グミの実のお味

私はグミの実を食べたことはありません。こちらは双極性障害の主婦、グミの実のブログです。

小さな約束

2012-11-07 20:22:14 | Weblog
前回をおさらいすると、同窓会気分で参加した友人の結婚式二次会にて、
誰とも会話が盛り上がらず、挨拶を交わす程度に終わったのに、
他の友人同士とあまりにも温度差が大きく思い悲しんでいた私。

悲しみつつ、当然何がいけなけなかったのか振りかえる。
「私は何も悪くない!」なんて割り切れない。
考えれば考えるほど自分を責め、そして責めきれず考えないようにする。
別に、叩きつけられる打ちしがれている訳ではないが、頭にふっと湧いてはしばらく纏わりつくようだ。
こんなことがきっかけで体調が悪くなりたくない。

まず、その日のうちに、夫にとてもコンパクトな内容にして報告した。
「そんなの気にすることないよ」と言われるも、まだもやもやしていた。
次に、翌日になってから、母に結構弱気な電話をした。
聞いて欲しいのが主なのにも関わらず、すぐに話を自分の過去に差し替え聞かせようとする母。
私はそれをすぐに遮り、他の人には聞かせたくないようなネガティブな考えを、
次から次へと思いつくまま吐き出させてもらった。
その後、帰宅した夫の会社での話を聞いて「へえ」「なんで?」など相槌を打っていたら、
ニコニコ話しかけてくれる夫をとても暖かい存在に感じ、このかけがえのない一人いればいいのだとじんわり思った。
すると、3日目になって急に、起こった出来事についてごく自然に、そう至った理由も仕方がないなと考え始めていた。
ぼんやり考えながら、家の中をくまなく掃除し、不用品も整理し、物が出し入れしやすくなるにはどうすればよいか
出したり組み替えたりしながら、余計な悪い気持ちをなるべく考えないように過ごした。

このことが私にとってのセラピーになったのかもしれない。
気持ちが落ち着いて、そういえば落ち込んだときに読む本があったことを思い出した。
少し汚れているその本は、何度か読んだはずなのに具体的な内容は覚えていなかった。
「自分らしくいられるための50の小さな約束」。
出版されたのは1998年で、いったいいつ買ったのだろうかと不思議に思いながら、
どんなタイミングでどんなことを感じていたのかと、パラパラとページをめくってみた。

驚いたことに、ほとんどのページに織り目のついていて、よく見ると折ったところをまたひらいた様なページもあった。
厚地の紙のページには、見開きの分だけ1つのテーマ(Lessonと題される「約束」)が書かれている。
きっと、このシンプルさとやさしくゆったりした文、そして落書きのような挿絵が好きだったのだろう。
読みながら、「ああ、同じことでつまずいているのか」と過去の自分に思いを馳せた(あまり思い出さないがいい気持ち)。
まるで、本当に大したことではなかったかのように、普段の自分の生活が帰ってきた。

4日目、心配した両親から「今日は仕事がないからそっちに行こうか?」と電話があった。
もう、ほとんどすっかり元気になっていたが、会いにきてくれるのは嬉しいので来てもらうことにした。
来客用の駐車場を借りたり、お茶菓子に評判のいいアップルパイを買って準備をしたが、
それより昼食の時間だったので少し冷蔵庫の中を確認するのがヒヤヒヤした。
だらだらしゃべったり、買い物につきあってもらったり、プランター菜園の間引きを教えてもらったり。
父は、言葉少なく「うん、元気そうでよかった。(ゆっくり頷き)よかった」とお墨付きをくれた。

そんなに心配することなかったのに。
でも、心配されて嬉しかった。



頻度少なきゃそんなもの

2012-11-05 13:41:16 | Weblog
先日、友人の結婚式の二次会に呼ばれた。
もちろん、出席したのだが、誰かに声をかけ一緒に行くとかしなかった。
電話連絡するのも気が引けたのは、たぶん他の仲間は披露宴から出席しているだろうから。
仲の良かった当時は大学生の頃で、それ以後は私は病気であまり会っていなかったし。
でも、それでも懐かしい顔ぶれに会えるのは楽しみだった。
友人の旦那さんがどんな人かも楽しみだった。
きっと、二次会からでもいくつかの輪に入って話も盛り上がるだろうと思っていたのである。

