ヒロミ(小雪)がどうなるのか、その一点が気になって仕方がなかった。
薄倖の女っていうけれど、まさにそれを絵に描いたような女、それがヒロミである。
その結末を確かめに、映画館に足を運んだ。
これから観る方もいらっしゃると思うので、結末は敢えて書かないけれど、わたし的には大満足の結末だった。
1作目もそうだったが、泣き所が何か所もあって、その度に涙が溢れてしまった。
1人で観に行ってよかった。誰かと一緒だったら、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔が恥ずかしくてどうしようもなかったろう。
☆びっくりオープニング
入る箱を間違えたのかと思った「衝撃」のオープニング。
でも、久しぶりに「ゴジラ」を観ることができて感動した。FINALのゴジラよりも、動きがリアルだったような気がする。こうなると、もう一度、あの雄姿を見てみたいような・・・・・・。
それはともかくとして。
「怒髪天を衝く」を言うけれど、ホントに髪の毛が逆立っているんだもの。「ぷぷぷっ」て噴き出してしまった。
☆小説は誰のために書くものなのか
劇中のことではあるけれど、茶川(吉岡秀隆)と共に苦悩し、小説を書く動機は何なのか、考えさせられてしまった。
茶川はヒロミと淳之介(須賀健太)の3人で一緒に住むために、一度は折った筆を再び握る。芥川賞を獲れば、淳之介の実父である川渕(小日向文世)にも認めてもらえ、淳之介と一緒に暮らしていける。その一心で、彼は懸命に小説を書くのだった。
小説を書き上げた朝、鈴木社長(堤真一)に「どうなんだ」と訊かれ、「今までで一番の駄作を書いてしまったかもしれない」と自信なげに答えた茶川の気持ちは何となく判る。自分の気持ちをそのまま吐露した作品であり、願望を小説の世界の中で叶えたものだったからだ。
彼の書いた作品「踊り子」は、最終選考には残るものの惜しくも受賞を逃してしまう。
それでも、その小説は多くの読者の心を打ち、「純文学なんて、かったるくて読めるか」と言っていた鈴木社長もその奥さん(薬師丸ひろ子)もロク(堀北真希)も、そして、下町のみんなが密かに彼の書いた小説を読んでくれていて、「いい話だった」「心が温かくなった」と絶賛するシーンでは涙が止まらなくなった。
鈴木社長が川渕に「読みもしないでこいつに才能がないなんて言うな」と迫る場面では、声をあげて泣きたくなった。
茶川の小説を読んだ川渕は、「君らしい小説だ。しかし、甘いね。現実ではこんなハーピーエンドは起こらない」と冷たく突き放す。
それに対して、茶川は「判っています。現実は・・・・・・」と答える。最後の戦いに敗れ、失意のどん底にいるのに、彼は自分のことよりも淳之介やヒロミのことを考えていた。その潔さと優しさにわたしは参ってしまった。
そして、淳之介に川渕の許で暮らすことを諭すシーンになる。ここで泣かずして、どこで泣くのだ。クライマックスシーンである。
この小説は、茶川がヒロミに宛てた一世一代のラブレターだったのだと思う。こんなものを書かれたら、送られた相手は無条件降伏しかないではないか。わたしも芥川賞候補になるほどのラブレターを貰ってみたいものだ。
☆思いやりの大切さ
この作品に一貫して言えるのは、「思いやり」の大切さである。
ヒロミが茶川の前から姿を消し、大阪のお金持ち(渡部いっけい)の許に行こうと決心したのも、「わたしみたいな(身を堕した)女が彼と一緒にいたら、彼の迷惑になる」という健気にして哀れな心情からだった。自分のことよりも、茶川のことを思って身を引こうとしたのだ。
踊り子仲間の梅子(手塚理美)は、現実の厳しさを教えるために「夢みたいなことを言ってるんじゃないよ。あたいらみたいな世界に住む女が、まっとうな世界に住む小説家先生と一緒になれるわけがないじゃないか」ときついことを言ったものの、それでも茶川の小説のモデルがヒロミであり、茶川が本気でヒロミのことを愛していると判ると、餞別にその小説の掲載されている雑誌を贈る。それを読んでから、どうするか決めなさいと言いたかったのだろう。このへんのやりとりは、昔の人情話のようで、泣けてきてしかたがなかった。
