グミの実のお味

私はグミの実を食べたことはありません。こちらは双極性障害の主婦、グミの実のブログです。

違う・・・

2012-04-27 20:42:56 | Weblog
私の中に湧いた強い抵抗を貫きたかった訳じゃない。
ねじ伏せてやろうという気もなかった。
押し付けたいというのとも違う。

ただ、その凝り固まった考えに疑問や提案を伝えたかった。
その上で否定されるなら受け入れよう。
ただ、聞いて欲しかった。

きっとプライドを傷つけたのだろう。
とても失礼に感じながら、押さえていたのだろう。
「責任がある」という繰り返し訴えに、その言葉でごまかされている気が私はしたのだ。

全否定しているのではない。
双方の言い分の違いは、譲り合うものでもない。
私の目的は、やはりねじ伏せるためではないのだ。

そういうものなのだ、という人。
それを受け入れる人、それでは違和感のある人。
何も言わないが考える人。

早く帰りたい人。
むきになっている理由が分からない人。
どうにかしたいがきっかけがつかめない人。 

でも、きっかけ。
最初に戻って、確かめて、もう一度考え直して欲しかっただけ。
誰かに伝わったのかなと考えると恥ずかしいやら悔しいやら。

私ったら、醜態さらして何やってるんだろ。
それでも守りたかったのか、それでも伝えたかったのか。
それで何を変えてどうなりたかったのか。

ひとつの想いだけで成り立たないのに。
まあでも、噛みつかれないだけよかったか。
除け者として扱われなかったことには感謝だ。

でも・・・。
やはり、ちゃんと伝えたい。
いまでも、私は悔しいままだ。

これは、よりよい明日を迎えるための愚痴。
もやつきを整理するための愚かな記事。
そして、自分の行動に人が何を感じたを恐れ、一方で誰かの心が動いてくれるんじゃないかと期待している自分の記録。

夫、動揺する

2012-04-25 19:25:02 | Weblog
夫、初めての人間ドックを終えた。
まあ、初めてなのはバリウム程度だったそうだ。
オプションは半年後でもいいとのことで、最低限だけ受けたのだとか。

翌日、仕事中に病院から電話がかかってきたそうだ。
そして、会議室の中で携帯に出た夫は、驚いてつい言葉を漏らしてしまった。

「え、血液型が違うんですか?!」

今までA型だと思っていたのに、O型だと診断されたそうだ。
一瞬、「もしかして、親が違うんじゃ」と思ったそう。
でも、顔も体格もそっくりなので、それはないと否定。じゃあ、なんでだ?

会議室にいた人は、もちろん状況が分かっていた。
きっとAOのO型なんだとか、大人になって血液型が変わることもあるらしいよとか。
とりあえず、母子手帳になんて記入してあるか、夫は親に電話して聞いたらしい。

結果、母子手帳の血液型の欄は、未記入の空白だったのだとか。
一体全体、何を根拠に、A型だと言われ記入してきたのか。
さんじゅうんねんかん、ずーっとA型だと思ってきたのに、突然O型って…。

そして、私に夫からの病院からO型と言われた旨のメールが届いた。
しかし、たまたま洗濯物を取り込むのにベランダにいた私はメールに気づかなかった。
それを夫は、私が怒ってメールを返さないのだと思ったらしい。
なぜ怒っていると推測したかというと、普段から医学的な常識の無さを厳しく夫に指摘していたからかも。
そうとは知らず、「よくあることだよ。動揺しないでね~」とメールを返したが、何時間も返信なし。
こちらも、なにやら酷く落ち込んでいるか、病院で再検査してやはりO型だとショックを受けているのではと心配したり。

でも、考えれば考えるほど、可笑しくってならない。
普段から「本当にA型なの~?」とか「私よりO型っぽいよね」なんて話していたから。
もちろん、血液型性格診断の科学的根拠はないのは知っている。
でも、不思議と血液型でくくると違いが性格の傾向に重なるというのは頷けるのだ。

