グミの実のお味

私はグミの実を食べたことはありません。こちらは双極性障害の主婦、グミの実のブログです。

大掃除、縮減

2011-12-29 14:11:30 | Weblog
12月に入って、もういい加減に躁転の心配は控えてもいいだろうと日常にシフトした。
しかし、思いのほか忙しい。これまでのしわ寄せで細々した用事をこなす毎日に。
スポーツクラブにお金を落としているのに1度も行けなかった。
なんとなく運動出来ず、エスカレーターを使わず階段にする程度のことも面倒に。
せっかく、セロクエルが減ったのに、体重はほぼ横這い。当たり前か。

カレンダーに毎日のように予定が書き込まれ、なるべく休み休みやったけど、私にとっては結構な労働。
そして、師走のメインイベントである大掃除にたどり着いた。
ターゲットは、台所と天井周辺である。
椅子の上から目視にて確認すると、白みを帯びた灰色のほこりが積もって固まっている。
触りたくない。雑巾でふく作業がどうにも想像できない。きったないことこの上ない。

しばし、茫然としたがクイックルワイパーで粗方のほこりを取ってみることにした。
これが大正解であった。この作戦で天井付近は済ませることに決定。
ほこり達は、床に落ち、濃縮されて黒っぽい灰色の筋に固まった。
この状態になると、素手でつかんでゴミ箱にポイポイ放りこみ、汚れたクイックルペーパーでまたかき集めゴミ箱へ。

次は、年に1度の冷蔵庫下とのご対面である。
毎回驚くようなものが発掘されるが、今年はねずみ(猫のおもちゃ)とカリカリ(猫のドライフード)程度だった。
冷蔵庫を移動すると、食器棚の裏が見える。こここそ手つかずになりがちだが、クイックルで一応掃除しようと思った。
が、隙間が狭すぎて、ワイパーが入らないのである。
そこで、柄の部分に巻きつけて入れるとほこりがなんとか取れた。よかった~。
と安心したところで、柄を引くとペーパーが抜けて食器棚の裏に引っかかってしまった。これはまずい。
今度は、柄にペーパーをしっかり巻きつけ、さらにセロテープをぐるぐる巻きに止めた。
こうして、壁から5cmほどの隙間に、腕も顔もおかしな角度になりながら取りだすと、もういいでしょうとなった。
冷蔵庫の上を雑巾で拭き、冷蔵庫の下を雑巾で拭き、ついでに台所全体の床全体を拭き、もうきりがないとなった。
雑巾は、ひさしぶりにみるほどの汚れで、バケツの水は真っ黒。何度も取り替えたが、あまりに効率が悪く、雑巾総動員であった。

一区切りついて、換気扇の下でタバコを吸いながら、一番の大物である換気扇掃除はプロに頼もうと決意。
ふと、食器棚に目をやると、結構汚れていることに気付いた。やるのか、見なかったことにするか。
こんな風に気づいた順にやっていてはきりがない。でも、最小の力でやることにした。
濡れ布巾で拭く、それだけで済ませるのだと心に誓い、また椅子に上った。
近づいてみると、やはり汚れている。でも、急いでおまけ位の掃除に留めた。
椅子から降りると、中間であるレンジなど置くスペースの奥などに目が行った。またしても、ほこり!
瞬間的に手順が閃き、ばばばばっと拭き、なんだかすっとした。

今年の締めは、シンク前の出窓のカビ退治にしてみようと、消毒用アルコールを出し、出窓とシンク上の物をすべて移動。
物が無くなってみて分かるのは、いかに広いかといかに汚していたのかだ。
予想以上に汚くて、窓のカビがひどい。出窓は30cmほどだが、四つん這いになって上り、アルコール噴射。
アルコールが乾くまで、雑巾やキッチンマットを洗濯し、ようやくコタツで休んだ。
大掃除、なんて大変なんだ。やっても、あと1日で終わりにしようと深く思った。

アルコールが乾いて、死んだカビを除去するため、真っ黒になる雑巾をうまく使い、窓ガラスを開けるとばったり知人に会った。
会ったというか台所から見下ろしている形なのだが、なんせ幅30cmスペースに四つん這いの格好なので恥ずかしい。
その知人は、引っ越すのだとか。変な格好でも会えてよかったかな。
窓が終わると、今度はジフだ。シンク面をクレンジングする。
ジフは98円のくせに大活躍。ガスコンロ近くなんて鏡のように磨きあがった。ジフ、ありがとう!

