グミの実のお味

私はグミの実を食べたことはありません。こちらは双極性障害の主婦、グミの実のブログです。

3度目だったのか

2011-12-20 21:31:35 | Weblog
先日、ボランティアで小学校デビューした。
そして、帰ってきてしばらく凹んだ。
かわいい子どもたちを目の前にして、言葉に出した途端に信じられないほど緊張してしまったのだ。
心臓の鼓動があまりにも激し過ぎて、でも話を中断することも出来ず、堪えながら必死で語った。
しかし、緊張がなかなか納まらない。思ってたより長過ぎるではないか。

それでも、子どもらは私の目を見て話をきいてくれている。
それに応えたいのに、話を続けることや無事終えることしか考えられなくなった。
鼓動が落ち着くと、今度は足がガクガクし始めた。しかも、尋常じゃないくらい。
でも、誰一人として、子どもらは、私の足なんか見ていない。
本当は、一呼吸できるチャンスになるかと願ってしまったくらいなのに。

今までたくさんの子どもたちと関わってきたし、集団の中で発言するのも苦手ではなかった。
いつまでもいつまでも落ち着かない自分に、私自身が驚いてしまいそんな自分が信じられなかった。
次第に、子どもたちの目だけが鮮明に見えて、そうでない子を探したが皆違う子ばかりだというのに同じ物の様に見えてきた。
数列に並んで体育座りしている子どもたちが、無機質な塊にギョロギョロと目ばかりたくさん付いている物に思えたのだ。

子どもたちを目の前にして、こんなに緊張するなんて初めてのことだ。
よく、あまり親しくない人からも「本当に初めてなの?堂々として驚いた」と言われてきたんだけど。
電話対応だとか挨拶だとか発表だとか、それらと何が違うというのだ。

私は、なんとか語りきったが終わってくれたことにだけに安堵した。
でも、最後まで他の人の語っているのをきいたり感じたりして、すっかり元気を無くした。
手際良い先生が私の語った学年の感想文を持ってきた。
読む前に分かっていたことだけど、私のがいいって思った子はいなかった。
分かっていただけに、少し期待していた自分が砂のように風にさらわれていった。

帰りにノンアルコールビールを買い、昼間から飲んでみた。
考えれば考えるほど、悲しかった。
もう何も考えたくなかったが、夫から「そういう時は、好きなもの買ってきな」とのメール。
え、好きなもの?何にしようかなーっと考えたら、なんだか気分転換になった。

図書館へ本を返して、何か借りて、大きなスーパーで工具を見て、食材を買おう!!
というように、早い展開で私の心はルンルンになった。 夫よ~、ありがとうっ。

帰ってきた夫に、感謝の辞を述べ、私の考え方のパターンなんぞを話してみた。
そんな風に考えていったら大変だよね、アハハハって笑われた。
気持ちが軽くなったので、他の出来事の考え方も話し、同じ立場だったらどう切り抜けるかを聞いてみた。
すると、私が5,6年かけて考えるようなことでも、夫だと立ち止まってから3歩くらいで切り返えるといった具合。
この楽観性や発想の転換は、本当に見習いたい。ってか、なぜ未だに手に入らないのか不思議だ。

タイトルの「3度目だったのか」について。
数日して、私は同じような出来事を思い出したのだ。

あれは、小学校6年生の春。
入学してきた1年生に歓迎の辞を述べる役割になって、散々添削された作文を壇上で述べることになった。
もう後は間違わずに読むだけだと落ち着いていたのに、話し始めた途端、たくさんの目が私に注がれて鼓動が早くなった。
でも、途中から顔を上げると、1年生プラプラ動いている足に気づき、そんな子がたくさん見えてきた。
ああ、こんなに小さい子に私は話しているのかと微笑ましくなり、それからはリラックスして読み上げることができた。

その前は、小学校4年生の冬。
当時、児童会選挙というのをやっていて4~6年生の前で演説することになっていた。
クラスの人の応援があまりに純粋で、ちゃんとやらなきゃ申し訳ないなと思うのだが、すごく嫌だった。
当日は、担任の先生が体育館の後ろの方で左右に移動するから顔(目線)を左右に動かすように言われた。
壇上で原稿用紙越しに黒い頭がたくさん見えたとき、ギョッとして視界に体育館全体をいれてしまった。
もう、そこからドキドキドキドキ…、原稿用紙しか見ないで読んだ。
終盤になり、ふと先生のことを思い出し探してみると、先生は体育館の後ろの方で正座していた。
あれ何でかなと思いながら、私が後ろを見れなかったからかと気づき、はずかしくなりながら和んだ。

つまり、気を抜いて集団の前に出ると、話し始めた途端に緊張してびっくりするのは3度目なのだ。
教訓は、緊張しても、和める視覚的な映像を探しさえすれば、途中から持ち直せた過去を忘れぬこと。
3度目も、終わって振り返るとなつかしくなるやさしい過去にしていきたい。