グミの実のお味

私はグミの実を食べたことはありません。こちらは双極性障害の主婦、グミの実のブログです。

20世紀少年第2章

2009-01-31 23:21:48 | Weblog
映画を観に行った。
20世紀少年、初日である。
漫画でも20巻くらいまでレンタルで読んだことがあるが、2章は映画オリジナルストーリーが多かったような気がする。
漫画を読んだのは、随分前なので記憶は定かではないが。

ちなみに、8月29日公開の第3章はもう撮影が始まっている(いやもう終わったかも?)。
年末に友達がエキストラで出演したのだ。
内容は、絶対に秘密らしい。
この話を聞いて、素直にいいなぁと思った。
私も一度でいいからエキストラで出てみたい。

過去に3回、TVに映ったことがある。
最初は、小学生の頃で、お花見に行ったところの撮影をしていたらしく、朝のニュースで自分が出てきて驚いた。
2回目は、高校生の頃でバライティ番組。
盗撮で、私がアップになって、「○○君、カッコイイ!」とアフレコが入った。
3回目は、沖縄の石垣島に行ったとき、TVクルーと石ちゃんが来ていて、地元の人と一緒に浜辺で郷土料理を食べた。
私は、石ちゃんから3番目の席で直接会話も出来た。

石ちゃんは、とても優しくて分け隔てなくサイン(似顔絵付き)をくれた。
石ちゃんは、幼いころ、野球選手にサインを断られ、とても悲しい思いをしたので、絶対に断らないらしい。
サインは大事に取ってある。
ちょっと近所に住んでいるので、いつか偶然会わないかなと思っている。
会ったら、お礼がいいたいな。
あと応援していることも。

今年の目標、エキストラに出ること、なんていうのもいいかもしれない。
地元近く(高校のあった街)が隠れロケスポットなので、ドラマなどに参加出来るかもしれない。
ちょっと楽しみだな。
むふふ。

ベリーダンス

2009-01-30 17:44:16 | Weblog
K市に戻ってきたら、ベリーダンスを習おうと思っている。
あの、超セクシーなベリーダンスである。
ベリーとは腹部、ダンスとは踊りの意味である。

あの露出度の高い服は、着ることはないと思うが、
くねくね腰を動かしダンスがしたい。
社交ダンスを始めた友人とベリーダンスを習っているデイケアスタッフの影響。
うーん、でも一番はコアリズムの影響かな?
音に合わせて動くことは、昔から苦手で避けていたのだけど。

漠然と「ダンスがしたいなー」と思っていたのだが、
調べるのは「ベリーダンス」ばかり。
渋谷にいいスタジオがあったので、心の中ではそこに決めている。

女性的に痩せられたらいいな。
ちょっとナイスバディの中に入るのは抵抗あるけど、
いつかナイスバディに近づいてやる。

久しぶりに

2009-01-29 17:06:02 | Weblog
今日は午前中ずっと寝ていた。
今朝、3時半に悪夢で中途覚醒して5時まで寝れなかったからいいのだ。
(と言い訳…。)
久しぶりに抗不安薬のベンザリン10mgを飲んだからかもしれない。
(↑抗不安薬ではなく睡眠薬だった)

午後は、ウォーキング30分とコアリズム。
コアリズムでは、久しぶりに超汗をかいた。
前日にやったときは、僅かにTシャツがしっとりする程度だったのに。
ちょっと驚いた。

しかし、運動をするとスッキリするな。
何故、今まで気付かなかったのだろう。
お代わり女王だった小学生の頃は、朝、20分休み、昼休みと、毎回男子に混じってドッチボールをしていた。
あの頃は、痩せて長い手足だったなぁ。
今は、下半身にかなり肉の着いた肥満体である。
実際の体重よりかは痩せて見えるのがちょっと救いではあるけど。

早くMサイズになりたいなぁ。
今はデザインによっては、11号。
でも、あまり種類がない。
去年は、15号だったからだいぶシェイプアップしたからよしとするか。

夫は、「グミちゃんが52kgになったら、俺の人生観が変わるよ!」と言った。
へぇ、と思ったが、現実味がなかった。
このままのペースで行ったとしても、いったい何年後になることやら。
でも、学生の頃は、特に運動もせず、食事に気を使うことなく、そんな体重だった。
あの頃の写真を見ると、顔のサイズが一回り違って見える。

短期間で痩せるサプリメントにでも手を出したい気分である。
ああ、ダメだ。
私は、運動でリバウンドしないダイエットをするんだった。
でも、今、停滞期のようで全然痩せない。
今が踏ん張り所。
頑張れ、私!