翌日は、年内最後の通院であったが、筋肉痛になった以外、特に報告することもなかった。
トリ先生も冗談なんか言っているし、診察時間は3分ほどだった。
通院する日は、喫茶店などに寄るのだが、寒いので一番近い店へ。
帰りにデパートで、帰省土産にとらやの詰め合わせを買った。
双方の家に糖尿病患者がいるので毎回悩むのだが、高級感のある甘いもの少量ならいいかと。
あと、羊羹に一口サイズがあって、賞味期限が1年で、そのうえ賞味期限を過ぎてから1年までは食べられるとか。
砂糖が多いがゆえに保存期間が長いのだが、一口サイズ羊羹は130kcal程度で炭水化物も30gほど。
ところで、炭水化物って糖質と食物繊維を合わせた量であることを初めて知った。

なんだか疲れてしまって、次の日は昼まで寝ていた。
面倒に思いながら、掃除機をかけたり布団をほして、洗濯をした。
もう、大げさに掃除するのは止めて、普段の家事の延長程度に。
家じゅうピカピカでなくても、少し気分がいい。
ただ、炒め物を作るのは躊躇した。油が飛ぶから。

さて、福の神は来てくれるかしら。

3度目だったのか

2011-12-20 21:31:35 | Weblog
先日、ボランティアで小学校デビューした。
そして、帰ってきてしばらく凹んだ。
かわいい子どもたちを目の前にして、言葉に出した途端に信じられないほど緊張してしまったのだ。
心臓の鼓動があまりにも激し過ぎて、でも話を中断することも出来ず、堪えながら必死で語った。
しかし、緊張がなかなか納まらない。思ってたより長過ぎるではないか。

それでも、子どもらは私の目を見て話をきいてくれている。
それに応えたいのに、話を続けることや無事終えることしか考えられなくなった。
鼓動が落ち着くと、今度は足がガクガクし始めた。しかも、尋常じゃないくらい。
でも、誰一人として、子どもらは、私の足なんか見ていない。
本当は、一呼吸できるチャンスになるかと願ってしまったくらいなのに。

今までたくさんの子どもたちと関わってきたし、集団の中で発言するのも苦手ではなかった。
いつまでもいつまでも落ち着かない自分に、私自身が驚いてしまいそんな自分が信じられなかった。
次第に、子どもたちの目だけが鮮明に見えて、そうでない子を探したが皆違う子ばかりだというのに同じ物の様に見えてきた。
数列に並んで体育座りしている子どもたちが、無機質な塊にギョロギョロと目ばかりたくさん付いている物に思えたのだ。

子どもたちを目の前にして、こんなに緊張するなんて初めてのことだ。
よく、あまり親しくない人からも「本当に初めてなの?堂々として驚いた」と言われてきたんだけど。
電話対応だとか挨拶だとか発表だとか、それらと何が違うというのだ。

私は、なんとか語りきったが終わってくれたことにだけに安堵した。
でも、最後まで他の人の語っているのをきいたり感じたりして、すっかり元気を無くした。
手際良い先生が私の語った学年の感想文を持ってきた。
読む前に分かっていたことだけど、私のがいいって思った子はいなかった。
分かっていただけに、少し期待していた自分が砂のように風にさらわれていった。

帰りにノンアルコールビールを買い、昼間から飲んでみた。
考えれば考えるほど、悲しかった。
もう何も考えたくなかったが、夫から「そういう時は、好きなもの買ってきな」とのメール。
え、好きなもの?何にしようかなーっと考えたら、なんだか気分転換になった。

図書館へ本を返して、何か借りて、大きなスーパーで工具を見て、食材を買おう!!
というように、早い展開で私の心はルンルンになった。 夫よ~、ありがとうっ。

帰ってきた夫に、感謝の辞を述べ、私の考え方のパターンなんぞを話してみた。
そんな風に考えていったら大変だよね、アハハハって笑われた。
気持ちが軽くなったので、他の出来事の考え方も話し、同じ立場だったらどう切り抜けるかを聞いてみた。
すると、私が5,6年かけて考えるようなことでも、夫だと立ち止まってから3歩くらいで切り返えるといった具合。
この楽観性や発想の転換は、本当に見習いたい。ってか、なぜ未だに手に入らないのか不思議だ。

