グミの実のお味

私はグミの実を食べたことはありません。こちらは双極性障害の主婦、グミの実のブログです。

片足突っ込んでもうた

2012-05-24 21:16:31 | Weblog
気持が低迷し、心が迷子状態だったんだが、霧が晴れるようなイベントがあった。
そこで、私はすごく嬉しい気持ちになったのだが、ちょっと気持にしみ過ぎたらしい。
言葉につまるほど吸収してしまい、今までの様々なことを思い出し、これはこれで心が一杯。

そんなタイミングで、金環日食を迎えた。
実家の2階の窓から、椅子を運んでおにぎりや飲み物も用意して。
うろこ雲のような空は、次第に薄曇りになって、合間合間によく見えた。
もちろん、天候に恵まれ、リングもばっちり観ることが出来た。
なんせ、6時半から9時過ぎまで、張り切って観察していたもので。
ただ、母娘ふたりではしゃぎ過ぎてしまったのかも。

午後になって、3時のお茶の時間まで、母とふたり時間も忘れて語り合った。
私が子どもの頃お世話になった近所の人が癌でなくなったこと。
突然、遊びに来てくれた母の友人が夫婦ともに癌で余命幾ばくもないこと。
私の悩みを聞いてもらい、母の悩みも聞き、母への具体的な表現でアドバイスすると、私は涙ぐんだ。
涙はつたる程でなく、ただ感情があふれ出たのだ。
母も涙をこらえていた。

帰宅前に指輪やネックレスなど忘れたことに気づいた。
乗り換え駅で実家に電話して、お弁当を買って帰宅。
夫を待ちながら、もう一度実家に電話した。
あれほど話をしたのに、まだ話が広がり1時間以上電話が続いた。
帰宅した夫とお弁当を食べながら、夫への感情が優しくなっていることに気付いた
仕事の愚痴も話しやすいように相槌しながら、ここぞとばかり吐き出してもらった。
夫は、少し照れくさいのか、嬉しそうに視線を逸らしながらもたくさん話してくれた。

異変に気付いたのは、深夜のことである。
普段言いもしないような、人の悪口がポンポン出てくるのだ。
そして、夫には感謝の労いを涙ながらに伝える。
この感情の落差、いや感情の混沌ぶりは、躁転でいつも繰り返すパターン。
私も、ああやはり躁かと受け入れ、薬を増量して寝た。

翌日、昼過ぎに起きて、心のアイドリングが少し治まっているように感じた。
でも、1日では治まる訳がない。
食器を洗う音や、洗濯を干す時に外から聞こえる声が刺激となって、また空ぶかし。
今にも飛び出しそうな心を止めるには、幾分時間がかかるのは仕方ない。
せめて、害が出ないように借りていた漫画を読み貪った。
偶然だが、夫と一緒に借りていて、手元に20冊もあったのが幸いした。

躁に片足突っ込んで、今日で3日目になる。
土曜にあった予定もちゃんとキャンセル出来た。
家事を普通にやっても心が膨らんだりしない。
視界に入ってきた物から何か連想したりしない。
だから、今回は先手必勝だったのではないか。
なんて思うし、夫は今日飲んで帰るそうだ。

トリ先生は、私の気分が頻繁に高ぶることと、上がる速度と勢いを鑑みて投薬の変更を考えている。
引っ越しの前後は変薬なしで進めて欲しい旨伝えたが、自分でもなんだかがっかりした。
このくらい、許容範囲の高ぶりとして、気づいてから用心すればなんとかなるようになりたい。
またしても、私は躁転してしまった。
気づいてくれる人がいなかったら、きっと入院だっただろう。
ああ、情けない、何度繰り返すんだ。繰り返すほど、脳に影響するのに。

治らないのは分かっている。
でも、どうして外でのストレスをこんなにも受けやすいの?
共存しながら、ストレスの質量と自分の許容量と天秤にかけているのかな。
悔しい。どうして自分には成れないのだろう。

抱え過ぎない、ため込まない、気分転換。
いっぱいいっぱいの時にどんな手段でそうなれというのだ。
抱えないつもりで、結局持ち帰ることになる。
ため込まないつもりで、人に話してもまた悩む。
気分転換するつもりで、普段考えないことまで見えてしまった。

ちょっと、気づくの遅かったのかもしれない。
気持の負担と心の悲鳴。
どうなろうと、メンテナンスしながら、生きて行くしかないのだね。
次の診察まで、セロクエル600mgに増量(寝る前1回)で落ち着かせる予定。
トリ先生が大丈夫そうだねよかったねとか言ってくれるだろう、なんて思ってみた。

ああ、嫌だ!もうこりごりなのに。ふつうに社会参加したいのに!
乗りこなせない躁の波は、小波であろうと許せないっつーの!
それを受容しなければならないという理屈、どうすりゃいいのさ?!
時間、掛り過ぎだよ。焦るんだよ。時間は取り戻せないのに…。

なんだか不調

2012-05-18 14:01:47 | Weblog
最近、どうも思考回路がよろしくない。
ふとしたきっかけから、どわっと嫌な感情になり、なかなか納まらない。
つまり、悪い感情のまま止まらないのである。