ひなオフ宣伝

2009-01-29 15:18:23 | Weblog
双極性障害の女性のためのオフ会が開催されます。
今年で3回目ですが、とっても楽しいので、興味のある方はぜひご参加ください。
もちろん、私も参加します。
詳しくは、下記まで。

ひなオフhttp://www.alpha-inc.jp/Notice/offmeet.html

1年くらい

2009-01-28 16:37:31 | Weblog
今日はデイケアだった。
メンバーの一人に、
「もう1年くらいいるみたいだね」
と言われた。

私がデイケアに参加したのは、今日で3回目。
場に馴染んでしまうのは、得意技である。

あるときは、タクシーの運転手と会話がはずんで、帰り際、
「頑張って下さい!」
と応援された。
ある時は、芸術家に
「なんか旧友と話してるみたいだな」
と言わせた。
悪く言えば、馴れ馴れしいが、よく言えば、人なつっこい。
可愛がってもらえることが多いので、年上の友人・知人が多い。
年下はというと、ちょっと苦手。
何故か「姐御」キャラになってしまうからだ。
自分で無理している自覚はないが、どこか疲れてしまう。

その点、デイケアは年上の人が多いので楽だ。
今日は4歳も年上に見られていたことが発覚したのだけど。
この間は二十代前半に見られて、喜んでいたのになぁ。
間を取れば、年相応なのでいいとするか。

来週は、ショートテニスと音楽鑑賞。

12時間睡眠

2009-01-27 17:58:31 | Weblog
どうやら躁ではなかったようだ。
昨夜、頭痛がして寝付けなくて、レボトミン5mgを追加したとはいえ、
12時間も眠ってしまったからだ。
それに気分のそわそわも無くなった。
気分安定薬の調整はしていない。
インターネットも相変わらず見ている。

自宅入院も視野に入れていたが、どうにか乗り切れた。
気分の高揚ではなく、タイミング的に夢中になった結果だった。
軽躁から数日で激躁になった過去のあるものとしては、いたく安堵したのである。

今日は、午後から、コアリズムとウォーキング30分、仕事の手伝いをした。
あと、録画しておいたビデオも観たっけ。
午前中、エアロビには行けなかったけど、結構充実していたかな?

明日は、デイケア。
午前風船バレー、午後「花より男子F」。
運動は、病院までの往復(徒歩20分)だけだ。

明日は、コンタクトをしてお化粧をして行こうと思う。
先週のデイケアで「お化粧したら映えそうだね」と言ってくれた人がいたからだ。
先日買ったアユーラのアイシャドーの出番である。
今まで使っていたものはなんと5年ももった。
半練りアイラインがパサついていたので替え時だった。
色味は、ほとんど同じブラウン系で少しラメが入っている。
形もデザインもほぼ同じなので使いやすいし、ケースの色が黒なのでちょっと高級感があっていい。

やっぱり、人と会うっていいな。
しばらく、デイケア続けよう。

似たもの夫婦

2009-01-26 12:00:06 | Weblog
昨日、夫から言われた。
「グミちゃんを見ていて思うけど、本当に似ているよね。」
つまりは、自分と似ていて、まるで自分を見ているようだと。
私は、正直うれしかったのでそのまま伝えると、
「気持ち悪い。」と言われた。

今まで、正反対の性格だと思っていた。
ちなみに顔の作りや体型は正反対である。
でも、似たもの夫婦なんだ。
やっぱり、うれしいな。

今まで、いろんなことを話し合ってきた。
夫は、私に多くの気づきを与えた。
尊敬している。
そんな存在と似ているなんて、なんだか近づけたようで悪い気はしない。

カップヌードルLight

2009-01-25 13:59:50 | Weblog
某HPで話題になっていた「カップヌードルLight」のシーフード味を食べた。
麺が3層構造になっていて、真ん中に食物繊維が入っているそうだ。
味は、普通のカップ麺といった感じで不服はない。
たこが入っているのがやっぱり面白い。

