minaの官能世界

今までのことは、なかったことにして。これから考えていきます。

デスノート完結編

2006年11月18日 | 映画鑑賞
☆映画館の状況
久しぶりに映画館に行った。
公開直後の3連休の最終日ということもあって、映画館はとても混雑していた。
しかも、そのほとんどはデスノートを観に来た人たちだ。

やはり、完結編公開直前に、前編を地上波放映したのが効奏したのだろう。地方都市の映画館にしては珍しい混雑ぶりで、あまりにの集中ぶりに混乱収拾のため、上映時刻を10分も遅らせる事態になっていた。
フィルムや映写機の故障などの物理的なアクシデントが原因となって映画の上映開始時刻が遅れたというのは記憶があるが、混雑が原因で開始時刻が遅れるなんてことは、わたしの知るかぎりでは今までなかったことだ。
しかも、今度の上映分はチケットが売り切れだというアナウンスが流れている。
わたしは焦った。
やっとの思いで、中学生の甥っ子(今やわたしに付き合ってくれる唯一の映画友達)を説き伏せて、映画館まで連れてきたのだ。
3時間も後の次の回なんて、待てるわけがない。
わたしは、チケット売り場の女の子に、
「今度の回は、もう1枚もチケットないの?」と訊いてみた。
「お一人様700円追加なさるのなら、プレミアムシートがあります。ただし、もうそんなに良いお席は残っていないのですけれど」
「あ、それでいいから、売って頂戴」
わたしは、即座に回答した。心の中では「ラッキー」と叫んでいた。
700円は痛いけれど、どうせ飲み物やポップコーンは買うのだ。
プレミアムシートは飲み物とポップコーン付だ。
その分のことを思えば、そんなに高くはない。
場内に入ってみると、良い席じゃないと言っていたけれど、全く問題なかった。
一般席と比べれば、はるかに良い環境だ。
中学生の甥っ子も満足そうである。
それにしても、本当に混んでいる。
全席指定だから、立ち見なんてことはないが、普通は、席のひとつやふたつは空いているものだ。
それが、上映が始まる頃までには、一般席もプレミアムシートも全て埋まっていた。
わたしは、こんなにびっしり満員の館内を見るのは、本当に久しぶりだった。

☆わたしの失敗
2作目というのは、なかなか1作目を超えられないものだ。
だから、完結編に対しては、期待は大きかったが、「それほどでもないだろうなぁ」と半ば諦観していたところがあった。
ところが、これは、良い意味で完全に裏切られた。
実におもしろかったのである。
こうなってくると、前編を映画館に観に行かなかったのが、悔やまれる。
あの時は、「最初から、前編、後編に分けるとは、なんてせこい映画だ」と敬遠したのだが、それが失敗だった。
これほどの内容ならば、1本にまとめるのは無理だ。
今の日本映画界では、1本5時間は許されないだろうから、どうしても分ける必要があったのだろう。

☆作品を彩るヒロインたち
デスノートには、キーとなる女性が登場する。
前編では、
ライトの恋人「詩織/香椎由宇」と

元FBI捜査官の「南空ナオミ/瀬戸朝香」である。

完結編では、
キラであるライトを「わたしの神様」と慕う「弥海砂/戸田恵梨香」と

キラ擁護派のニュースキャスター「高田清美/片瀬那奈」である。

彼女たちは、前編と完結編で好対照をなし、実に効果的に物語に投入されている。彼女たちに対するライトの行動を通して、彼自身がどのような人間であるかを表現しているのだ。
詩織は、普通の好青年であるライトを愛していた。そして、彼も詩織を愛していたはずだ。しかし、彼は自分の理想のために、冷徹な計算のもと、詩織を犠牲にする。
そんなことが、普通の人間らしい心を持った者にできるだろうか。
・・・彼は、本当に詩織を愛していたのだろうか。
彼は、愛されていると感じることも、人を愛することもできないのではないか。彼は頭脳明晰ではあるけれども、例えば、「この女と付き合うメリットは何か」などという判断がいつも頭の中にあって、ほとんど無意識状態でそんな損得計算をし、その結果、「じゃあ、この女と付き合おう」なんていう思考回路を持っているんじゃないだろうか。そんなふうに功利的にしか物事を考えることが出来ない男なら、わたしはいらない。
わたしは、彼の心に一種の奇形を感じたのである。すなわち、人間として一番大切なもの「愛情」が希薄なのではないか。