タイトルの「3度目だったのか」について。
数日して、私は同じような出来事を思い出したのだ。

あれは、小学校6年生の春。
入学してきた1年生に歓迎の辞を述べる役割になって、散々添削された作文を壇上で述べることになった。
もう後は間違わずに読むだけだと落ち着いていたのに、話し始めた途端、たくさんの目が私に注がれて鼓動が早くなった。
でも、途中から顔を上げると、1年生プラプラ動いている足に気づき、そんな子がたくさん見えてきた。
ああ、こんなに小さい子に私は話しているのかと微笑ましくなり、それからはリラックスして読み上げることができた。

その前は、小学校4年生の冬。
当時、児童会選挙というのをやっていて4~6年生の前で演説することになっていた。
クラスの人の応援があまりに純粋で、ちゃんとやらなきゃ申し訳ないなと思うのだが、すごく嫌だった。
当日は、担任の先生が体育館の後ろの方で左右に移動するから顔(目線)を左右に動かすように言われた。
壇上で原稿用紙越しに黒い頭がたくさん見えたとき、ギョッとして視界に体育館全体をいれてしまった。
もう、そこからドキドキドキドキ…、原稿用紙しか見ないで読んだ。
終盤になり、ふと先生のことを思い出し探してみると、先生は体育館の後ろの方で正座していた。
あれ何でかなと思いながら、私が後ろを見れなかったからかと気づき、はずかしくなりながら和んだ。

つまり、気を抜いて集団の前に出ると、話し始めた途端に緊張してびっくりするのは3度目なのだ。
教訓は、緊張しても、和める視覚的な映像を探しさえすれば、途中から持ち直せた過去を忘れぬこと。
3度目も、終わって振り返るとなつかしくなるやさしい過去にしていきたい。

治らない治療費

2011-12-14 08:32:36 | Weblog
まだ経過的措置の発表がない。
高い薬もたんまり飲んでいるのというのに、どうするんだ私。
でも、あれの理由を読んでみたら、仕方ないと思ったのだった。
だけど、数字的な問題は放っておけない。

それで、計算することにした。
現状では、精神科、眼科、甲状腺科の3つに定期通院している。
さて、合算ではどうなるでしょう。
細かいことは考えず、ざっくりした月額を以下に公開。

【現在の月額医療費】
・\6.160 (精神科:1ヶ月に2回通院)
・\2.440(眼科:1ヶ月)
・\1.203(甲状腺:3ヶ月分を1ヶ月に換算)

合計.\9.803-

【あれ後の月額】
・\15.300
・\2.440
・\1.203

合計.\18.943-

あれになると、合計した月額医療費は2倍あるよ。
年額にすると、¥227.316だ。
これは、間違いなく医療費控除になるな。

しかし、今年は控除にならないだろう。
私が間違えて、1~3月分を処分してしまったのだ。
それに、少ない薬で済んでいた時期もあったし。
でも、医療費は個人単位でなく一緒に住んでいる家族も合算していいらしい。
それならば、もしかすると10万円に達するかもしれない。
でも、返ってくるのは差額の10%なのだ。計算はするけど。

しかし、新しいプランがある。
新薬はやめちゃえ作戦である。(正しくは、減らしてみる試み)
これで計算し直すと、ぐっと減るんじゃないか?!ムフフ、と薬剤師さんに頼んで計算してもらった。

【あれ後の月額・新】
・\8.900
・\2.440
・\1.203

合計.\12.543-

こうすると、あれの後から¥6.400安くなる(年額だと¥76.800の差)。
現状と比較しても、月に¥2.740多く支払うだけだ。
ああ、これなら大丈夫。

取らぬ狸の皮算用は、これにておしまい。

南の空に

2011-12-11 17:41:35 | Weblog
11年ぶりの好条件下の皆既月食だった昨日。
南の空のオリオン座の上辺りで、時間は21:45~23:05までだと聞いていた。
忘れないように、冷蔵庫のホワイトボードにでかでかとメモ。
ベランダに風よけのコタツカバーまで干して準備万端。(あまり風はなかったけど)

さあ、始まる!と21:45にベランダに出ると、もう欠け始めているでいはないか!
隣の夫は、見上げて一言「お~、欠けてきたね」とそそくさと部屋に戻った。
公園に一家族月食を見に来ているようだが、意外と関心薄い地域なのかな。
私も部屋に入った。
夫と追っかけ再生でベムをみていたが、気になって仕方がない。
夫には、10分ごとにみたい(から再生止めて)と言っていたが、やっぱり一人でみることにした。