電車を乗り継いで、地図を見ながら会場に向かっていると、女の人に話しかけられた。
同じ二次会に参加するが、友人は皆欠席なので一緒にいてもいいかと。
それは心細いだろうし、私も一人みたいなものだから、じゃあ一緒に行きましょうということに。

会場は、おしゃれなレストランだったのだが、招待客の人数を考えるととにかく狭かった。
同じエレベーターに乗り合わした学生の頃の仲間に、その人を紹介したりもしたのだが何となく盛り上がらず。
私が今でも親しくしている友人は、受付で忙しそうで話に行けないし、盛り上がっている輪はほとんど知らない人だらけ。
スクリーンに映るおそらく披露宴で流した映像は、人が多くてほとんど見えない。
さっき知り合ったばかりの女の人も他の友人のところに行くよう促してくれるのだが、見渡しても向かえる場がなかった。

私だけこんなに疎遠だったんだと思った。
花嫁は次々と他の招待客を相手にしているし、その人と料理を食べながら、旦那さんの印象の話などしてた。
でも、あんまり盛り上がらないで話がすぐ尽きてしまうのだった。
しばらくすると、別の場所から移動してきた当仲間が「久しぶりー」と次々と声をかけてくれた。
嬉しいのだが、当たり障りのない話題だけで特別盛り上がらないで去っていく。
比較的仲の良かった仲間は、当時から現在の繋がりが太すぎて、ほとんど繋がっていない私の情報量では話題が続かない。
なんだか、こんなに懐かしくも楽しくもないのが、隣の今日であったばかりの女の人にも迷惑だろうし、辛く感じた。
申し訳なさと情けなさで、その人と一緒に楽しむというのが上手くいかないのも嫌だった。

ピザやデザートが美味しいとか、面白くもないゲームに夢中になっているふりをした。
たぶん、ああいう時間にもっとお互いの話を出して、花嫁のエピソードに笑って過ごせたらよかった。
あんまり自分に質問を求められたくなかったから、相手の話も盛り上がらないように返していたのかもしれない。
きっと、私と一緒にいることになって、「声かける人失敗したなぁ」と思っているんだろうって隣で感じた。
もしかしたら、そんなことなかったのかもしれないが、私は一人でいるより助かったので、申し訳なく思いながら隣にいた。
二次会が終わって、駅までの帰り道、ほっとしたのかその人と会話が弾んだ。
たった5分程度なのだけど、殻が取れたみたいに素直に笑ったり自然に話せて嬉しかった。

二次会という集まりに圧倒されていたのだろうか。
自分以外は、みんな普段会ったり結婚式に呼んだり呼ばれたりの関係だったように見えた。
所詮、年賀状だけの私とは絆が違うんだろう。
友人関係をおざなりにすると、ただのちょっとした知り合いに過ぎなくなる。
あの頃は、あんなに仲良かったのに、あんなに心地よかったのに。
病気で余裕がなかった時期もあったけど、そうではない時期にちゃんと大事にすればよかった。

そんな中、二人だけだが、もっと話したいなとかまた会いに行きたいと思える友人がいた。
そういう人とは、しっかり繋がっていたい。
なんにもなくなったという訳ではなかっただけよかった。

でも、本当は家に帰った時は鈍器で打ちのめされる程、頭の中がグラグラしていた。
本人としては、もうしばらく元気だし、純粋に仲間に会いたかったし、その自信もあった。
そういう期待が崩れて、疎遠にしたのは失敗だったと気づき、これからの方法を考えていく段階に来た。ということ。

うわぁーー!!それでも生きていくぞぉーー!!
友達が少なくても、その他大勢よりずっと大事にしてみせるぞー!

復習する

2012-10-25 16:24:08 | Weblog
「技巧的なことばかり意識しているようで、肝心の内容が入ってこない」。
これは、私がここ1年くらい言われ続けているアドバイスである。
頭で考えすぎないで、心で感じることで変わっていくのだそうだ。
私には、なぜ出来ないのだろう。

丁寧にやればいいというものではない。
耳を傾けている人が、疲れてしまう方がいけない。
話の内容や感動、または教えのようなものが伝わらないのはなぜだろう。
私自身がそれを理解していないのか。
もしくは、大事なところからズレているのかもしれない。

遠回りのようで、いろんな本を読むのが近道なのだそうだ。
心の栄養こそが、相手に伝えたい気持ちを膨らますのだろう。
共に楽しみ、相手から教えてもらう機会を重ねて成長する他ない。
どんなに完璧を目指して練習しても、相手のことを見据えていなければ失敗。
練習して作りこんだものをただ聞かせられるのは、相手に取って苦痛なのだ。
そう、相手に疲れさせてしまうだけの、ただの自己満足。
そういうことらしい。