夫の両親は共にA型、夫はO型と人間ドックで診断された。
私の両親も共にA型、私もO型(出生時診断と献血もしているから、間違いないと思う)。
わ~、おそろいじゃないの、ふふふ。
似た者夫婦なのかねぇ、ふぉっふぉっふぉ。

帰ってきたら、デリケートな気持ちかもしれないから、受け身に話を聞こうと思っていた。
しかし、耐えられなくて、たくさん笑ってしまった。
本人も、O型といわれると納得してしまうこともあれば、まだA型だと思いたい自分もいるようだ。
しきりに、同じ誕生日でA型とO型の占いの違いはどれほどかを気にしていたが、あまり血液型で運命が変わるなんて聞かない。

寝る前になって、「俺は、A型の人と一緒にいると居心地いいんだけどなぁ」と夫は言った。
なんだかいじらしいじゃないか。A型の喪失を受け入れようとしているのか。
「O型の団体もにぎやかで魅力的ですよ~」と私が言うと、また「絶対、AOのA寄りなんだー」とかもやもや。
携帯サイトで調べ、A型の男性、O型の男性、AB型の男性の性格について読み上げてあげると、
「なんだ、全部に当てはまるようになってるんだね」と夫は言って、すぴーと寝付いた。

笑いのネタとして、何回か使いたいな。
ついでに、「Rhの+か-も調べてもらえば?」と聞いたら、時間差で「さっきのpHだっけ?」と夫。
7なら中性、大きくなるほどアルカリ性、いい加減にせいに賛成。

楽勝!!

2012-04-22 12:44:53 | Weblog
もちろん勝負事ではなく、引っ越しの話。

先日、ついに見積もりに来てもらった。
マンションに引っ越すのは嬉しいが、引っ越す準備は不安でいっぱい。
不安を減らすために、細々と不用品をゴミに出し、新生活でも必要なものを吟味した。

心の中でどれが不用品なのかが分かっていても、ふと目にとまって焦ってしまう。
次第にやらなければならない項目ばかりが頭の中を行きかう。
でも、全部いっぺんに片付けてしまったら容易に躁転する気がして、気持ちをどうどうと抑えながら少しずつ。

週末に、夫が粗大ごみを物置に運んでくれて、少し気が楽になったそばから、今度は次の作業が浮かんでいる。
部屋の中にどれだけ使わないものをためこんでいたんだと何袋ものゴミをまとめ、空いたスペースに別のものを置いてみる。
同じ家にあったものなのに、少し位置が変わるだけで心に迷いが生まれ、また必要と判断したものを再度考えを巡らせる。
本当に必要なんだろうか、こんなものどうして大事にしまっていたんだろうか。

一人になると、止せばいいと頭では分かっているのに、まだ整理していないと扉を開ける。
処分すること自体は、よりよい生活に繋がるのだから、そこまで苦しくはないはずなのに。
しかし、作業中ともなると、動かす手も判断する頭もやたらめったら重いのだ。
よし、これは処分しよう!と決断できるのに、やっぱり自分の周りの空気は重苦しいまま。

まだ手つかずの場所、まだ判断できず保留しているもの、いらないのにまだ運べないもの。
部屋は、見渡す限り判断しなければならないものであふれていた。
少しでも早く、この気持を軽くしたい。
次の日も、その次の日も、ゴミはまとめらられ出て行くものもたくさんあるが、まだたくさんの物がある。
今現在も生活しているのだ、引っ越し先まで運ぶものもある、まだまだ引っ越しまで日がある、だから当然焦ることは必要ない。
周りからも大丈夫だ心配いらないと声をかけてもらうのだが、部屋に帰ってくるとまた不安がのしかかる日々だった。

約1ヶ月、細々と且つ計画的に、悩みながらも処分し、段々と棚や押入れや物置に空いたスペースが出来てきた。
やっと「これでいいんだ」と、まだすっきりしていない心持ながらも自分に自分で言い聞かせ、一区切りにすることにした。

