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第11回目「Zem(ゼム)」(ブルース喫茶) 東京・下北沢

2015年08月11日 04時36分00秒 | アーカイブス : ロック喫茶 ・ バー
by Mr.UNIVERSE

通っていた高校は、「明大前」駅近くだった。東京人はピンとくる場所と位置である。そして“絶妙な場所”である。
新宿、渋谷、吉祥寺のちょうど真ん中に位置していて、各繁華街に京王線と井の頭線を使って30分以内で行ける。
だけど明大前から一番近い“遊べる場所であり食と文化の拠点”といえば「下北沢」なのだ。

70年代から“若者の街”ではあったが、今ほど休日に10代の子供が溢れかえるような街では全く無かった。現在、再開発途中で小田急線は地下化され馴染みの踏切は無くなり、今後も都道が住宅街を貫く計画もあってどうなるか予想もつかない。

当時も地理的に幹線道路は、すぐ近くに無く高層ビル群もデパートもない街である。もうすぐ取り壊される駅前市場のような下町感覚と少し歩けば静かな世田谷区らしい住宅街があり、北口と南口にある商店街を中心に街の文化的要素もたくさんある地域であった。

小さ過ぎず、巨大過ぎず、移転前の本多劇場を筆頭に演劇小屋、古本屋、レコード屋、ジャズ喫茶&バー、ロックバー、ソウルバー、骨董屋など。食べ物屋から飲み屋なども、いくらでもある、ごった煮の街、1日居ても飽きない街。それでも昨今の、お洒落な古着屋や雑貨屋は、まだ少なかった時代である。

70年代中頃の高校時代、さすがに飲み屋には縁は無かったが、今度の土曜日の午後はどこに行くかな?という時の基本的な定番コースの1つは北口の下北一番街へ向かう。
まずは腹ごなし。とりあえず古書店の「白樺書院」(未だ健在のようだ)へ行き物色してから伝説の中華屋「蜂屋」。

ラーメン100円(その後150円)、餃子100円、炒飯200円、カツ丼と天津丼が一番高くて300円。味も、そこそこだったからいつも超満員。500円あったら学生でも満腹状態である。

一品だけ注文する客は皆無。ただし行列は出来ない。何故なら斜向かいに、味は多少劣るが、ほぼ同じ値段で対抗していた中華屋(名前は失念した)があったから。
ジャンクフードや牛丼やカレー等のチェーン店も無い時代には、この値段だけでも立ち寄れる。高校生風情には、じゅうぶん満足なのだ。

腹がくちくなったらすぐ隣のブルース喫茶「Zem (ゼム)」へ向かう。2階の入り口を入ると、明るい雰囲気だが古いパブのような店内。

以前の店を居抜きで改装した佇まい。トイレに行くときもミシミシいう鴬張りのような造り。だが、こういう造りが落ち着く。
記憶にないが御夫婦で経営されていたらしい、と当時買っていた雑誌「THE BLUES」誌の店のレメ[トに載っている。

建物は古いが73年に開店したということは通い始めた当時は、まだ1年しか経っていない。ということは、自分は常連候補の新参者の高校生だったようだ。

74年に開催された日本で初めての“本場のBlues”が聴ける「第1回ブルースフェスティバル」に行くきっかけを作ったのは、この店や「ニューミュージック・マガジン」、TBSラジオの「イレブン・サーティ・ブルース」だった。

ロバート・ジョンソンからマディ・ウォーターズまで、ここで出会った。それから約10年後の20代後半に懐かしくて入っていった、店はブルース喫茶から普通のスナック風飲み屋に変わっていたが、店の基本の構造は全く同じで懐かしかった。

当時の職場の忘年会の二次会で下北沢一番街のソウル・バーに行き、最後の締めで4~5人の女子も含む同僚連中と参上した。現在は、取り壊されて普通の小さなビルになっている。


コメント (3)
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