気持が低迷し、心が迷子状態だったんだが、霧が晴れるようなイベントがあった。
そこで、私はすごく嬉しい気持ちになったのだが、ちょっと気持にしみ過ぎたらしい。
言葉につまるほど吸収してしまい、今までの様々なことを思い出し、これはこれで心が一杯。
そんなタイミングで、金環日食を迎えた。
実家の2階の窓から、椅子を運んでおにぎりや飲み物も用意して。
うろこ雲のような空は、次第に薄曇りになって、合間合間によく見えた。
もちろん、天候に恵まれ、リングもばっちり観ることが出来た。
なんせ、6時半から9時過ぎまで、張り切って観察していたもので。
ただ、母娘ふたりではしゃぎ過ぎてしまったのかも。
午後になって、3時のお茶の時間まで、母とふたり時間も忘れて語り合った。
私が子どもの頃お世話になった近所の人が癌でなくなったこと。
突然、遊びに来てくれた母の友人が夫婦ともに癌で余命幾ばくもないこと。
私の悩みを聞いてもらい、母の悩みも聞き、母への具体的な表現でアドバイスすると、私は涙ぐんだ。
涙はつたる程でなく、ただ感情があふれ出たのだ。
母も涙をこらえていた。
帰宅前に指輪やネックレスなど忘れたことに気づいた。
乗り換え駅で実家に電話して、お弁当を買って帰宅。
夫を待ちながら、もう一度実家に電話した。
あれほど話をしたのに、まだ話が広がり1時間以上電話が続いた。
帰宅した夫とお弁当を食べながら、夫への感情が優しくなっていることに気付いた
仕事の愚痴も話しやすいように相槌しながら、ここぞとばかり吐き出してもらった。
夫は、少し照れくさいのか、嬉しそうに視線を逸らしながらもたくさん話してくれた。
異変に気付いたのは、深夜のことである。
普段言いもしないような、人の悪口がポンポン出てくるのだ。
そして、夫には感謝の労いを涙ながらに伝える。
この感情の落差、いや感情の混沌ぶりは、躁転でいつも繰り返すパターン。
私も、ああやはり躁かと受け入れ、薬を増量して寝た。
翌日、昼過ぎに起きて、心のアイドリングが少し治まっているように感じた。
でも、1日では治まる訳がない。
食器を洗う音や、洗濯を干す時に外から聞こえる声が刺激となって、また空ぶかし。
今にも飛び出しそうな心を止めるには、幾分時間がかかるのは仕方ない。
せめて、害が出ないように借りていた漫画を読み貪った。
偶然だが、夫と一緒に借りていて、手元に20冊もあったのが幸いした。
躁に片足突っ込んで、今日で3日目になる。
土曜にあった予定もちゃんとキャンセル出来た。
家事を普通にやっても心が膨らんだりしない。
視界に入ってきた物から何か連想したりしない。
だから、今回は先手必勝だったのではないか。
なんて思うし、夫は今日飲んで帰るそうだ。
トリ先生は、私の気分が頻繁に高ぶることと、上がる速度と勢いを鑑みて投薬の変更を考えている。
引っ越しの前後は変薬なしで進めて欲しい旨伝えたが、自分でもなんだかがっかりした。
このくらい、許容範囲の高ぶりとして、気づいてから用心すればなんとかなるようになりたい。
またしても、私は躁転してしまった。
気づいてくれる人がいなかったら、きっと入院だっただろう。
ああ、情けない、何度繰り返すんだ。繰り返すほど、脳に影響するのに。
治らないのは分かっている。
でも、どうして外でのストレスをこんなにも受けやすいの?
共存しながら、ストレスの質量と自分の許容量と天秤にかけているのかな。
悔しい。どうして自分には成れないのだろう。
抱え過ぎない、ため込まない、気分転換。
いっぱいいっぱいの時にどんな手段でそうなれというのだ。
抱えないつもりで、結局持ち帰ることになる。
ため込まないつもりで、人に話してもまた悩む。
気分転換するつもりで、普段考えないことまで見えてしまった。
ちょっと、気づくの遅かったのかもしれない。
気持の負担と心の悲鳴。
どうなろうと、メンテナンスしながら、生きて行くしかないのだね。
次の診察まで、セロクエル600mgに増量(寝る前1回)で落ち着かせる予定。
トリ先生が大丈夫そうだねよかったねとか言ってくれるだろう、なんて思ってみた。
ああ、嫌だ!もうこりごりなのに。ふつうに社会参加したいのに!
乗りこなせない躁の波は、小波であろうと許せないっつーの!
それを受容しなければならないという理屈、どうすりゃいいのさ?!