次にやるのは、引っ越しの見積もりを取るという作業だ。
電話すれば、訪問してくれる。
この日を迎えるのが短期目標で、そのために片付けや処分をしてきた。
目標としてきたことが、重要だけどよく分からないままだったからこそ不安だったのだろう。
これまでの作業が苦しかったのは、その為だったのかもしれない。

電話をかけてから業者が見積もりに来てくれるまでの2日間、今度はインターネットやらでたくさん知識を入れて、後悔しない引っ越しのためにと、また各収納など再確認した。
いまの私が自分に声をかけてやれるのなら、「ジタバタしなさんな、あとはなるようになるから」か、「今の時点でやりすぎ、ぼんやり広い公園でソフトクリームでも食べてなさい」かな。
しかし、そんなことを言われたって、私というものは止まらないだろう。焦りモードにどっぷりはまってしまっては。

そして、見積もり当日。
きれいに掃除して、すべて確認してもらえるようにクローゼットの中も整理して。
直前になって、お客さん様のスリッパがないことに気付いたが、自分や夫のスリッパではみっともないからとゴミ箱の後ろに隠した。
まるで入試前かのような面持ちであったのではないかと思う。
ちらちらと時計で時間を確認し、落ち着くようにとおまじないする気持ちでタバコを吸った。

チャイムがなり、ドア越しに「はーい。」とできるだけ明るく言った。印象は良い方がいいでしょうから。
しかし、なにも返事がない。事前に電話をもらったのだから業者の人のはずなのだけれど。
「どちら様でしょうか。」とドア越しに聞くと、ボソボソとした男性の声で語尾の「です」しか聞き取れなかった。
玄関を開けての第一印象は「元気がない人」だなと、少し期待外れだった。

引っ越しについての話も、まったく私のペースなのだ。
私の話をさえぎることもないし、うまく表現できなくて言葉を選ぶ間も相手は一言もしゃべらない。
これは不思議な感覚で、相手を少しも感情的に見れない。そして相手がどう感じているかもわからない。
でも、この戸惑いは少しも負担にならないので、私は言いたいことは全部話せた。
また、私の感情も自然と出しやすくなっていて、最初から同じ態度であったその人がとても信頼できた。

その後の説明や見積もり計算など、心にさわやかな風が吹いた。
お金の話なのだが、銭計算というより、なんというか心のやりとりの語り合いなのだ。
見積もりが終わって、その人を見送って、部屋を振り返るとあの苦しかった部屋があたたかい部屋に戻っていた。
そして、私の魂も抜けて、じゃなくて、もとの魂がしっかりとあったのだった。

そりゃあ、もう、安心したの何のって!

余裕って大事なんだと再認識したのであった。
引っ越しなんぞに心を折られてたまるもんか!
抜かりなく楽勝に導いてもらうのに、私はやることをするだけだ。
なんか、自信ではないのだけど、それに似ている気持ち。

褒められたらどうする

2012-04-13 15:31:36 | Weblog
きのうのボランティアの集まりに、先日買った黄色い花のワンピースを着て行った。
正しく表現すると、黄色い花ではなく、黒地に大きい白い花いっぱいの真ん中が黄色のワンピースだ。
私がこの服を着て出かけるのは初めてなので、何と合わせるかクローゼットと鏡を何往復もした。
ちょっと恥ずかしいのと、新しい服のうれしさで、気合いをいれてわくわくしながら。

そして、みなが集まり、今年度の予定などの話が終わり、昼食休憩となった。
ここまでで、誰一人として、いつもよりおしゃれをしている私に気づく人はいなかった。
そりゃあ、目的はボランティアの活動ですものね、と仕方ないというか気づいて欲しがる自分はばかだなと。

いつものように、こっそり喫煙所でフードを被りながら一服してからコンビニへ行った。
サンドイッチが売り切れていたので、おにぎりをどれにしようか悩んでいたら、「ああ、気づかなかった」と仲間。
私もぼんやりしていたので「すいません、私おにぎりに夢中で気づきませんでした」。

