昨日は三重県主催の「平成18年度戦没者追悼式典」が津市の県総合文化会館で開催され、出席をした。
この式典は毎年、この時期に開催をされているもので、県内各地から戦没者ご遺族関係者の方々や遺族会や各種関係団体のご代表の方々にご参加いただき、ご英霊のご冥福を祈り、併せて平和への誓いを新たにすることを目的としている。私ども戦後生まれの戦争を知らない世代の一人としても、歴史を振り返り、先の大戦の意味を考え直す絶好の機会でもある。
この日も朝から豪雨。その降り荒ぶ雨の中を、遺児と謂えども既に戦後61年・・・それ相応の歳をめされた方々が県内のソレゾレの地区から集まって来られている。大ホールは満員である。
開会の辞、国歌斉唱、黙祷に続いて知事が式辞を述べた。型どおりの内容ではったが、例年に比べてナントナク心に沁みるのは、北朝鮮のミサイル発射問題などわが国を取り巻く環境が、ドコとなくきな臭くなっているからか?いずれにしても「戦没者」と言う言葉が単に過去の「言葉」ではなく、現実に起こりうる可能性のある「言葉」として感じられるのは私一人であろうか?
県遺族会会長や国会議員代表の皆さんの「追悼の詞」があった後、参加者代表による献花となった。
知事や国会議員の献花に続いて県会議員もソレゾレの思いを胸に裁断に花を捧げる。私も厳粛な気持ちで献花をした。
県会議員が終わると、今度は各市町遺族会の代表の方による献花である。「○○市ご遺族ご代表」と呼ばれては献花台に進んでいくのであるが、市町村合併によって、ついこの間までは69市町村あったものが、29市町になってしまっている。時代の流れとは言え、ずいぶんと少なくなったなあ!との思いが寂しさとともにこみ上げてきた。
偶然とは言え戦没者追悼式典が挙行された同じ日に靖国神社のA級戦犯合祀問題に対する昭和天皇のお考えが、当時の宮内庁長官のメモで明らかになり、その内容が報道をされ、イロイロと波紋を呼んでいる。
遺族の方々の考え方や思いも様々であろうが、国のために斃れられた「戦死者」をおまつりすると言う「靖国神社」の原点に立ち戻るとき、少なくとも「戦死」されていない方々も一緒におまつりするのは如何なものか?と思います。
いずれにしても歴史や戦争など色んなことを考えさせられる「戦没者追悼式典」でありました。
この式典は毎年、この時期に開催をされているもので、県内各地から戦没者ご遺族関係者の方々や遺族会や各種関係団体のご代表の方々にご参加いただき、ご英霊のご冥福を祈り、併せて平和への誓いを新たにすることを目的としている。私ども戦後生まれの戦争を知らない世代の一人としても、歴史を振り返り、先の大戦の意味を考え直す絶好の機会でもある。
この日も朝から豪雨。その降り荒ぶ雨の中を、遺児と謂えども既に戦後61年・・・それ相応の歳をめされた方々が県内のソレゾレの地区から集まって来られている。大ホールは満員である。
開会の辞、国歌斉唱、黙祷に続いて知事が式辞を述べた。型どおりの内容ではったが、例年に比べてナントナク心に沁みるのは、北朝鮮のミサイル発射問題などわが国を取り巻く環境が、ドコとなくきな臭くなっているからか?いずれにしても「戦没者」と言う言葉が単に過去の「言葉」ではなく、現実に起こりうる可能性のある「言葉」として感じられるのは私一人であろうか?
県遺族会会長や国会議員代表の皆さんの「追悼の詞」があった後、参加者代表による献花となった。
知事や国会議員の献花に続いて県会議員もソレゾレの思いを胸に裁断に花を捧げる。私も厳粛な気持ちで献花をした。
県会議員が終わると、今度は各市町遺族会の代表の方による献花である。「○○市ご遺族ご代表」と呼ばれては献花台に進んでいくのであるが、市町村合併によって、ついこの間までは69市町村あったものが、29市町になってしまっている。時代の流れとは言え、ずいぶんと少なくなったなあ!との思いが寂しさとともにこみ上げてきた。
偶然とは言え戦没者追悼式典が挙行された同じ日に靖国神社のA級戦犯合祀問題に対する昭和天皇のお考えが、当時の宮内庁長官のメモで明らかになり、その内容が報道をされ、イロイロと波紋を呼んでいる。
遺族の方々の考え方や思いも様々であろうが、国のために斃れられた「戦死者」をおまつりすると言う「靖国神社」の原点に立ち戻るとき、少なくとも「戦死」されていない方々も一緒におまつりするのは如何なものか?と思います。
いずれにしても歴史や戦争など色んなことを考えさせられる「戦没者追悼式典」でありました。
もう少し助言なりアドバイスできなかったものでしょうか
アレではアーなります