まるで、体験したばかりの楽しい出来事を報告するように。
「ねえ、聞いてよ!すっごく面白いことがあったの!!それがね~、・・・」。
このような切り出しで発言したのは、いったいどのくらい前のことだろう。
楽しい思いを誰かに聞いてもらいたいと高揚したのはいつ以来だったか。
報告したい誰かは、いったい誰なのだろう。
私にとって、そういう存在は夫ではないかと思って来たのだが。

具体的には、飼っている猫を相手に練習してみてはどうかと言われた。
やはり、相手がいてこそだからである。
しかし、猫はどうなのだろうか。
猫というものは、話なんて聞くものだろうか。
それこそ、無理やり聞かせている姿勢にならないか。

こういうのを、「騙されたと思ってやってみる」というのだろう。
何とはなしに、猫の名前を呼んでみた。
すると、身体を舐めていたのをぴたりと止めて、私の方をじっと見た。
私も聞いてもらいたいものだから、
「これから、○○を語りたいんだけど聞いてくれる?」
と話しかけた。
猫はそのままじっと私を見つめたままだったので、少し驚きながらも嬉しかったので語り始めた。

まず、タイトルから口に出すと、途端に猫の目が益々私を見つめたように見えた。
私には、聴いてくれているように思えたので、続けて語り出した。
猫は、食い入るように真っ直ぐに私の目を見つめる。
すぐに飽きてどこかに移動するのかもしれないと予想していたが、本当によく聴いてくれているようだ。
ついに私は、9分近くの話を語り通すことが出来た。
不思議とドキドキしたりかわいい相手に微笑ましくなったり、あったかい気持ちが心地よかった。
語り終えおしまいになると、猫は再び自分の身体を舐め始めた。
まるで、自分の時間に戻っていったように見えた。

まさか猫が最後まで話を聴いてくれるとは思わなかった。
それだけではなく、私も聞いてもらっている気持ちが続いたのに驚いた。
相手と同じ時間を共有する一体感。
謙虚で優しい気持ちで一緒にお話を楽しむというのは、このようなことなのかもしれない。
そのままでも楽しくて、余計な演出などする気も起きなかった。
今更だが、やっぱりいいお話なのだなあと改めて惚れ直した。

猫よ、ありがとう。
また聞いてくれると嬉しいな。

何ゆえ朝からだるいのか

2012-10-10 16:22:07 | Weblog
10月に入ってから、体力向上と減量を意識している。

でも、ダメ。
なぜか、思うようにいかない。
運動も生活も正しく整えたいが、さっぱり長続きしないのだ。

どうしても朝早くから出かけなければならない用事なら問題ない。
でも、おそらく3日連続がせいぜいだろう。
疲労なのかストレスなのか、跳ね返ってどろどろの眠気が数日続く。
それに負けじと無理に起きていると牛乳や物をぶちまけたり落としたり。

もう、朝から用事をこなした翌日には、あきらめて寝ているようにしている。
あと、大事な用事の前日には予定を入れない、もしくは午後に短時間だけにする。
それでも、少しは減量を意識して、なるべく7000歩は歩くようにしている。
胃腸科で、肥満解消には毎日7000歩歩くように、それだけでいいと言われたから。
この時から、歩数が足りなければ7000歩を目指し、7000歩を過ぎれば10000歩を目指すようになった。

筑波山と昭和記念公園へ行ったら、20000歩をカウントしていた。
どうりで疲れるはずだとも思ったけれど、歩くのはさほど身体にダメージがない。
歩け歩け作戦は、けっこう地味だが続けやすさ大のようだ。
これで、午後の眠気のない時間はなるべく歩くようになってきた。

家から出たくない、理由はよく分からないけど歩きたくない。
そんな日は、まずベランダに出てみることにした。
風が少し吹いていて、人の声や車の音が聞こえ、雲がうごく。
きっと、ベランダの私はキョロキョロして落ち着かないように見えるはずだ。
でも、意外と道路からは目立たない位置なので、知られてはいないと思う。
このように思うと、どこか安心して家をでることが出来たりする。
風が吹いているのと誰にも見られていないのが特にいいのだと思う。