集まりの部屋に帰ると、一瞬ばっと視線が集まった気がしたが、よく違う団体が部屋を間違えることがあるので
それを確認しただけだろうとコートをハンガーへかけてから席に座った。

そこへ「○○さん、あなた髪型変えたでしょ。すごく素敵、似合ってるわ。さっき誰かと思っちゃった。」と。
この人は、普段厳しく怖い印象の人なのだが、よく人を褒めてくれる気のいい人でもあって、しばし気まぐれのお世辞も言う。
だから、場の空気を壊さぬように、あえて否定はせず「あら~、本当ですか。うれしー」などと半分おちゃらけてお礼を言った。

すると、さっきコンビニで居合わせた人も「私もコンビニで隣にいたんだけど、どこのお嬢さんかと思ったの。」と言った。
お嬢さんって、さずがにそれはないでしょうと思うのだが、とっさに気のきいた切り返しが思いつかない。
「そんなことないですよ、またまたー」と今度は否定で言ってみたものの、他の人まで次々言葉をかけてくれた。

そのですね、あの、これは思いがけない展開なのですよ。
なんと答えると世間的な常識でありましょう。
そもそも、お世辞なんて謙遜で返すのがマナーざましょ。
でも、なんなんだ、この心地悪さ。

うう、私の唯一の他人と仲良くなれる場なんだけどな。
ちょっと年齢が離れているからって、半分からかっているのか、お世辞のやり玉?
あと、新しいワンピースでなく、髪型の方がそんなに影響しているのだろうか?
「みなさんがお素敵でらっしゃるんで、私も頑張ってみたんです~」とか返すのが望まれる?
そうではなく、相手が望むことなんて関係なくって、もはや返す言葉も態度も関心ないとか?

普通と言われる人々は、こんなことで立ち止まらないんだろうに。
私も、少し困った経験として片付ければいいのだろうに。
何かにつけて、社会にいなかった時間の長さに息をのむ。
せめて、社会で揉まれる新人社員の期間まで発病していなければとか。
まあ、こんなこと考えったって生産性はないし、たられば発想している時間なぞ意味がないんだから。
・・・ってことが、簡単に言えるような心の整理整頓はまだすっきりとは出来ない。
だから、今できることをするって言い聞かせてるのだけど。

心の整理といえば、今のところそして近い未来、私は子どもを産み育てる思いを止めると決断した。
30歳になったら、その決断をすると決めていた。
でも、事あるごとに、それは揺らいでいた。

マンションを決めるに当たっても、「もし養子を迎える日がきたら」という目でも見ていた。
今は望まない、でも何年か経って状況が変わったら、やっぱり考え直しそれが許されるなら。
先のことは分からないといわれるが、9割5分くらいで、私はそんな日を迎えない気がする。
そうなることを私は選んだ。私の意思でそうする。

「子どもを諦める」という表現は、あまりにもネガティブだ。
でも、仕方がないことだと知って甘んじて受け入れるという「諦観」なら、正面向いて先を見てるように思える。
このことについては、私はよく考えたし自分で納得していると知っている。

このことを褒められようと貶されようと、相手の望む答えに合わせる必要はないし一言では話しきれないのは明白だ。
誰もが納得して当たり前のこととして受け入れることなんて、突き詰めて考えたらないのかもしれない。
答えはないようで、自分次第だ。

社宅からの桜

2012-04-06 14:04:49 | Weblog
現在住んでいる社宅の廃止は決定となった。
思えば、私の初めての引っ越しがこの社宅だった。
衣装ケースに洋服だけを積んで、父と兄がそれらと私を車で運んでくれた。
5月のよく晴れた日だった。
夕方までに届くはずの照明器具が、なかなか来なくてハラハラしたっけ。

あれから、約8年。
今思えば、とても暮らしやすい社宅だった。
朝も昼も夜も、穏やかで心地よいので気に行っていた。
だから、この社宅の近くに引っ越したいと思えたのだろう。
実際、この近くに引っ越していく人は少なくはない。