具体的には、自分を責め、誰かを恨むといった考えだ。これが辛い。
激しく怒ったり泣いたり出来たら、いっそのこと楽なんじゃないか。
もやもや憑いてくるかのごとく、気持を切り替えたはずなのにじわじわ湧いてくる。

今いる場所から離れてみても、おもむろにキャベツの千切りをしても。
時間を置いて、状況から感情や背景を分析めいたことをしてもダメ、夫に内容を話してもダメ。
なぜだか、気持が全然慰められないので、他の嫌な体験まで思い出す始末。

ああ、どうした私?
自信消失、情緒不安定、後悔。
軽く焦燥感があって、引っ越しの段取りもあまり進まない。
面倒だとか忙しいとかではないのだけど、やりたくない。

ああ、中核にあるのは何なのだ?
引っ越しへの抵抗?
済んでしまえば、住んでみたら、なんともなくなる?
あまり不安なことはないはずなのに・・・。

いまの社宅に4つ窓があって、その内3つからは緑色の木々が見える。
ちょうど、換気扇の下の椅子に座ると緑の見える窓が視界に入り、もうすぐ見れないのかと思う。
たったそれだけ、毎日毎日、同じ場所から同じことを思っている。

換気扇の下の椅子は、私のささやかな休憩場所だ。
コーヒーを飲んだり、タバコを吸ったり、ぼんやり待ったり。
忙しくないような日も、そこにたたずみに行くのが好きで。
だから、最近は毎日のように悲しくて惜しい気持になる。

外へ出て、公園に行ってみた。
窓枠よりずっと大きく広がる木々。
風に吹かれて、枝がしなり葉の音が響き渡る。
とても美しくてどこか怖かった。
やはり、私の調子が変なのだろう。

でも、文字にしてみたら落ち着いたみたい。
うん、大丈夫。
理由はそれだけでなくとも、すこし進めたような気がする。

マヨケチャ活用法

2012-05-07 15:22:26 | Weblog
とても暑かった日、実家へ帰省した。
早いと1時間半で着くのだが、断続的な渋滞により4時間掛った。
高速道路では窓を開けてはいけないと冷房をつけるも夫から寒いと苦情。
日差しも相なって、私はとにかく暑い。
冷たい飲み物を飲んでは、渋滞の中尿意を我慢することになる。
でもやっぱり暑いので、クーラーを徐々に低く設定しては夫に切られての繰り返し。

なんとか夫の家に着いたが、夕方から頭痛と吐き気がひどくなり、夕食を目の前に、
「私、体調が悪いので、2階で休んできます。お先に召し上がっていてください」
と2階へ駆け込んだ。

とにかく涼しくして横になろうとエアコンのリモコンを手にすると、電池が入っていない!
ふとエアコン本体に目を向けると、コンセントさえ入っていないではないか!エコめが!
机に上って手をのばしたが届かず、もう無理だと座り込んでしまった。

心配した夫が部屋に来てくれたのだが、言葉を制し「まずクーラーをつけて頂戴!」。
夫も私と同じ行程を踏み、電池を用意しやコンセントを入れてくれたので、ようやく部屋が涼しくなってきた。
「何もしなくていいから、ごはん食べてきて」と伝え、横になった。
頭がガンガンして気持が悪い。これは、もしや熱中症か。暑いの我慢してたしなぁ…。

夕食を済ませた夫が、冷たい飲み物とプリンを持ってきてくれた。
少し口に含ませただけで吐き気。体内に取り込めない。
「濡らしたタオルを持ってきて」。
夫は、おしぼりと体温計を持ってきた。
お礼もせず「わかった」と答えた私。
たぶん言った通りでないのが不満だったのだ。

余裕がないというのは自分を正直にさせるものなのか、おしぼりが臭くてしょうがない。
熱は、36.2℃という普段の平熱より低いのにも関わらず、背中から上の方にかけて熱く頭は依然として痛い。
1時間ほどして、ようやく起き上がる気になった。
飲み物を体に入れて、身体の中から冷やそうと、また一口飲んでみた。
ちょっと気持ち悪いけど、少しずつならまだ飲めそうだった。

試しにプリンを口にすると、また吐き気。 でも、さっきよりは良くなっている。
横になっては、一口飲んで、しばらく様子を見て、またプリンへ。
状態は、徐々によくなって行った。
なんだ、2時間冷やせば、熱中症なんて軽いもんだ。

しかし、翌日も翌々日も背中からかーっと暑さを感じて、頭痛に悩まされた。
熱中症って、治ったと思っても何日か引きずるのだろうか。
予兆となる背中の暑さを感じたら、すぐに冷やすと頭痛からは免れたが、やはりしばらく続いた。

自宅で冷やすのに一番便利だったのは、マヨネーズとケチャップを脇に挟むこと。
丁度いい具合に挟まるし、ペットボトルのような水滴がつかない。
濡れたタオルのように引っ繰り返さなくてもよいのでまたいい。
しかも、挟んだままの状態で、楽に移動も可能。
これは、すごい発見だ!

夫は一言「変なの」と興味を示すことはなかったが、見た目変でもとっても実用的なのになぁと思った。