「朝からだるい」とインターネットで調べると、たくさんの情報が出てくる。
精神科の薬のせいか、病状のせいでうつなのか、体内時計が狂っているのか。
低血圧からか、睡眠時無呼吸症候群か、他の病気の初期症状なのか。
単にカフェインや喫煙の影響なのか、むくみによるだるさなのか。
どれも当てはまりそうな気がするので、どこかで仕方ないかと思えてしまった。

この諦めてしまう感覚がよくないように思う。
そう思うけど、なかなかそこから先に進まない。
朝がダメだと、後に何をやっても挽回できないような気がするのも一つの要因。
でも、朝をすっきり起きていたい、朝から起きて生活して代謝を上げたい、朝から用事を済ませて自分の趣味に・・・。

って、朝に期待しすぎなだけ?
健康な朝は、欲張りな朝とは違うのかも。

満月の前

2012-09-28 17:26:26 | Weblog
満月の前後はイライラすると聞いたことがある。
何やら犯罪も増えるのだとか。
満月や月の引力の影響の一つらしいのだが・・・。

私は少し自信が増す位か怒りっぽいかなと自覚していた。
イライラは、生理前の方がよっぽどだし。
夜空の月を見上げると「早く満月にならないかな~」と願うし。

んがっ、本日より、嫌なことは全て満月のせいにしたいと思う。
なぜなら、一体全体どうなっているの!!という程に体調がおかしいのだ。
次の満月は、9月30日なので、本日は満月の2日前。
2日前といえど、絶対満月のせいに違いない。

朝は一度、早朝5時から目が覚めた。
強烈にのどが渇いて、尚且つ身体がふらふらしていた。
麦茶を飲んで、トイレへ行って、ベッドに戻ったが、いつもと違う感じがした。

朝の7時、目覚ましが鳴っても、頭の中がまるでどろどろに溶けたように意識が朦朧。
こういう表現は大げさなのだが、「どろどろ」というのが私の味わった感覚には一番近い。
何とか夫の出勤には間に合ったが、朝食は作れず、私も夫に遅れてシリアルをもそもそ食べた。
食べたところで、頭の中はどろどろの眠気は残り続け、夫を見送って再びベッドへ。

ところが、眠れない上に、やはり頭はどろどろ、加えて頻尿になった。
暑い、寒い、痛い、眠い、トイレ、ふらふら、どろどろ、暑い、寒い・・・。
眠れないので、時計を何度も確認するも、見るたびになぜこんなに長く続くのかと失望。
理由を思い起こしても、特別にどろどろするような事が思い当たらない。

鎮静系の薬の副作用だったのかとも思ったのだが、それにしても時間が長く強すぎるではないか。
なんとか、午後の3時ごろから、どろどろが回復してきた。
でも、今度はイライラが始まった。
食器を洗って、洗濯をして、掃除機をかけて、ごみをまとめて。
こういったごく普通の家事でも「翻弄」されるのだ。
頑張って自分で気持ちを切り替えようとするのに、ことごとく「もう、嫌ゃー!」と不快感に縛られる。
もう、何処も彼処も嫌悪を感じ、やることなすこと裏切られてしまうように思えた。

現在、夕方の6時を回ったが、じっと意識してみると、ほんの少し頭がどろどろしている。
せっかく、明日は山登りに行こうと計画していたのに、どろどろじゃ楽しめないじゃないか。
最近のコンディションは、良いところで安定していたというのに。

全ては、満月のせいだ。
しかし、明日のほうが、より満月に近い。
明日のほうが、より強くどろどろするのかもしれない。
もう全部、満月のせいだ。
うう、どろどろする。満月め。

お元気様です!

2012-09-11 16:43:36 | Weblog
「お疲れ様です」という挨拶を、あえて「お元気様です」に変換している人が居るという。
笑顔で「お元気様です!」と言われたら、私なら違和感と不快感から相手を疑いそうだ。
「お元気そうで嬉しいです」なら、自分が低迷した体調・心境であれ、相手の心のありようだから構わないが。

さて、現在の私は、すっかり「お疲れ」状態である。
胃カメラというので、胃に50以上のポリープが見つかった。
でも、問題になりそうな10mm以上のものは3つだけ。
よかったと思い帰ってきたが、家族に話すと私より驚くので、自分でも少し不安になってくる。
大丈夫、大丈夫。
問題なさそうだからこそ、結果は1ヶ月も先なのだから。

