風のように

ゆらり 気ままに 過ごすとき
頭の中は妄想がいっぱい
錯覚の中で生きるのが楽しみ

虐待

2019-02-15 09:57:00 | こころ
虐待だとかDVだとか
愛する家族をおどし傷つける

日常的に虐待を受ければ
それはもう恐怖でしかない

悪いことをして
叱られるのではない

叱るほうのイライラや不満の
捌け口でしかない


そういえば
その昔

茄子の切り方が悪い
こんなもの食えん

味噌汁に入れた茄子の銀杏切りが
気に入らなかったらしい

夜泣きする赤ん坊を泣かすなと言う
抱っこしておんぶして

やっと寝かして布団に寝かすと
また泣き出す

そんな赤子を膝に抱いて
うつらうつらと共に寝る

夫の場合は文句を言って
そこら止まり

不味いと言って
暴れるわけでない

うるさいと言って
赤ん坊に手を上げるでない

でもそれだけで
DVの要素はあるのだろう

茄子はこう切ってほしいなあとか
子供はミルクがほしいんちゃうかなどと

言いようがある
夫を怒らせるのは

お酒のみすぎ
タバコの吸いすぎ

パチンコしすぎ
スナック行き過ぎなどと

夫をなじり
拳をあげさせた

けっこう
DVの要素は備えていた夫のことは余談

あっちの世界に逝って9年
私は相当しつこい


要するにDVとは例えば茄子の切り方が
どんなであっても気に入らない

それは口実でしかないのだから
部屋に飾られたのが薔薇だから

気に入らないのでなくて
カーネーションだとしても

気に入らないのであって
その時はそこにあるものがなんであっても

目につくものが
イライラの口実になる

大切な妻や子に
手をかける

ああ最低
最低最低

妻や子は自分の所有物
人格なんて認めない

それでも大切なのだ
だから何々してやっている

自分のお陰でお前たちは
暮らせていけるのだなどとうぬぼれて

大きな大きな勘違いをする
そうすることでなんなのだろう

自分が偉く見えるのだろうか
ストレスの発散になるのだろうか

そんなことをすればますます
妻や子の心までが遠退くことが

わからないのだろうか
それでも被害者は逃げ出せない

激情がますますが増していって
コントロールがつかなくなる

そうなるともう加害者自信
止められない

DVする人の性格を正さなくて
DVが無くなることはない

DVとは

切り捨て御免などと言った
封建時代のわがまま気ままな武士の

名残なんだろうか
身を寄せ会って生活していた

農民の暮らしにDVがあったとは思えない
加害者の心が弱いがゆえに

わがままに権力を奮う心の貧しいものが
多分にDVの要素を持っているような気がする

悲しいそんな加害者の性格を修正するには
どんな方法があるのだろうか

自分を見つめ直す
自分の行動を客観的にみる

報道されるDV事件で
自分がいつ加害者になってもおかしくない

妻子に取り返しのつかない事をして
自分は犯罪者になりかねないと

おそらく冷静なときは
身につまされているかもしれない

DVに走らせる感情を
コントロールできるなら

自分の気にいらない行動をとるのが
妻子ではなくて

自分のわがままな感情だと気づき
おさえることができれば

家庭に平和が戻る
子供たちもおどおどしなくてすむ

子供が子供でいられる
両親を好きでいられる

そんな日が来るように
DV加害者を排除するのでなくて

更正に導くことができないのだろうか
気軽に相談できる場は無いのだろうか?



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