ナオミは独自の捜査で、ライトをキラであると断定し、恋人レイの仇をとろうとライトを追い詰めるが、ライトの策略に落ち、自ら命を絶つ。
ライトの策略とは、彼自身をナオミの標的にすることで、キラであることの疑いを晴らそうとするものであった。
詩織は、ナオミがライトを攻撃すれば、自らを盾にして、ライトを守ろうとするだろう。詩織には死んでもらう。罪のない詩織を殺してしまったとなれば、ナオミはその責任をとって自殺するだろう。
ライトは、冷徹にそう計算したのだ。そういう意味で、彼は、彼女たちの「愛情」というものを正確に把握している。
そして、それらを道具のように利用した。
ひとつは、詩織のライトに対する愛。
もうひとつは、ナオミのレイに対する愛。
ライトは愛という一番美しく尊いものをふたつもおもちゃにしたのだ。
ライトは、彼自身の考えどおりに物事が進んでいると思い込んでいたようだが、詩織がライトの盾になって命を落としたのは、デスノートの力なんかではなく、ライトを本当に愛していたからなのだ。
そして、ナオミが命を賭けて、ライトに勝負を挑んだのは、レイを心から愛していたからにほかならない。・・・仮面ライダー響、いつも観てました。


ライトの過ちと闇への転落は、愛の本質を理解していなかったからではないだろうか。ライトが死神につけこまれたのは、正にその点ではなかったか。
さぞかし、リュークにとって、ライトはおもしろい見せ物だったろう。
わたしには、今更ながら、死神リュークが憎い。

考えてみれば、リュークの退屈しのぎのために、デスノートはライトに与えられたのだ。死神に魅入られたライトに、もともと未来などなかったのかもしれないが、それにしても、ライトが哀れだ。
完結編では、この愛の対する問題が、第3の死神の登場によって、さらに鮮明に提示されることになる。

完結編の冒頭に、海砂がストーカーに襲われるシーンがある。
このシーンに、後に死神レムから語られる驚くべき秘密が隠されていた。

本来、海砂の寿命は、そこで尽きていたというのだ。彼女をずっと見守っていた第3の死神ジェラスが、彼女のことを哀れに思い、自らを犠牲にして、彼女の生き永らさせたというのだ。
わたしは、死神に愛された海砂というキャラクターに興味を持った。

☆死神に愛される海砂
しだいに人間らしい心を失い、功利的にしか物事を考えられなくなっていくライト。ライトは、それでも海砂に愛される。
海砂は、家族の仇をとってくれたライトを、自分の神様のように慕い、心から愛するのだ。ライトには、もう人を愛する気持ちなど残っていなかったのかもしれないのに、そんなライトを海砂は一途に愛したのだ。
健気である。
前編における詩織と対比してみると、その違いが判る。
詩織はキラ反対派だった。もし、詩織がデスノートのことを知ったら、きっとライトを止めただろう。ライトは、そんな詩織が邪魔になっていたのかもしれない。だから、殺した。
一方、海砂は死神の目を持ち、ライトの役に立ちたいと心から願った。だから、利用した。
換言すれば、海砂の愛情に対して、ライトは愛情で応えていないのだ。
海砂は、そんなライトに純粋に不満を表明し、ライトの気を惹こうとする。実に女らしい素朴な行動パターンだ。
それに対し、ライトは、
「僕が君とだけデートすれば、目立ってしまう。それを目立たなくするためには、君とデートするのと同じくらい他の女とも会わなくちゃならない。それでもいいのかい?」と答える。
「そんなのヤ~だ」と膨れっ面で答える海砂。
「それなら、ミサ、我慢する」

あああ、なんて愚かな、そして、なんて純情な。ライトは、海砂のことを、馬鹿な女、使い易い女としか思っていないのに。
考えてもみなさい。海砂は、既に、ライトのために「死神の目」を手に入れ、命を半分、差し出しているのだ。

これを純愛と言わずして、何と云えばいいのだ。ライトは、そのことをもう少し配慮すべきであった。功利的な判断に立ったとしても、これは、判断ミス、評価ミスと言わざるを得ない。このような、ライトの判断の甘さが、その後のLとの戦いに暗い影を落とし始める。
象徴的なのは、Lの残虐な拷問に耐え、やっと解放された海砂が、ライトの命令を受け取り、その命令を果たそうと苦悩するシーンである。
所詮ライトは、海砂のことを、恋人とか、せめて愛人とか、そんなふうには考えておらず、道具としか考えていなかったから、大学のキャンパスで知ったLの本名をデスノートに書けと指令する。
でも、強靭な男でも、あんな拷問・・・過酷な拷問に疲弊した海砂は死を覚悟し、「ライトを裏切ることになるくらいなら、いっそ殺して」と死神に頼むのだ・・・を受けたら、それ以前の些細な記憶なんて飛んでしまうだろう。