子宮頸がん検診(半年ぶり)では、懇切丁寧に病気の説明からしてくれた。
子宮頸がんは、正常から異常まで5つのクラスに分ける。
簡単にいうと、1、2は正常、3はグレーゾーン、4、5はがんである。
私は、3の段階らしいのだが、この3というグレーゾーンは、さらに2つに分けられる。
それが3aと3bであるが、大きく異なるのは手術が必要であるかどうかだと私は思う。
どんなに簡単なものだとと言われようと、「手術」には抵抗がある。
3bで手術で除去出来れば、それががんになることはない。
しかしながら、別の場所でまた他の異常が起こる可能性があるので、全然安心出来ないのである。
3~6ヶ月の検診がこれからも続くのかー、とうっすら考えると、なんだか肩の辺りが少し重い。

それとは別に、下痢と逆流性食道炎にもなってしまって、消化のよい食事レシピを貰ってきてちょこちょこ作っている。
材料はシンプルで簡単に作れ、予想以上に美味しい!
しかし、あまり消化がよいと、就寝前になるとどうしてもおなかが減るのだ。
寝る前の飲食は、逆流性食道炎の原因だといえるくらいダメなことなのだが。
なかなか改善しないのは、ご想像の通りであります。
下痢についてはバッチリで、かに道楽でもしゃぶしゃぶでも外食できるまでになった。
健康な時も苦手だった豚挽き肉などは、胃が受けつかないので腸には入っていかないのもあるかと思う。

しかし、胃や腸がダメージを受けると、顔のあごの近くに痛くてデカい吹き出物が多数出没。
女性ホルモンも不安定なのだろうか(子宮の中の件)。
いつもの敏感肌用の基礎化粧品を買うとき、それに気づいた店員がよく効くというドリンク剤をくれた。
気持ちが弱っていたのか、その高いドリンク剤の顆粒タイプ30包を買ってしまった。
ローヤルゼリー1000mg、GABA70mg、マカエキス50mg。

飲んだ翌朝、すこーんと目が覚める。疲れ感0%で、清々しいく身体もよく動く。
こんなに即効性があるなんて、ヤバいだろうか、・・・・躁転とか。
でも、毎日飲んで、毎日飛び跳ねているわけではなく、たまに寝込んでいるのでまあ続けている。
ニキビについては劇的な効果で、皮膚科で手に入る西洋薬よりよっぽど効くようだ。

総じて、なんとはなしに、少しづつ良い方へ回っているだろう。
鏡に向かって、小さな声で言ってみようかな、「お元気様です!」。

ちょっと休憩

2012-07-23 17:54:02 | Weblog
前回の診察で、セロクエルを減らすことをすすめられた。
理由は、私は少し鬱っぽいと思っていたのだけど、眠気も夕方から気分がいいのも、
料理中ミスをするものセロクエルの量が多すぎるからだとトリ先生の見解だった。

様子を見ながら調整しますと多いままの量を処方してもらって帰ると、やはり夫から減薬の反対が。
寝てる分には何も困らない、生活に慣れていないのだから休んでいればいいじゃないかと。
でも、寝ていて困らないのは、躁転はしないことであって、実際は家事に支障があるのだ。
夫は、洗濯も食器洗いもしてくれないし、掃除なんてまずやらない、最近はごみも出してくれない。
しかも、まだ開けていない引っ越しの荷物や掃除について、「やれ」とは言わないがことあるごとに口出ししてくる。
ということで、私にはやることがいっぱいあって、その日起きてからの仕事量ではこなし切れていなかった。

週末になって、やはりこのままではいけないと思い、土日だけセロクエルを減らす宣言をした。
もし、あぶないと気づくようなことがあれば、もとの量に戻しますとの条件つきだが。
朝は、けろりと起きることが出来た。
朝が早いと、用事のお出かけも早く終わるし、本当に余裕があるので機嫌もよろしい。
しかし、身体が慣れていなかったのか、夕方急に眠くなり3時間近く寝てしまった。
日頃、昼寝をしないので、ちょっとショック。
夫には、急に張りきるからだもっと休め休めと言われ、ムッとした。

そんなこんなで、本日、金土日とセロクエルを少なくして迎えた月曜の平日初め。
朝食作るね!なんて、前日話していたのに起きなかった。
正確に言うと、6時半ごろ目が覚めて、のどが渇いていたので麦茶を飲みながら、
「やっぱり朝食めんどう、シリアルで済ませちゃお」と先に食べてしまった。
確信犯で、朝食作りを放棄して、再び寝た。