私は、カップ麺にネギと凍ったホウレン草(茹でたもの)を入れた。
ボリュームアップにもなるし、栄養にもなるし健康的。
猫舌対策にもばっちりだった。

これで198キロカロリーなら十分満足である。

夫は、チキンラーメンに卵を入れて作って「うまいうまい」と言って食べていた。
一口もらったが、私は全然美味しくなかった。
チキンラーメン信者には申し訳ないが、どこが美味しいのか理解できない。
もう今後の人生で食べることはないと思う。
さすが元祖即席麺だ。

なぜ、今日のお昼にカップ麺にしたかというと、ただ面倒だったからだ。
最近の私は、「面倒くさい」が口癖になっている。
何かやるに当たって、その行程を考えて、1からやろうとすると
途端に面倒になってしまう。
張り切って、よし、やってやろう!という気になれない。

夫は「また始まったー。K市に帰れないよ」と脅すが、面倒なものは面倒なのだ。
それに、もう2月には帰ってくる気になっている。
実家で甘えているよりハリがあると思う。
誰もいない環境では、自分がやらざるを得ないから強くなれるはずだ。
それに最初の「1年実家に帰って生活する」という約束はとっくに切れている。
夫も「もう大丈夫だと思う」と言うし、挑戦してみたい。

主治医は、二度寝のことを相談しても
「そういうものですから無理しないで下さい」としか言ってくれない。
なんだか無理をさせないで安定させることを狙っているようにしか思えない。
私は、社会進出して安定したい。
たとえ、それがただの習い事であってもだ。
家の中で閉じこもって安定しているなんて嫌だ。
人との関わり、それにともなう会話、そういった刺激が大好きだ。

それに閉じこもった3年間の生活で、それは失敗だったと分かった。
刺激をなるべく避け、インターネットに依存し、しまいには躁転した。

でも、その躁転をきっかけに私はようやく病気を受け入れられた。
自分の中では「ふっきれた」という言葉が一番馴染む。
何をしたって「躁転するかもしれない」ならば、楽しいことをして安定させたい。
そして、そんな生活をめざして、「諦めないで」信じようと思う。

薬の調整には、もちろん時間をかけるつもり。
嫌々飲んでいるルーランも自分で抜いたりはしない。
今度血中濃度を測るときはきちんとトロフ値で、プロラクチンも測ってもらおう。
昨日の夜は、不安になって2時まで眠れなかったが、
睡眠時間が8時間取れているうちは大丈夫だと思うことにした。

幸い主治医は金曜以外は毎日いるし、いつでも行ける。
これが単科精神科病院のよいところだと思う。
前居たクリニックは主治医が週に1回しかいなかった。
それでも3年間やっていけたのだけれども。
でも500円で、診察もカウンセリング(30分)もあったのがよかったな。
K市に帰ったら病院どうしようかな。
とりあえずルーランがなくなるまで実家近くの今の主治医の元へ通おうか。
前のクリニックにセカンドオピニオンもしてみたい。

ああ、面倒くさい。
病院のことは先延ばしにしよう。


心配しつつ・・・

2009-01-24 16:42:24 | Weblog
躁転を心配しつつも8時間眠れたので、東京駅に遊びに行った。
私の目的は、某HPで知った「DAIMARU TOKYO」8階の喫煙所へ
行くことだった。
灰皿が陶器で、窓から外の景色が見えるらしい。
夫のタバコが切れていたので、受付嬢に聞くと12階に自販機があると言う。
取り合えず、12階に向かった。
12階の喫煙所はソファーが3つもならんでいて落ち着いた雰囲気だった。
とても高級感があって私は気に入った。
目的の8階は、確かに高級そうな灰皿で中で、タバコのフィルターが
たまらないように回転していた。
結構せまかったのに全然臭くなかった。
夜だったら夜景がキレイだったかな?
隣のビルと通り1本隔てただけなので、昼は明るい分マイナスだった。
12階のソファーを知った後だったので、立ったままなのが不満だった。