だけど、私たちの部屋から見える公園の桜も今年が最後。
社宅の敷地に入らないように毎年剪定されてしまうので、近くにあるのは花の少ない背だけが高い桜。
公園の中で一番遅くに花づくその桜が、今日ようやく満開となった。
だから、今日は部屋から窓越しに花見をしながらブログを綴る。

公園はいつもにぎやかで、それを嫌に思うこともあったけど、それでもよかったと今は思う。
朝早くは、犬の散歩。
8時を過ぎると、ゲートボール。
家事が一段落したお母さんと乳幼児。
小学校を終えて男の子も女の子も元気に遊ぶ。
夕方にはまた犬の散歩。
ベンチに座りぼんやり休んでいるご年配の方。
近道に自転車で通りぬける様々な人たち。
ここは昔、畑だったのだと教えてくれたおばあちゃん。
たばこを吸う中学生をびっくりするくらい大きな声で叱ったおじいさんと素直に謝った不良少年。

引っ越し先のマンションの部屋から、この景色と人々の行きかう様はもう見れない。
とても近くなので、思い立ったらすぐにこの公園には来れるのだが。
そう、距離の問題なのではないのだ。
ただ見えて聞こえている光景に、なんとなく私の気持ちに交流が生まれていたのだと思う。
そのぼんやりとしたものを失うのが残念でならない。それが、唯一の未練なのかもしれない。

でも、公園とはご縁があるのか、引っ越し先のマンションのすぐそばにも公園が出来た。
小さな公園なのだが、もう遊んでいる親子がいた。小さな公園だが、明るい雰囲気。
また、社宅の窓から見える集合住宅と似たような別の集合住宅がマンションの窓から見える。
それも社宅から見えるのと同じような角度で同じ数の棟なのだ。
偶然なのだけど、もし1年前だったら工事中で、この景色は完成していなかったらしい。
なんだか、不思議でありがたい。やはり縁というものを信じてしまう。
だからなのか、マンションに引っ越しても同じように穏やかに暮らせるように思う。

引っ越しは、もちろん楽しみだ。
新しい家具も買ったり、生活をイメージしたり。
心配なのは、躁転・鬱転。
うれしい刺激満載なのもストレスなので、どちらも注意するようにトリ先生からのお達し。
特に引っ越し直前に荷造りで頑張りすぎたり夜更かしで躁転することや、引っ越し後に一気に鬱に落ちる
パターンが多いというのだ。

だから、計画的に進めようと色々準備していたら、今度は夫からイエローカード。
家に帰ってくる度に部屋の中が片付きすっきりしていき、準備と称してやっていることのパフォーマンスが高いと。
私は、それっていいことばかりではないかと言うと、やりすぎているのがいかんのだということだ。

それからは、毎日朝食を済ませると二度寝の日々。
だいたいお昼に起きて、洗濯もそれから。
外出や買い物も控えて、ノンストレス生活を送ろうと目論んだが、やはりそう上手くはいかない。
やることがない時間がストレスになるのだ。

イラついてくるとトイレ掃除などの水回りを掃除したが、やりすぎて手がガサガサ爪ボロボロ。
気分転換にカーテンなどのパンフレットを開くも、真剣に検討しすぎてどうしていいか思い悩んだり。
何をやっているんだとその場を離れ、やたらとタバコの数が増える。
ああ、私本当に何やってるんだ。

粗大ごみを物置に移したら、部屋の中がすっきり。
本も捨てたし、もう取り合えずやるということがなくなった。
「週末に活動する代わりに平日は休むこと」と夫。
頭の中の活動は、平日だろうと止まらないんだが。

今朝、生理になったのでイラつきからは解放されると願う。
本当に躁転すると自分では分からないので気をつけねばと思うけど。
桜よ、私の思考に潔さをくれまいか。凛としてたおやかな心を。