時間、掛り過ぎだよ。焦るんだよ。時間は取り戻せないのに…。
そこで、私はすごく嬉しい気持ちになったのだが、ちょっと気持にしみ過ぎたらしい。
言葉につまるほど吸収してしまい、今までの様々なことを思い出し、これはこれで心が一杯。
そんなタイミングで、金環日食を迎えた。
実家の2階の窓から、椅子を運んでおにぎりや飲み物も用意して。
うろこ雲のような空は、次第に薄曇りになって、合間合間によく見えた。
もちろん、天候に恵まれ、リングもばっちり観ることが出来た。
なんせ、6時半から9時過ぎまで、張り切って観察していたもので。
ただ、母娘ふたりではしゃぎ過ぎてしまったのかも。
午後になって、3時のお茶の時間まで、母とふたり時間も忘れて語り合った。
私が子どもの頃お世話になった近所の人が癌でなくなったこと。
突然、遊びに来てくれた母の友人が夫婦ともに癌で余命幾ばくもないこと。
私の悩みを聞いてもらい、母の悩みも聞き、母への具体的な表現でアドバイスすると、私は涙ぐんだ。
涙はつたる程でなく、ただ感情があふれ出たのだ。
母も涙をこらえていた。
帰宅前に指輪やネックレスなど忘れたことに気づいた。
乗り換え駅で実家に電話して、お弁当を買って帰宅。
夫を待ちながら、もう一度実家に電話した。
あれほど話をしたのに、まだ話が広がり1時間以上電話が続いた。
帰宅した夫とお弁当を食べながら、夫への感情が優しくなっていることに気付いた
仕事の愚痴も話しやすいように相槌しながら、ここぞとばかり吐き出してもらった。
夫は、少し照れくさいのか、嬉しそうに視線を逸らしながらもたくさん話してくれた。
異変に気付いたのは、深夜のことである。
普段言いもしないような、人の悪口がポンポン出てくるのだ。
そして、夫には感謝の労いを涙ながらに伝える。
この感情の落差、いや感情の混沌ぶりは、躁転でいつも繰り返すパターン。
私も、ああやはり躁かと受け入れ、薬を増量して寝た。
翌日、昼過ぎに起きて、心のアイドリングが少し治まっているように感じた。
でも、1日では治まる訳がない。
食器を洗う音や、洗濯を干す時に外から聞こえる声が刺激となって、また空ぶかし。
今にも飛び出しそうな心を止めるには、幾分時間がかかるのは仕方ない。
せめて、害が出ないように借りていた漫画を読み貪った。
偶然だが、夫と一緒に借りていて、手元に20冊もあったのが幸いした。
躁に片足突っ込んで、今日で3日目になる。
土曜にあった予定もちゃんとキャンセル出来た。
家事を普通にやっても心が膨らんだりしない。
視界に入ってきた物から何か連想したりしない。
だから、今回は先手必勝だったのではないか。
なんて思うし、夫は今日飲んで帰るそうだ。
トリ先生は、私の気分が頻繁に高ぶることと、上がる速度と勢いを鑑みて投薬の変更を考えている。
引っ越しの前後は変薬なしで進めて欲しい旨伝えたが、自分でもなんだかがっかりした。
このくらい、許容範囲の高ぶりとして、気づいてから用心すればなんとかなるようになりたい。
またしても、私は躁転してしまった。
気づいてくれる人がいなかったら、きっと入院だっただろう。
ああ、情けない、何度繰り返すんだ。繰り返すほど、脳に影響するのに。
治らないのは分かっている。
でも、どうして外でのストレスをこんなにも受けやすいの?
共存しながら、ストレスの質量と自分の許容量と天秤にかけているのかな。
悔しい。どうして自分には成れないのだろう。
抱え過ぎない、ため込まない、気分転換。
いっぱいいっぱいの時にどんな手段でそうなれというのだ。
抱えないつもりで、結局持ち帰ることになる。
ため込まないつもりで、人に話してもまた悩む。
気分転換するつもりで、普段考えないことまで見えてしまった。
ちょっと、気づくの遅かったのかもしれない。
気持の負担と心の悲鳴。
どうなろうと、メンテナンスしながら、生きて行くしかないのだね。
次の診察まで、セロクエル600mgに増量(寝る前1回)で落ち着かせる予定。
トリ先生が大丈夫そうだねよかったねとか言ってくれるだろう、なんて思ってみた。
ああ、嫌だ!もうこりごりなのに。ふつうに社会参加したいのに!
乗りこなせない躁の波は、小波であろうと許せないっつーの!
それを受容しなければならないという理屈、どうすりゃいいのさ?!
時間、掛り過ぎだよ。焦るんだよ。時間は取り戻せないのに…。