夫が起きてもベッドから出ないで返事だけ。
平日に朝から起きていること、それが嫌になって、ゴロゴロ昼まで時間を潰した。
起きてみると、いったい自分は何をやっているんだかと幻滅しながら洗濯を始めた。

いつもなら、他にするのは1つか2つ。
でも今日は、特別に窓掃除をしてみることにした。
私にとって、窓掃除は気合の入った家事だ。うんと気合がないと出来ない。
始めてみると、とにかく汚れていたので夢中で磨く。
小さく「よいしょっ、よいしょー」と自らを鼓舞。
もう、たまらなく気分がよくなって、清々しさにもっと大変なことに手をつけた。
引っ越しの段ボールに入ったままの物や処分品の整理だ。
勢いがあるので、判断も勢いよく、手早く終えた。
手早く終わったのは、残っているのを「今度やろう」と後回しにする決断ができたから。
この辺りがぐずぐず悩みがちで一番のタイムロスになるので、強気の勢いは効率的処分にもってこい。

ああ、でも疲れた。
その時いくら気分が良くても、後で体力的に消耗しているものだ。
ちょっと休憩・・・、と色々な方法で休んでみたが、どうも今日はもう無理らしい。
まあ、こういう感じが安全なのだと、ゆるく行こう。
しかし、窓や整理された部屋を見るたびに気分がいい。
こういうのがないっていうのは、やはり、どこかで生活の支障になると思うのだけど。
掃除なんてしなくていいというのなら、私にとって掃除が心のオアシスになるということも知っておいて欲しい。

あと、寝室の窓をいつもの反対側を開けると、すごく風通しがいいことを発見した。
些細な発見の喜び、これも心のオアシスなんだろうな。
夕食を作るのが、どんどん面倒になってきたので、とりあえずお風呂に入ってみようかと気まぐれに立とうと思う。
やれやれ、長い休憩だった。

盆踊りにて

2012-07-18 16:32:40 | Weblog
午後の7時を過ぎたころのことだ。
自転車に乗っての帰路、和太鼓の音が聞こえてきた。
夕食は済ませていたので、少し覗いてみようと自転車をとめた。

公園なのか広場なのか、夜店の並ぶ中、中央に太鼓と盆踊りの輪があった。
踊っている人たちを見ていたら、珍しく男性もいた。
その男性は、少しぎこちない動きで、でも晴れ晴れしく踊っていた。
この人は、何らかの障害がある、とはっきり分かる。
私はすっかりみとれてしまった、時間にして10分ほどだったろうか。

かの男性は、おそらく小児マヒなのではないか。
男性の傍らには、重度のマヒと思われる子供がとても喜んでバタバタしていた。
そして、その車いすを押すのは女性。
よく見ると、そばに小学生くらいの女の子がいた。

この4人は、どういう集まりなのだろうと思った。
彼らの関係性を、私には結びつかせることができなかった。
でも、あの男性がただ単に楽しくて踊っているのではないことには気づいた。
あのエネルギーは、この切ないような気持ちは、なぜなのだろう。
ここで、屋台をまわってきた夫と合流した。


「あ、あの人、うちの会社で働いている人だよ。この辺に住んでたんだー。」
「本当?障害があるの?」
「うん、初めて会う人はびっくりするみたいだけど。」
「もしかして、家族で来てるのかな。」
「ああ、そうかもしれないねぇ。」

胸がいっぱいになった。苦しくもあった。
家族なんて、ちっとも思いつかなかった。
あの人は、子供たちのお父さんだったのだろう。
あの女性は奥さんで、健常の娘とと同じ障害のある息子。
その家族が、お祭りに来て盆踊りに加わっていたのだ、きっと。

無邪気に楽しむ息子と、晴れ晴れと力いっぱい楽しむお父さん。
奥さんは、息子が車いすから落ちないかと冷や冷やしながらも笑っていたように見えた。
娘さんは、傍に佇むように寄り添うように。でも嫌な顔はしていないように見えた。
こんな素敵な家族がいた。
想像もしなかった世界。というと大げさかもしれないが、感動した。
ああ、あんなにも力強くて暖かい、きっとたくさんのことを乗り越えただろう家族。

