グミの実のお味

私はグミの実を食べたことはありません。こちらは双極性障害の主婦、グミの実のブログです。

復習する

2012-10-25 16:24:08 | Weblog
「技巧的なことばかり意識しているようで、肝心の内容が入ってこない」。
これは、私がここ1年くらい言われ続けているアドバイスである。
頭で考えすぎないで、心で感じることで変わっていくのだそうだ。
私には、なぜ出来ないのだろう。

丁寧にやればいいというものではない。
耳を傾けている人が、疲れてしまう方がいけない。
話の内容や感動、または教えのようなものが伝わらないのはなぜだろう。
私自身がそれを理解していないのか。
もしくは、大事なところからズレているのかもしれない。

遠回りのようで、いろんな本を読むのが近道なのだそうだ。
心の栄養こそが、相手に伝えたい気持ちを膨らますのだろう。
共に楽しみ、相手から教えてもらう機会を重ねて成長する他ない。
どんなに完璧を目指して練習しても、相手のことを見据えていなければ失敗。
練習して作りこんだものをただ聞かせられるのは、相手に取って苦痛なのだ。
そう、相手に疲れさせてしまうだけの、ただの自己満足。
そういうことらしい。

まるで、体験したばかりの楽しい出来事を報告するように。
「ねえ、聞いてよ!すっごく面白いことがあったの!!それがね~、・・・」。
このような切り出しで発言したのは、いったいどのくらい前のことだろう。
楽しい思いを誰かに聞いてもらいたいと高揚したのはいつ以来だったか。
報告したい誰かは、いったい誰なのだろう。
私にとって、そういう存在は夫ではないかと思って来たのだが。

具体的には、飼っている猫を相手に練習してみてはどうかと言われた。
やはり、相手がいてこそだからである。
しかし、猫はどうなのだろうか。
猫というものは、話なんて聞くものだろうか。
それこそ、無理やり聞かせている姿勢にならないか。

こういうのを、「騙されたと思ってやってみる」というのだろう。
何とはなしに、猫の名前を呼んでみた。
すると、身体を舐めていたのをぴたりと止めて、私の方をじっと見た。
私も聞いてもらいたいものだから、
「これから、○○を語りたいんだけど聞いてくれる?」
と話しかけた。
猫はそのままじっと私を見つめたままだったので、少し驚きながらも嬉しかったので語り始めた。

まず、タイトルから口に出すと、途端に猫の目が益々私を見つめたように見えた。
私には、聴いてくれているように思えたので、続けて語り出した。
猫は、食い入るように真っ直ぐに私の目を見つめる。
すぐに飽きてどこかに移動するのかもしれないと予想していたが、本当によく聴いてくれているようだ。
ついに私は、9分近くの話を語り通すことが出来た。
不思議とドキドキしたりかわいい相手に微笑ましくなったり、あったかい気持ちが心地よかった。
語り終えおしまいになると、猫は再び自分の身体を舐め始めた。
まるで、自分の時間に戻っていったように見えた。

まさか猫が最後まで話を聴いてくれるとは思わなかった。
それだけではなく、私も聞いてもらっている気持ちが続いたのに驚いた。
相手と同じ時間を共有する一体感。
謙虚で優しい気持ちで一緒にお話を楽しむというのは、このようなことなのかもしれない。
そのままでも楽しくて、余計な演出などする気も起きなかった。
今更だが、やっぱりいいお話なのだなあと改めて惚れ直した。

猫よ、ありがとう。
また聞いてくれると嬉しいな。

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