TOTOの元ベーシスト‘マイク・メ[カロ(Mike Porcaro 本名:Michael Joseph Porcaro)’が3月15日にALS(筋萎縮性側索硬化症)により亡くなりました(享年59歳)
4作目のアルバム「TOTOⅣ(聖なる剣)」発表後デヴィット・ハンゲイトの後任としてTOTOのベーシストとして加入
1982年から2007年ALS発症までの間、兄であるジェフとの絶妙のリズムセクションを築く
ジェフ急死後のサイモン・フィリップスとも熟練のコンビでTOTOの屋台骨を支えてきたマイク
残念ながら15日午前0時過ぎ、自宅で家族に見守られながら静かに息を引き取ったそうです
また一人、偉大なミュージシャンを失ってしまいました。
一時期、メンバーにメ[カロ3兄弟が在籍していた<TOTO>ですが6作目の「ファーレンハイト」発表後、末弟のスティーヴがツアーから外れ1992年8月5日、長兄のジェフが心臓発作のため38歳の若さで急逝
この時、ファンはもちろんメンバーも悲しみに打ちひしがれ今後の活動でさえ危ぶまれた時期でもありました。
それでも、4月に発売された8作目「キングダム・オブ・デザイアー」のツアーを慣行すべくサメ[トドラマーとしてサイモン・フィリップスを代役にたてて、ジェフ追悼ツアーを決行
スティーブ・ルカサーがGとVoを努める4人編成の新生TOTOで来日
今でも記憶に残る3時間超えのジェフ追悼ライブでアンコールでツアーに帯同していた「父」ジョー・メ[カロの挨拶には涙した事を思い出します
マイクはサイモンとのコンビネーションでしっかりと<TOTO>の屋台骨を支えバンドは1996年には再度4人編成で来日。
1999年と2002年の来日にはデビュー当時のボーカリストであるボビー・キンボールを迎えての来日公演
古き良き時代を彷彿とさせる楽曲あり、リメイクありのパフォーマンスで観客を魅了
多弦ベースの重低音をブリブリ言わせどっしりと構えたマイクの姿が印象的でした
しかし、2006年の来日では急遽ネイザン・イーストにベーシストが交代。。
何故だ?後で判明しましたがこの時既にALSを発症していたようですね。
この難病に立ち向かうべく治療に専念している「友」を励ますため、はてはALSの支援のために2010年、期間限定再結成ツアーを計画
嬉しいことに弟マイクの復活を願ってスティーヴ・メ[カロが復帰しての来日となりました
残念ながら観に行くことは出来ませんでしたが、素敵なライブだったことでしょう
19歳の時、ラジオから流れてきた「ホールド・ザ・ライン」に衝撃を受け彼らの足跡を辿りボズを知り、大学時代にエアプレイに嵌り社会人二年目で来日公演に初参戦
それ以来、都合9回のライブ参戦をしましたが、すべてが心に残るライブでした・・・by kazypaicy
4作目のアルバム「TOTOⅣ(聖なる剣)」発表後デヴィット・ハンゲイトの後任としてTOTOのベーシストとして加入
1982年から2007年ALS発症までの間、兄であるジェフとの絶妙のリズムセクションを築く
ジェフ急死後のサイモン・フィリップスとも熟練のコンビでTOTOの屋台骨を支えてきたマイク
残念ながら15日午前0時過ぎ、自宅で家族に見守られながら静かに息を引き取ったそうです
また一人、偉大なミュージシャンを失ってしまいました。
一時期、メンバーにメ[カロ3兄弟が在籍していた<TOTO>ですが6作目の「ファーレンハイト」発表後、末弟のスティーヴがツアーから外れ1992年8月5日、長兄のジェフが心臓発作のため38歳の若さで急逝
この時、ファンはもちろんメンバーも悲しみに打ちひしがれ今後の活動でさえ危ぶまれた時期でもありました。
それでも、4月に発売された8作目「キングダム・オブ・デザイアー」のツアーを慣行すべくサメ[トドラマーとしてサイモン・フィリップスを代役にたてて、ジェフ追悼ツアーを決行
スティーブ・ルカサーがGとVoを努める4人編成の新生TOTOで来日
今でも記憶に残る3時間超えのジェフ追悼ライブでアンコールでツアーに帯同していた「父」ジョー・メ[カロの挨拶には涙した事を思い出します
マイクはサイモンとのコンビネーションでしっかりと<TOTO>の屋台骨を支えバンドは1996年には再度4人編成で来日。
1999年と2002年の来日にはデビュー当時のボーカリストであるボビー・キンボールを迎えての来日公演
古き良き時代を彷彿とさせる楽曲あり、リメイクありのパフォーマンスで観客を魅了
多弦ベースの重低音をブリブリ言わせどっしりと構えたマイクの姿が印象的でした
しかし、2006年の来日では急遽ネイザン・イーストにベーシストが交代。。
何故だ?後で判明しましたがこの時既にALSを発症していたようですね。
この難病に立ち向かうべく治療に専念している「友」を励ますため、はてはALSの支援のために2010年、期間限定再結成ツアーを計画
嬉しいことに弟マイクの復活を願ってスティーヴ・メ[カロが復帰しての来日となりました
残念ながら観に行くことは出来ませんでしたが、素敵なライブだったことでしょう
19歳の時、ラジオから流れてきた「ホールド・ザ・ライン」に衝撃を受け彼らの足跡を辿りボズを知り、大学時代にエアプレイに嵌り社会人二年目で来日公演に初参戦
それ以来、都合9回のライブ参戦をしましたが、すべてが心に残るライブでした・・・by kazypaicy