今の世の中は、世知辛くて、薄情で、殺伐としているけれど、なんとかこういう温かみのある思いやりの心を取り戻して欲しい。
☆久しぶりに泣けたので、ハートは最高の3つを差し上げたいと思います。
☆追伸
映画館まで足を運んでも、なかなかレビューを書く気が起こらない。でも、続・三丁目の夕日だけは、書いてみようかなーなんて思った。
それくらい泣けた。土曜日に観て、翌日にUPしているのは、最近のわたしとしては、凄く早い。先週観たバイオハザード3や自虐の詩なんていつになるか判んない。
CGは実によくできていて、違和感がなかった。派手な特撮よりもこういうCGのほうが、役に立つような気がする。日本橋近くに勤めていたことがあるので、橋の上の街灯がとても懐かしかった。東京に行きたい。
父親が破産して鈴木家に預けられた美加ちゃんのエピソードは、実体験とオーバーラップして、胸が痛んだ。
薄倖の女っていうけれど、まさにそれを絵に描いたような女、それがヒロミである。
その結末を確かめに、映画館に足を運んだ。
これから観る方もいらっしゃると思うので、結末は敢えて書かないけれど、わたし的には大満足の結末だった。
1作目もそうだったが、泣き所が何か所もあって、その度に涙が溢れてしまった。
1人で観に行ってよかった。誰かと一緒だったら、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔が恥ずかしくてどうしようもなかったろう。
☆びっくりオープニング
入る箱を間違えたのかと思った「衝撃」のオープニング。
でも、久しぶりに「ゴジラ」を観ることができて感動した。FINALのゴジラよりも、動きがリアルだったような気がする。こうなると、もう一度、あの雄姿を見てみたいような・・・・・・。
それはともかくとして。
「怒髪天を衝く」を言うけれど、ホントに髪の毛が逆立っているんだもの。「ぷぷぷっ」て噴き出してしまった。
☆小説は誰のために書くものなのか
劇中のことではあるけれど、茶川(吉岡秀隆)と共に苦悩し、小説を書く動機は何なのか、考えさせられてしまった。
茶川はヒロミと淳之介(須賀健太)の3人で一緒に住むために、一度は折った筆を再び握る。芥川賞を獲れば、淳之介の実父である川渕(小日向文世)にも認めてもらえ、淳之介と一緒に暮らしていける。その一心で、彼は懸命に小説を書くのだった。
小説を書き上げた朝、鈴木社長(堤真一)に「どうなんだ」と訊かれ、「今までで一番の駄作を書いてしまったかもしれない」と自信なげに答えた茶川の気持ちは何となく判る。自分の気持ちをそのまま吐露した作品であり、願望を小説の世界の中で叶えたものだったからだ。
彼の書いた作品「踊り子」は、最終選考には残るものの惜しくも受賞を逃してしまう。
それでも、その小説は多くの読者の心を打ち、「純文学なんて、かったるくて読めるか」と言っていた鈴木社長もその奥さん(薬師丸ひろ子)もロク(堀北真希)も、そして、下町のみんなが密かに彼の書いた小説を読んでくれていて、「いい話だった」「心が温かくなった」と絶賛するシーンでは涙が止まらなくなった。
鈴木社長が川渕に「読みもしないでこいつに才能がないなんて言うな」と迫る場面では、声をあげて泣きたくなった。
茶川の小説を読んだ川渕は、「君らしい小説だ。しかし、甘いね。現実ではこんなハーピーエンドは起こらない」と冷たく突き放す。
それに対して、茶川は「判っています。現実は・・・・・・」と答える。最後の戦いに敗れ、失意のどん底にいるのに、彼は自分のことよりも淳之介やヒロミのことを考えていた。その潔さと優しさにわたしは参ってしまった。
そして、淳之介に川渕の許で暮らすことを諭すシーンになる。ここで泣かずして、どこで泣くのだ。クライマックスシーンである。
この小説は、茶川がヒロミに宛てた一世一代のラブレターだったのだと思う。こんなものを書かれたら、送られた相手は無条件降伏しかないではないか。わたしも芥川賞候補になるほどのラブレターを貰ってみたいものだ。
☆思いやりの大切さ
この作品に一貫して言えるのは、「思いやり」の大切さである。