「そんなの無理だよ~」と嘆く海砂。
それは、わたしもそう思う。
ライトの誤算というか、思慮浅薄なのは、そういうところだ。賢そうで抜けている。まさに、機械的というか、人間らしい何かが欠落した判断、指令だと思う。だから、最終的にLに敗れ去る。
Lとライトの違いは、人間性を理解し、それを戦略に盛り込めたかどうかにかかっていたと言っても良いだろう。
ライトはデスノートを使うたびに、人間性が失われていき、戦略を誤り始める。
一方、海砂に残虐な拷問を実行し、罪の意識に捉われたLは、自分の命を投げ出し、ライトとの最後の勝負に出る。
このように全てが、海砂を中心に展開しているのだ。
わたしは、ふと、海砂は、人間の女の象徴として描かれているのではないだろうかと思った。
愚かで愛すべき生物。死神にまで愛されてしまう純朴さ。
彼女にとって、愛情の前には、全ての事象が色を失い、何の意味もなさなくなる。正に、わたしの理想とする女そのもの。
全ての真理を愛に直結させるのは、もはや女の業なのである。それを軽んじる者は、滅びるしかない。新しい生命を生み出すことができるのは、女だけなのだ。
海砂が死神に愛されたのは、生死を超越した何かが彼女にあり、死を管理する死神だからこそ、それに激しく反応し、彼女を放っておけなくなったからではないだろうか。

☆ライトの結末
さらに、ライトは、高田清美を第3のキラとして、利用するだけ利用したあげく、あっさりと殺してしまう。彼女もまたキラを崇拝する一人だったというのに。

このように、4人の女・・・海砂は、死神それも2人の死神の自己犠牲によって、命を長らえるが・・・の交わり方によって、ライトの心の闇の程度が判るのだ。もちろん、後半に近づくにしたがって、ライトの闇は深くなる。どんどん人間らしい心がなくなっていくのだ。

☆見所
大学在学中に司法試験に合格するほどのライトと、ライトとさほど年の変らないのに既に名探偵の誉れ高いLは、自他共に認める天才である。

完結編では、この2人の天才の対決が、前編とは比較にならないほどの高まりをみせる。特に、痺れたのは、海砂がライトの大学にやってきて、悪魔の目でLの本名を読み取るシーンだ。

ライトは、勝ったとガッツポーズをとりながら、海砂に携帯電話をかける。
ここで、悪魔の目をもった海砂がその時読み取ったLの本名さえライトに伝えてしまえば、それですべてが終わった。
しかし、意外にも、携帯電話に出たのは、Lだった。
Lは、すんでのところで、海砂の携帯電話を掏り取り、九死に一生を得たのだった。
ライトの「勝った」という台詞は、その後、何度か出てくるのだが、その度に、Lは間一髪で危機をすり抜ける。
何度も何度も攻撃をしかけるライトなのだが、どうしても攻めきれない。チェスでは、簡単にチェックメイトをかけられるのにと、次第に焦りがみえてくるライト。まさに、2人の戦いは激闘と表現すべきものだろう。

白熱した頭脳戦が繰り広げられ、わたしは、否応なく、デスノートの特別な世界にのめり込んでいった。

☆一番光っていたのは
それにしても、アイドルの海砂役を演じた戸田恵梨香が予想に反して(失礼!)、とても素晴らしい演技を見せてくれたのに、わたしは凄く感激した。

もし、この役が不発だったら、この作品の素晴らしい余韻も、半減したことだろう。
彼女のライトへの純真かつ一途な愛が表現できていたからこそ、成立した作品と言っても過言ではない。
もしも、彼女の演技がこれほどの好演でなければ、あまりにも、ライトの非情さや人間の愚かさが際立って、極めて後味の悪い作品になっていたのではないだろうか。
わたしは、主演の2人、藤原竜也と松山ケンイチがお目当てで観に行ったのではあるが、今回の作品で一番良かったのは、間違いなく戸田恵梨香である。
わたしにとって、それは思いがけない収穫であった。
凄くおもしろかった。
前編に引続いて、完結編にも、評価は最高のハート3つを差し上げたい。