逆差別という言葉があるが、私もそういうものを持っている。
でもそれとはまた別に、一人の人とすれ違うのとその家族ごとすれ違うのは大きく違うようだ。
弱者として見守ろうと思っていた人こそ、とても強い気持ちを与えてくれる。
打たれたように、現状に甘んじていた自分に気づかされた。
何もかもが間違っているわけじゃないけど、見直した方がいいことがありそうだ。

翌日、夕方になってから、ランニングシューズを履いた。
走ってみようと思ったから。
運動なんて久しぶりで、すぐバテるんじゃないかと不安だったけど。
走ると、ゆっくりなのに風を切る。気持ちいい。
時間にして、15分ほどだったけど、少し穏やかな心持になっていた。

気温の高い日が続くようだけど、また走りたいと思う。
あの日、偶然あの家族に会えたことをよく覚えていたいから。


引っ越し、その後

2012-07-04 16:39:50 | Weblog
引っ越し完了。

引っ越しの当日、時間になっても業者が来ないので電話すると、
なんと業者が引っ越し日を間違えていて、今から手配するのだという。
担当者が日時の変更を伝え漏らしたのだ。なんだと、ばっきゃろー!

幸い、3tトラックに空きがあったので「すぐに調整します」とのこと。
10分経っても、1時間経っても、「すぐ」の連絡が来ない。
今日引っ越せなかったらどうしようと不安になりながら、2時間後ようやく連絡が来た。
もう、文句の一つでも言ってやろうと夫と電話を換わり、この不手際に見合う対処を期待する旨を伝えた。
正直、詫びの言葉が帰ってくるのを期待したのだけど、現地クルー(引っ越し作業スタッフ)がお話ししますの一点張り。
なんだか気が済まないし、私は裏切られたような気分で、礼に欠けるちょっと意地悪な対応で電話を切った。

でも、現地クルーたちが到着すると、その迅速かつ丁寧な仕事っぷりにちょっと感激。
ひょひょいと、重い本が入った段ボールを2つ持って、あっという間に運んでいく。
無駄な動きはないようで、その腕からは汗の粒がこぼれ、見る度に大きくなっていった。
部屋の中で、私たち夫婦はただただ圧倒され見とれ、邪魔にならないようにだけした。
大きな本棚は、買ったときはベランダから釣り上げだったのに、「大丈夫です!」と階段から運べるという。
無理と言われた階段を、少しずつ少しずつ角度や高さを調節しながら降ろして行った。

おお、これぞプロフェッショナル!!見事な微調整とチームワークだ。

荷物が積み終わり、今度は現地(マンション)に移動。
猫は、あらかじめマンションの浴室に避難させておいたのだが、時間が押したのもあり不満の鳴き声。
浴室内は、特に乱れた様子もなかったので、しばし撫でてからまた扉を閉めた。
そんなこともつかの間、もうクルーが到着した。

養生を手早く終え、荷物の搬入。
あらかじめ、見取り図と荷物の置き場、そして猫がいるので浴室は開けないように伝えておいた。
荷物の置き場は指定していたが、思っていたより場所を取る。
よし、すぐ使うものは出して、空いた段ボールは回収してもらおう。
そう思い立ち、なるべく邪魔にならないようにしながら、タッタカ片付け段ボールを空けた。
夫が、クルーの人がやりにくそうだから、帰ってからにしなよと意見するも、じゃあ出入りのないタイミングにするからと
なるべく箱が残らないように、ビリビリ段ボールの解包、ポイポイ収納、汚れても構わないものはベランダにトントン出した。

作業が完了して、リーダーが「(例の不手際の代償に)1万円引きしまして、○○円になります」と。
最後まで謝らないのかぁ、些細なことで値切られて嫌な客だと思っているのか。
目も合わさず、ただの清算というやりとりで終わる。
作業中の感動した気持が、しらけて曇っていった。
丁寧だったし、不愉快な言動もなく、やっぱりプロは頼りになると感心していたのだが。
私って私って、そんなに酷いこと言ったのかしら。そこまで嫌に思われて??
気持よく終われないと後を引く、このもやもや感…。
だめだ、気持を切り替えよう!

