているのかもしれないのです。

わたしは、きわめて美しい「画集」を何冊か手に入れた。このクリムトの画集も、その一冊です。ほんものにより近いことが、優れた画集の条件ですが、これは「ほんもの以上に美しい」、とにかく色彩が美しいのです。クリムトが優れたデザイナーであったことが、このコンパクトな「画集」から、見事に伝わってきます。そうです、ある程度時間をかけて、手元に置いて(身近な存在にして)じっくり眺めないとわからないのです、「本質」というものが・・・。すべての表現者に言えることですが、「本質」を外した表現ほどむなしいものはありません。「謎解きは画集で」と、わたしは若い人に言うことにしています。


ホルスト・ヤンセン(Horst.Janssen)が描く顔

2013-09-14 | 美術を考える

ホルスト・ヤンセン(Horst.Janssen)が描く顔

わたしは、ホルスト・ヤンセンの絵が好きで、気がついたら、この人の画集で書棚がいっぱいになりました(少々オーバーかな)。わたしだけでなく、日本人に好かれるのも頷ける、ホルスト・ヤンセンが最も好きな画家が葛飾北斎なんだから。「ヨーロッパの北斎」と呼ばれるくらいです、日本趣味に見える絵も実に多い。日本から取り寄せた「和紙」に描かれた作品も多く、つぎはぎ技法(日本画の下絵に使われる)なども見られ、表現力もなかなかなもの(優れているの)です。この人の描いた植物も好きですが、何よりも「顔」を描いた作品が、わたしは好きです。自画像を良く描くことでも知られていますが、それはすごいですよ・・・。

 


「テトラスクロール」が売れた

2013-09-10 | 文化を考える

「テトラスクロール」、アメリカ・マサチューセッツ州出身のバックミンスター・フラーが書いた不思議な本のタイトルです。魅力あふれる幾何学的謎を解く鍵、そのキーワードは「三角形」です、わたしがコメントを書くとすればこのように書いたかもしれない。わたしの古書店「月映書房」、書棚の奥の方に目立たぬように並べてあったこの本、売れることはないだろうと思っていた本、昨日売れたのです。定価2800円のこの本は、古書市場では5000円前後、うちの店では2200円でした(定価を超えて値をつけるのは難しいものです)。こういった本の価値は、金額ではありませんが、「お客さんいい買い物をしましたね」と言いたい。

わたしは、数学が好きです。幾何学には、パズルを解く時のような快感すら覚えます。バックミンスター・フラーには、数学者という一面だけでなく、思想家・構造家・建築家など様々な顔を持っています。ダイマクション三輪自動車、ジオデシックドームや立体トラスといった時代を先駆ける構造提案も数多く、「宇宙船地球号」の概念は日本でも広く知られています。「デザインサイエンス革命」を提唱し、予想しうる地球規模の課題解決に一石を投じました。このような地球的な視点を持った数学者の本には、一風変わった魅力があるものです。

このような優れた本は、できるだけ多くの人に読んでいただきたい。

 


本の紹介・ジョルジュ・ムスタキ著「私の孤独」

2013-09-01 | 本の紹介

本の紹介・ジョルジュ・ムスタキ著「私の孤独」

わたしたちの店舗(古書店)では、常にBGMで音楽を流している。グレン・グールドやキース・ジャレットのピアノ曲が多い、ほとんどがクラシックになります。並んでいる本を眺めている客の気持ちに、最も触らない「穏やかさ」がいいのです。アニメ制作の仕事にも、クラシックは合うように思います。

わたしの個人的な好みから言えば、ジョルジュ・ムスタキがいいですね。ジョルジュ・ムスタキは、ジョルジュ・ブラッサンスから直接シャンソンを学んでいます。この2人は、フランスの心を最も大切に歌っていると言えます。囁くように歌うその歌詞は、叙情的で美しい。

ジョルジュ・ムスタキが自らの生い立ちを含めて、歌に込める気持ちをこの「私の孤独」に吐露しています。