薄曇りなのか、低い位置にもやがある。月はみえているのだから、排気ガスなのか。
1度、ガラッと窓があく音がして、「わー、ほんとだぁ!」と声が聞こえたが、すぐにガラッと帰っていった。
南向きの真上方向を見上げると欠けて行く満月がある。オリオン座の星は2つだけ。
真上を見ながら、乱視で彩光が邪魔するので、夜だけどコンタクトにしてきた。
静まりかえる住宅街と公園にたった一人のように感じた。
あと少しだけと見ていた、もうすぐ半分になる。
たしか、満月の南中高度は90度だった。
それには少し早いけど、ベランダに身体を預けて、上の階のベランダすれすれから月を見上げる。
そろそろ首が痛い。オリオン座に目線をおろしてしばし休憩。あ、3つ見える。

休憩に部屋に戻って、コタツで暖を取る。
そして、またベランダに戻った。
もう半分以上欠けている。今度は脚立に座って、ダウンコートの襟を引きよせ、少し楽な姿勢に。
相も変わらず、顔は真上なのであるが、固定するとふらふらするより楽だった。
三日月くらいになったら夫を呼ぼうと思っていたが、自分から来てくれた。
が、またすぐ戻ってしまった。でも、いい。こういうのはうっとり見たいから。
ああ、なんだか、指にはめた指輪が光っているようだ。

少しすると、まだ月食が欠け切っていないのに、赤い月が見え始めた。
赤というより卓球のボールのオレンジ色に近いのだが。
月が赤くなるとは聞いていたが、月食が終わるより前に起こるなんて知らなかった。
さっきの指輪、みておいてよかったと思った。あれが一番キレイだったから。
月食の終盤、空は見事に晴れて、オリオン座もその他の知らない星もたくさんみえた。
ああ、やっぱりいいなと言葉にならない気持ちになった。
今日という日に、こうして皆既月食に立ち会えてよかった。
10年ほど前のしし座流星群を思い出す。あの時は真夜中で毛布を頭からかぶっていたっけ。

天体観測は、寝転んで感じるように見るのがいいらしい。
望遠鏡を覗きこむのは知らないが、母の実家でみた星は圧倒されたなぁ。
ここは、きれいな空気とはいえない土地だけど、さすがに11年に1度の好条件だった。
お風呂に入り直して、入念にストレッチをして、ゆっくり寝た。

まだ用心、慎重に

2011-12-07 12:50:02 | Weblog
昨日は、精神科クリニックの通院だった。
前日に、少し高めなような気がして、社会リズムの記録など見直したり、何か特別なイベントなどあったかなど
振り返って、ワードで文章化してみることにした。

しかし、余計にこんがらがってしまい、途中まで書いて止めた。 

久しぶりに家族以外の人に会えば嬉しくなるのは、私にとって普通だ。
ボランティアの会で勉強抜きで会食する話になって、自分が調べると立候補したが、これも自然の成り行き。
優先順位で4つの要望を聞いたが、すべて適うお店が見つからず、ネットでしらみつぶしに探したら、近いもので
10件以上の候補が見つかった。

一応、その中の3件をメインに考えていたが、他の条件にシフトしても探しやすいように、エクセルで一覧表を作成した。
エクセルは、私にとって、ただの表でも一発で作れるようなものではなく、何度も修正して3時間もかかった。
でも、完成したら、自画自賛でとても見やすい表に出来た。もちろん、達成感あり。
帰ってきたSE勇者の夫に見せると、これはキレイで見やすいねと褒められ、また嬉しくなった。
次のボランティアの会で、候補店のリストですと、みんなに配ったら「うわー、すごい!」と言われ、またまた嬉しかった。

人から褒められるのって、こんなに嬉しいんだなとホクホクして、私の機嫌はよくなった。
近所の眼科へ通院した帰り、ネットの情報で不明点の多かった近くの候補店へ下見がてらランチを食べに行った。
ここは、まさしく条件に見合って、他にもかなりメリットの大きい、一押しの店だと判断し、予約をいれた。
前日までなら、キャンセル出来るし、押さえていても悪いことは何もないはずだと。
次の定例会で話したら、きっとみんな気に入るだろうし、その先でも集まりやすいんじゃないかと、また嬉ししかった。

