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首里城消失とは・・・

朝起きてテレビを点けたら、ちょうど首里城の火災のニュースだった。
ほんと、びっくりした。

2008年に訪れた首里城。

まさかこんなことになろうとは。

7棟が消失らしい。
ニュースを見てたら、本当に悲しくなった。

またこれから何十年もかけて復元していくのかな。
何か間接的にでも応援できたらなと思う。

復元されたらまた訪れたいと思う。それまで元気でいなきゃな。

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コメント
 
 
 
ただ、ただ、残念 (BK)
2019-10-31 20:26:45
私も早朝のニュース速報で見ました。
思った以上に妻は取り乱して、いろんな友人にメールを送っていました。
私と言えば、何を見るでもなく、崩れ落ちる姿に心が痛むばかりでした。

首里城というよりも、首里という町に住んだ者として、そこを歩き、そこで語り、そこで過ごした時間があります。それは大切といったものではなく、自分の人生の一部であるということ。首里で、より長く、より多く接した妻の気持ちをおもんばかることはできませんが、また、その場に二人で立ってみたいと思います。そして、そこから、また何かはじまると思います。
 
 
 
本当に残念ですね (Gakky)
2019-11-01 22:30:01
昨日は朝から心が沈んでしまいました。
今日は早く再建のめどが立って欲しいと思っています。元気に復活する首里城をいつか訪れてみたいです。それまで元気でいなければと思います。

我が家のような観光で訪れる者でもこれほど心が苦しくなるのに、もっと近くで触れ合ってきた人たちにとっては本当に無念なことでしょうね。BKさんご夫妻がいつの日か元気に首里城を訪れる日が来ることを願っています。

沖縄の人の思いは強いです。それの手助けになれればいいなと思っています。
 
 
 
人それぞれに・・・ (BK)
2019-11-02 16:21:43
再建したほうがいいのか、それとも新しい何かを探した方がよいのか、迷うところです。
私は、そこに大学の校舎があった時代を知り、その課程で火事があったり、整地したり、そして、首里城が建ったという時代を経験しています。
どちらかというと、琉球大学の校舎の間を抜けて、キリスト教女子短大の校舎に至って、そして、鳥堀の近くへと散歩した時代の方が思い出に残っています。
ただ、首里高に通った妻はそうではなくて、違った思いが錯綜しているようです。

中城城趾を歩くとき、当時と今の違いに驚かされることも多いですが、当時の面影が残っているところもあって、ふと、数十年の時代がさかのぼります。首里城の地もまた、面影が残る、そして人々の思いに応えられるような形になればいいなと思います。

今はただ、焼け落ちた地でもいいので、そこで何かを見てみたいと思う次第です。
 
 
 
Unknown (Gakky)
2019-11-02 17:31:23
やはり歴史的に重要なものだと思うので再建して欲しいなと思いますが、そこは沖縄の人たちが決めることかなと思います。やはり地元の人たちはいろいろな思いがあるんでしょうね。長い歴史の中では消失してそれで無くなってしまったものも多いと思いますが、琉球の歴史を残す意味でも再建がいいと思うのは、外野の意見なのかもしれませんが。首里城は日本の城と違って悲しい歴史も背負っていると思うので、それを残すとともに復元することにより沖縄に元気を取り戻すことになるのかなと思います。


今の跡地を見るのはちょっと勇気が要りますね。うーん、我が家は今度の本島の旅行の時にその機会があるといいのですが。
 
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