階下を降りていくと洋服のセールがたくさんあったので見て回った。
私が太っているからなのか、DAIMARUの方針なのか、
店員は誰一人声をかけてこなかった。
バック売り場で、私の好きなブランドが珍しく値下げをしていて
とても気に入ったので買ってしまった。
すぐに持っていたバックの中身と入れ換え、肩に下げて帰った。

お昼は、どこかの牛タン定食を食べた。
ご飯の量が半端なく多かったが平らげてしまった。
だって美味しかったんだもん。

あと、ちょっと前後するが、パスケースも買った。
たぶん、男性物の茶色のシンプルなもの。
3月から支給される市営バス無料券を入れられるようにと選んだ。
実家からK市までの回数券もスイカもバスカードも入る。
結構、いい買い物だと思った。
ちなみに馬のおしりの皮でランドセルに使われるものと一緒だそうだ。
大事にしようと思う。

途中、「最近書き込みが多くて心配しています」という内容のメールが来た。
やっぱり?とドキッとした。そわそわした。
夫に聞くと、全然しゃべんないし躁じゃないと言う。
テンションは高くない。
ただ、自分の中の「知りたい!」とか「聞きたい!」が強くなっている。
しばらくは、書き込み自粛しよう。
「私は大丈夫?」と自問自答し、注意深く観察しよう。

話は変わって、これからのこと。
今日の夕食は、水炊き。
鍋は簡単でいい。
食べたら、コアリズムをする予定。
週末婚が始まって、途端にコアリズムをサボりだしたので、その穴埋め。
運動は、気持ちいい。



ちょっと上がってる?

2009-01-23 18:10:28 | Weblog
ここ数日、掲示板に投稿したのをきっかけに
インターネットに熱中している。
母に話しかけられても「いま手が離せないから手紙を書いて!」
と突っぱねた。
母は、相当心配していた。
父も、事あるごとに「焦らなくていいからな」と言う。

約1年前の躁転は、ネットにはまり込んだことが引き金となった。
自分でもくたくたになりながら投稿を続ける有様に躁転を疑ったが、
主治医でも見逃した。
激躁を見ていない主治医。
軽躁を覚えていない私。

ある日、手がしびれてキーボードがうまく打てなくなった。
リチウム中毒だと思った私は、夫に汚い字で手紙を書き、
帰ってくると泣きながら説明し理解して欲しいと訴えた。
翌日、実家へ父の運転する車で帰った。
父が言うには「神様の話」ばかりしていたという。

翌々日、一睡もせず、躁鬱年間グラフを完成させた。
薄く細い字だったのが、太く荒々しくなり、色をつけ派手派手しくなっていた。
なんだか躁の時描いた絵に似ているなあと思った。

夫は前日ライブに参加していたので、朝は起こしたらよくないと
連絡はしなかった。

昼頃になり、感情的になり涙を流しながら、母を人格障害だと罵った。
母が精神科を受診しないと、安心して子供が産めないと批判した。
また、自分で考えた心理テストを両親に出題し、それが当たっているので
きっと本が書けると思い込んだ。

段々と、自分でも感情がコントロールできていないことを感じ、
通院していたクリニックに電話してもらった。
どこにかけても「先生はいません。別のところに連絡してください」
という返答で、たらいまわしにされた。
私は、感情がセーブできなくて救急車を呼んだ。

時間は4時。
躁転じゃないかと主治医に相談した丁度2日後のことだった。
受診したときに検査したリチウム濃度の結果がわかる1時間前だった。

救急隊は、受診先を聞いたり、他にも記入しなければならないこと(忘れた)を
紙に書き込み、なかなか病院に連れていってくれなかった。
ようやく救急車に乗ることになって、
「私が乗るの?」なんて聞いてしまった。

病院に着くと、どうしてもタバコが吸いたくて、強引に父のタバコを奪い
救急隊や主治医を待たせた。
病室につくと、私は自分がどう躁転しているのか立って説明した。
主治医のペンが追いつかないので、少しゆっくりしゃべったり休んだりした。
「とりあえず座って」と言われると、
「あなたがここでは一番偉いのですか?」と聞き、
そうだと言われると、それならと言うことをきいた。