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9 コメント

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TBありがとうございました (ミチ)
2006-11-19 10:43:58
こんにちは♪
前編の最後にちょっと出てきたミサミサがあまりに稚拙だったので、後編を心配していました。
ところが、彼女頑張っていましたね~。
心配は吹っ飛びましたよー。
ミサミサとLの人物造形が良かったので後編も見応えあったと思います。
女性たちはムダにアンヨを見せるシーンが多かったですね(笑)
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ミチさんへ (mina)
2006-11-19 13:12:58
Lの使っていたティーカップ、ウェッジウッドだったのかと今更ながら、感心しました。よくぞそこまで気付かれましたね。
わたしも、同じようなものをもっていますが、使ったことがありません。
だって、紅茶を淹れるのが面倒なんですもの。大抵は、ペットボトルで売ってる午後の紅茶ロイヤルミルクティ。風情も何もあったもんじゃないですね。それを、どくどくっとマグカップに注いで飲むだけ。
やっぱり、オレンジペコかダージリン、アールグレイなんかをウェッジウッドのティーカップに注いで飲むのが、正統でしょうね。
そう言えば、片瀬那奈のアンヨ、嫉妬するくらい綺麗でした。昔、よく踊りに行っていた頃、彼女の歌♪ダンダンダン、撃ちまくろう、ダンダンダン♪がよく流れていたなあ。確かGALAXYという歌。もう、何年前かしら。
返信する
こんにちは (ノラネコ)
2006-11-19 15:26:04
戸田恵梨香は良い意味で期待を裏切ってくれました。
正直いって、前作でチョイ出てきた時には、一体どうなる事かと思ったんですけど(笑
ところでプレミアシートに飲み物とポップコーンがついてるのを始めて知りました。
何しろ安く観る事しか考えない物で、プレミアシートなんて飛行機のファーストクラスくらい縁遠い物と思ってましたが、おまけつきなら案外お得ですね。
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ノラネコさまへ (mina)
2006-11-19 21:10:08
わたしの住んでる街は、田舎ですからね。
元々、東京みたいに混むことがないし、行列を作るなんてこともめったにないんです。
それが、たまにそういう状態になると、パニックちゃうのです。で、プレミアムシート。
ファミレスでも、順番待ちをすることは、ほとんどありません。
そう言えば、東京に住んでる時は、いつも順番待ちしてたなぁ。
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こんばんは! (猫姫少佐現品限り)
2006-11-28 00:04:37
きゃ~! すごいレビュー、、、
恥ずかしながら、見てきましたので、
TB致します。
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Unknown (たすけ)
2006-12-07 16:58:30
>「そんなの無理だよ~」と嘆く海砂。
>それは、わたしもそう思う。
>ライトの誤算というか、思慮浅薄なのは、そういうとこ>ろだ。賢そうで抜けている。

この箇所ですが、映画も原作通りの設定であれば、
ライトは、ミサが大学で見たLの名前はもう憶えて
いないであろうことも想定した上で、自ら監禁される
計画を立てています。
憶えていたら一番良いが、憶えていなくてもミサの
性格から再び死神の目の取引をするであろう と
いうことまで想定しています。
記憶が戻った後でミサにリュークが憑き、ライトに
レムが憑くように仕掛けたのはその為です。
(レムに二度目の取引を依頼してもレムは断るで
 あろうから)

なのでライトの誤算ではなく、想定範囲内のはずです。
原作を読んでいらっしゃればこの事は解ると思います。
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たすけさまへ (mina)
2006-12-09 17:04:48
コメント、ありがとうございます。
原作を読んでいないので、映画だけの感想になってしまいました。
映画には映画のシナリオがあり、多分、原作とは違う結末の迎え方だったのじゃないでしょうか。
時間がとれれば、是非、原作も読んでみたいと思います。
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Unknown (hands)
2008-02-12 13:17:48
私の思っていることをすべて文章にしていただきまして改めてすごい文章力に感激です。
松山ケンイチという俳優さんは知らなかったのですが
この映画でおそまきながら存じ上げました。
自分の稚拙なブログに、Lの役は以前だったら窪塚くんが
よかったのではと思うとかきこみました。松山くんは彷彿
とさせますね。








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handsさんへ (mina)
2008-02-17 08:31:51
コメントありがとうございます。
わたしも、デスノートを観るまでは、松山ケンイチのことは知りませんでした。
ローティーンに凄く人気があるようですね。
L最後の23日間を観に行って、思い知らされました。
私事ですが、最近、体調を崩し、まともにブログを書けていないのに、ご訪問頂き、ありがとうございました。
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