だけど、そんなことをしていたら、夕方から疲れて仕方がない。
夫は、胃炎が悪くなるし、胃に悪いような食べ物が食べたいと文句をいうし、風邪を引いて早退してくるし。
胃カメラの結果を一緒に聞いたが、夫は先生の話を聞くだけで、私がいくつか確認したら、やはりFDだった。
そして、夫にも分かるように、胃カメラでは異常は確認出来ない神経性の胃炎ですと話してくれた。
たばこやアルコールが一番悪いこと、薬を続ければ日常生活に支障はないので、まだピロリ菌除去の段階でないこと。
あと、人間の身体で、一番神経が多いのが脳で、次が腸、三番目が胃なのだとも説明してくれた。

帰ってから、一緒に禁煙治療してみるか聞いても、そんなの分からないと言われた。
続いて、治るならさっさとピロリ菌の治療をしてくれればいいのにと不平をもらしてきた。
あんなに丁寧に先生が説明してくれたのに、ほとんど理解できてないようでショックだった。
私が、先生の話してくれたことやピロリ菌のことを詳しく平たい表現気を遣いながら説明すると、
ピシャリと「もう聞きたくない!放っといてくれ」と嫌がられ、またショックを受けた。

それでも、消化のよい食事を中心に、少しずつ普段の食事へと献立を苦労しながら作った。
それなのに、「あ~あ、牛肉食いたいな。脂っぽいもの食べたいんだよ、俺は。」なんて言ってくる。
早く帰って来た日は、「今日、夕食何時?」攻撃。 休みの日なんて、お昼から聞いてくるのだ。
そして、献立内容を伝えると、返ってくる言葉が大抵は「なぁんだ、魚か」みたいな期待はずれの声。
自分が責められているようで、それでもその人のために作るのにと、悲観的に作業するのが疲れてもう嫌になった。

その日を境に、朝起きられなくなった。正確には、眠気が昼までとれない状態。
ようやく頭が起きて、慌てて用事をこなし、夕方には疲れ果ててしまう。
疲れたなぁ、でも、あと少しだから頑張らなきゃ…。 必死で心を奮い立たせる。
あれ、これって前の躁転のときも、その前のときも、いつもこんなこと考えていたなと気づいた。
私は疲れているんだと夫に言っても、俺は今病人なんだ早くしてくれと気づいてくれない。
でも、ここで踏みとどまらないと、危ないのだと自分の身体が教えてくれている。

「あのね、病病介護は出来ないの。私、すごく疲れているの。もう休みたいんだよ。」
と言って、夫の寝ている布団にズサッと滑り込んだ。心底疲れていた。
「じゃあ、一緒にテレビみようよ。ほら、美味しそうだよ」と笑顔で言われた。
噛みあってないけど、テレビをみてみた。自分が馬鹿馬鹿しくなり、目をつぶった。
「もっと、がんばれ」と夫が優しく言う。「もう、がんばれない。動けない」と私。
でも、台所と寝室を行ったり来たりしながら、何とか夕食ができた。
美味しいと言われると、よかったと思う。 でも、それだけ。 パワーはみなぎらない。

でも、お昼過ぎの自分は元気で、ちょっとやり過ぎかなと思うと予定を修正してやめている。
急に予定を入れ過ぎてハイペースになり、身体が追いつかないのかもしれない。
疲れると感じることは幸いであるし、朝起きられないのも恵まれた状態なのかもしれない。

次回、通院は1週間後。
頓服で、セロクエル100mg。
トリ先生は、もうセロクエルが十分効いているはずなんだけど、う~んと不思議がっていた。
私も、まだ軽躁が続いているとしたら、あまりにも長すぎだと思う。
でも、「これはヤバい」という感覚は無視できないので、そして年末年始も近いので慎重に構えたい。
私の脳みそは、一体全体、どうしちまったんだか。
何が普通で、何が異常なんだろ。 片足セーフとかってあるんだろうか。

他人の解釈を楽しむ

2011-12-05 13:41:54 | Weblog
図書館でいらなくなった本をくれる(リユースと言うらしい)。
この間も小さな段ボール1箱分くらいの本が並んでいて、私としては珍しく持ち帰ってきた。

「灰谷健次郎を軸として現代児童文学の課題」 竹長吉正著 右文書院 (1990年)

灰谷健次郎といえば、兎の眼、太陽の子、せんせいけらいになれ、とか読んだことがある。
ぐわっと感動したけど、もう読みたくないくらい重くもあった。
偏見や差別、純粋な心、弱い立場と思われている子が教えてくれる大切なこと。
そういったテーマの本を軸とした、児童文学の解説と考察なのだなと解釈し、私の物にしたのだ。