「取り合えず、落ち着く注射を打ちましょう」と言われ、断固拒否した。
私を囲む看護士はゆうに10人を超えていた。
四方八方から手が伸びて、私は大声で叫んだ。

主治医も諦めて、「それじゃあ、飲み薬にしましょう」と言い、頷いた。
リスパダール液は苦いと聞いていたが、水で薄めてあったので無味だった。

「保護室は普通の部屋だから安心して」と看護士は言ったが、寒くて
暖房がひとつも入っていなかった。
病院のパジャマに着替えさせられ、看護士は去っていった。
しかし、私は気づいた。
トイレットペーパーがない。
大声をあげるが誰も返事をしない。
ドアを叩いても、監視カメラ(どこにあるかは分からない)に手を振っても。
最悪だと思ったが、布団が2枚あったので、その1枚で用をたした。

私は眠った。
起こされると配膳があったが、また眠った。
翌日も眠った。
ペットボトルの水が渡されたが飲まずに眠った。
ようやく夜になって、ご飯を食べた。
残さず平らげた。
すると、翌朝、看護士がやってきて、部屋が変わるという。
保護室を出ると「あれが騒いでいた人だよ」とからかわれたが
嫌だなと思うだけで、あれこれ騒がなかった。

私の部屋は保護室のあった一つ上の階で、一番奥にあった。
4人部屋だったが、同室者は誰もいなかった。
しばらく友達もできず一人でいたが、一人親切な看護婦さんがいたので救われた。

週末になり、外泊。
暗証キー付きのロックが解除され、ようやく病室を出られた。
実家に帰るとほっとした。
もう入院したときのような感情のぶれはない。
「少し痩せたんじゃないの?」と言われ、鏡を見ると
顔のむくみが無くなりスッキリしていた。

翌日、隣町のモールへ行き、スタバでコーヒーを飲んだ。
外泊の報告をすると、まだ外出は許可していないと怒られた。

病院は実家の近くにあるので、両親がまめに面会に来てくれた。
まともな人と話せるのが嬉しくて、早く退院したいと思った。
でも、その頃はまだ躁で「病院のパジャマを自宅用に買って欲しい」
などと言っていた。
入院するときいた看護士に挨拶しようと「あの時はご迷惑おかけしました」
と言ったら、「まだいたの」と言われ、頭にきた。
先生に「保護入院から任意入院にして下さい。退院します!」と訴えた。

週末に外泊するという生活を続けて1ヶ月半後、落ち着いてきたのが
自分でも分かってきた。
週末からクリスマスにかけて外泊4日というのを試した。
何日もお風呂に入れない病院よりよっぽどいい。
年末に退院したいと両親に訴えた。
両親は、主治医が「3ヶ月は入院させたい」と言うのを遮って、強引に退院させてくれた。

実家は平和だった。
しかし、私の体重は8kgも増えていた。

2月になり、父が「K市に帰りたいと焦っている」と言ったことで
リスパダールが入院中よりも増量した。
私はこれで鬱になった。
一日中、布団の中で過ごし、どうしてあの時躁転を防げなかったのだろうと後悔した。
5分の散歩も限界だった。
私の姿を見た人全てが私を不審に思うと思っていた。

7月に友人の結婚式があったが、話せないし楽しめなかった。
薬を飲んでいる理由を聞かれたら、どう答えようかとばかり考えていた。
名残惜しいのが普通なのに、早く帰ろうと駅に急いだ。

8月、乳汁分泌の副作用が表れた。
オフ会に参加したが、楽しめなかった。

9月、リスパダールからルーランに変わる。
私は、生まれ変わったように明るくなった。
20分のウォーキングが30分にのびた。

10月、コアリズム開始。
本格的に痩せたいと思うようになった。

11月、オフ会が充実していた。

12月、新しい服を買う。おしゃれが楽しくなる。

現在にいたる。

振り返れば分かるけど、現在って分かりにくい。
取り合えず、睡眠時間が短くなったら、即手を打とう。
しかし、今日のブログ長いな・・・・。