猫は、浴室の風呂の蓋の下で、数枚のバスタオルのさらに下、布製の猫小屋の下という場所に居た。
あまりの恐ろしさに潜れるだけ潜り込んだと思われる。
部屋に出してやると、何度か連れてきて馴らしたにもかかわらず、初めてきた日のように身を低くし、
しっぽは太く、「なーおぉぉぉ、んなぁ~おおぉぉぉ~う!!」と大きく鳴き続けた。
獣医のアドバイス通り、放っておいて(そっとしておく意)、しばらく片付けるとどっと疲れがでた。

これから、引っ越しの挨拶なんて、疲れてしまってとても無理だ。
それに、引っ越しが遅れたせいで、まだお昼も食べてないや。時計を見ると、いつの間にやら午後の4時。

夫は、「引っ越しそば!引っ越しそば食べよ!」と興奮していたが、お蕎麦屋さん準備中だろうし…。
そう私が渋っていると、それなら買ってこよう、コンビニでも行こうよと夫に連れて行かれた。
ああ、そんなに元気なら、買ってくるよう頼めばよかった。休みたい。

結局、夫はそばを買ったが、私はご飯ものを選んだ。
でも、とても満足げにそばを食べる夫を見るのは、嫌ではなかった。
視線に気づき、「やっぱり、そばが食べたかったの?」と聞く夫。
これには、ちょっと癒されたかもしれない。

なかなか慣れませんが、新生活に馴染めるようにコツコツと日々過ごしております。

10日前

2012-06-19 16:03:29 | Weblog
いよいよ、引っ越しまで残り10日となった。

残りの作業は、粗大ごみを捨てて、前日までに必要なものをまとめること。
後から開ければいい段ボールは、開ける時に効率よく作業できるように配置図を作成。
間取りの1/50スケールを描いて、家具の配置も切り張りして。

「業者さんですか?!」と夫はいう。むろん私は素人だ。
はりきっているのと楽しいの、そしてよく分からないのは不安だから。
押入れも物置も整然となり、あとは残りの少ない作業だけ。

でも、なんだか落ち着かない。
本棚の中身、サイドボードの中身、食器棚の中身はスカスカなのに。
荷物をまとめた段ボールも、一つも目に入らない場所に収まっているのに。
なんかこう、すっきりと休めないのだ。ゆったり過ごしたいのだけど。

近いだけあって、思い立ったらすぐにマンションへ移動や荷物の持ち込みが出来る。
たぶん、この距離感がネックなのだ。
いくつかまとめて1度にという考えなく、1つ思い立ったら出発してしまうから、
「ああ、あれを持ってくればよかった~」と戻り、また思い出して戻り、3往復していたりする。
こんな季節だから、晴れると「今しかない!」と余計に作業しまくり、お疲れ申すのだった。

全部、把握したい、何がどこにあってどうするかを。
でも、そんなにガチガチだと余計に不安になる。
ふと写真を整理していたら、社宅に入居した直後とその半年後のキッチンの様子がよく分かった。
今と全然違って、忘れていたけど、自然に変わって行ったようなのだ。
現在に至るまで、改良に改良を重ねて、いろいろ住みながら模索していたんだなと。

なぁんだ、最初から完璧になんて出来なくていいんだー。
とりあえず、生活できればいいかな、半年くらい慣れなくても変ではないかな。
ということで、キッチンについては「とりあえず」の精神を優先することにした。

あとは、引っ越し後に一時的な荷物置き場となる洋室をどうするかだ。
これを考えると憂鬱。きっと、部屋中が段ボールに埋め尽くされてしまう。
奥の窓際から、配列順に上中下とか書き込んでみたが、3列目で挫折。
押入れから段ボールを引きだして、頭で組み合わせを考えて、漏れがないようノートに記入。
段ボールを見つめながらもんもんと悩んで、「もうイヤー!!」とヒステリックにやめたのだ。

最善を尽くそうとしても、小出しで閃いたりしないものなんだな。
当日なんとかなる部分も多いから、そこまでしなくていいや・・・と思った。
でも、よく考えてみたら、私一人でよくこれだけ作業してきたもんだなと思えてきた。
だから、なんとかなりそいうだと、ほんの少しの余裕が生まれた。
でも、今日も小雨降る中、またもやマンションへ行ってしまった。大荷物を抱えて。

今日の大義名分は、週末に体験お泊りをするのに必要なパジャマや歯磨きセットなどを運ぶこと。
そんなものは、泊まる当日でもよかったのだが。
そんなことより、トイレットペーパーホルダーを設置し忘れていたことを思い出した。
ドライバーが社宅にあるので、またあきらめた。何度も同じことを忘れてしまう。
思いつくのが、優先順位とは異なるってことを肝に銘じなければ。

明日は、食器棚が届くので、それまで休憩する(はず)。