軽い好奇心で読み始めたら、戸惑いながらも新鮮で納得のいく説明が続き、それが曖昧な表現でなく、
具体的な分かりやすい例えでくどいくらい表現されていて、食いつくように読んでいる。
他のある児童文学と比べて、それが芋焼酎だとしたら、灰谷文学はウォッカのようだという例えも面白い。
じわじわと時間をかけて酔える芋焼酎とアルコール度数の高いひと口でカッと体が熱くなるウォッカという対比は、
なんかすごく説得力があるのだが、私はウォッカに酔いしれて癖になっていたのかぁと思うとちょっと恥ずかしい。
それでもって、同時に嬉しいのだ。
どちらにも良さがあって、私の好みはウォッカ的なんだなと安堵して着地できるから。

他には、印象深いシーンを解析して、たったの1センテンスやセリフについて書かれている内容が、

「こういう観点から読み解くとこうだと解釈できるがそれだとこの部分がああだから、誰それさんのあの本で使われていた
この表現に近いのだと結論したが、その言葉自体の持つ厳密な意味とは少し違うので、あくまでもこういう意味合いで、
つまりこういったことなのだといえる。だけど、それは僕が考えた結論で、人によってはもちろん違うと感じるのかもしれない」

というような、まどろっこしい長い長い文が続くのだが、くそ真面目に丁寧に丁寧にそれでいて謙虚に考えているので、
なんだか可愛らしいような気がして、この作者の使う難しい単語も気に入ってしまうのだ。
前後が分からないと面白みが十分に伝わらないと思うが、少しだけ抜粋。

p.59 「つまり、文章が饒舌的拡散的(偶然的)にならず抑制的収束的(構造的)になっているのである。」

こういう表現って、伝える情報があまりにも詳し過ぎて、でも上手くまとめてくれたから納得して進んでいくが、
結局は迷子になる道案内みたいでしょ?一生懸命で丁寧に頑張って伝えてくれているから、受け取っちゃったみたいな。
もう、こういった回りくどいのが癖になりそう(現在は、癖になってしまっている)。
端的な言葉を選んでいるから、おいおい勘弁してくれよとまいりながらも、仕方ないから私が合わせましょって思わせる。
この本は、たぶん論文なので、正しい方法できちんと責任ある表現ばかりなのに、故意に著者の人間性を臭わせているのかしら。

あと、灰谷文学の特徴として、自分の思いのたけを盛んに吐露するエロカンス(雄弁)の現象について、2度目に読むと
(1度目にぎょっとしたのに)それほど驚かなくなる理由は、自分に酔いしれていているからだと書かれている。
話者が自己陶酔していなければエロカンスが完成するのにってケチつけているのだが、読者側からするとどっちでもいい。
でも、それを分かっていてあえて書いているんだろうと思うと吹き出しそうになり、配慮してくれているニュアンスが
何重にも感じられ、まあそういう意見を知っておくのは悪くないかと受け入れやすい。
これが徹底的に非難しているなら、反発から絶対受け入れないと思うのだけど。
この本において著者の取った作戦が、どのくらいの人に読まれ、どのような経緯で図書館の外に出されたのか。
結果的に、読者の一人である私が完全に引っかかってしまい、なんだか人に話したくなってしまったのだ。
あのお酒の例えを借りるならば、この本は、焼酎とウォッカの混ぜ売りなのかもしれない。
しかし、普通そんなこと望まれないだろうことを承知で、時期が過ぎれば廃れる「変わった酒」としても売りだしたくはないのだ。
この酒は、一体誰に読んでもらいたかったのだろうかと素人の私でも思うのだけど、ねらいは学者先生ではなくて、
灰谷文学を熱狂的に支持したり人に押し付けるような輩に警告し、よく考えていなかった読者にはトリックをバラす作用のある
揮発性物質になることが目的であったように思う。
親切なような詐欺で、詐欺に見せかけた親切であるけど、ガラス越しに傷はつけない。

まだ、半分も読んでいないが、悪酔いしない程度に楽しみたい。楽しみ♪
「あべこべの世界」のさとしくんの発想みたいな考えが私にも出来そうな気がしてくる。
空想や本の中は自由で、しかも現実の見え方が変わるという経験を久しぶりに味わっている。