ヒロミが茶川の前から姿を消し、大阪のお金持ち(渡部いっけい)の許に行こうと決心したのも、「わたしみたいな(身を堕した)女が彼と一緒にいたら、彼の迷惑になる」という健気にして哀れな心情からだった。自分のことよりも、茶川のことを思って身を引こうとしたのだ。
踊り子仲間の梅子(手塚理美)は、現実の厳しさを教えるために「夢みたいなことを言ってるんじゃないよ。あたいらみたいな世界に住む女が、まっとうな世界に住む小説家先生と一緒になれるわけがないじゃないか」ときついことを言ったものの、それでも茶川の小説のモデルがヒロミであり、茶川が本気でヒロミのことを愛していると判ると、餞別にその小説の掲載されている雑誌を贈る。それを読んでから、どうするか決めなさいと言いたかったのだろう。このへんのやりとりは、昔の人情話のようで、泣けてきてしかたがなかった。
今の世の中は、世知辛くて、薄情で、殺伐としているけれど、なんとかこういう温かみのある思いやりの心を取り戻して欲しい。
☆久しぶりに泣けたので、ハートは最高の3つを差し上げたいと思います。
☆追伸
映画館まで足を運んでも、なかなかレビューを書く気が起こらない。でも、続・三丁目の夕日だけは、書いてみようかなーなんて思った。
それくらい泣けた。土曜日に観て、翌日にUPしているのは、最近のわたしとしては、凄く早い。先週観たバイオハザード3や自虐の詩なんていつになるか判んない。
CGは実によくできていて、違和感がなかった。派手な特撮よりもこういうCGのほうが、役に立つような気がする。日本橋近くに勤めていたことがあるので、橋の上の街灯がとても懐かしかった。東京に行きたい。
父親が破産して鈴木家に預けられた美加ちゃんのエピソードは、実体験とオーバーラップして、胸が痛んだ。
それはそれで、楽しめるのであれば、庶民の娯楽としてよいと思うのです。
しかし、それで洗脳されてしまうのだとすれば、ちょっと悲しいですね。
貧富の差が拡大して2極化するだろうことは、昔から言われていましたが、最近は随分と露骨になってきました。来年は、消費者ローンの総量規制が始まるそうです。これって、日本経済が破綻した土地取引に関する貸金の総量規制を連想させます。
裕福な生活を送っている資産家層で形成されている政治家や官僚たちには、庶民の生活ぶりが理解できていないらしい。
もし、総量規制が実施されれば、2百万人以上といわれている多重債務者たちは、一斉に破綻するでしょう。職を失い、路頭に迷う者も出てくるでしょう。
あのバブル崩壊時以上の厄災が日本に襲い掛かってくるかもしれません。
バブル崩壊は、人的災害です。
当時の日銀や大蔵省の政策は間違っていた。
アメリカは、あの時の日本の失策の二の舞だけはするまいとサブプライムローン問題に立ち向っていますが、日本もそうあるべきなのです。
もう一度、同じ過ちを犯そうとしている施政者たちは、本当に無能で悲しいです。
浜ちゃんの方が、映画も漫画も、本数観てるかな。
どちらにしろ、シリーズ化してほしいなぁ。
最近は映画館に行ったり、DVDを借りたりと、ひたすら観まくってます。
やっと「ホリディ」「シューター」「さくらん」を観ました。まだまだ観足りないっ。
三丁目2も自虐も、まだ見てないんですけど、
がばい婆ちゃんからこっち、貧しさ礼賛、というか、
貧乏な生活の中にも何か価値を見つけて真面目に明るく懸命に生きて行きなさい、というメッセージのありそうな作品が目立つのは、
富裕層の味方の政治家たちが(コイズミを代表とする)、この先の庶民痛めつけ政策の一環として、大衆洗脳をじわじわ行っているのではないか‥、と思えてならない僕は、やはりひねくれ者なのでしょうか?
相変わらず豪奢な生活をする富裕層はそのまま維持し続けているのに、一般大衆はますます貧しくなり、メディアを通して、物質の豊かさじゃない心なんだよ、と無理やり思い込まされて行ってるよーな気さえする。
コメ百俵とか言ってたコイズミの陰謀がまだまだ続いているんではないでしょうか。
貧乏のひがみの考え過ぎかなあ。
なんだか、永遠に続く感じ、、、
最初のゴジラのシーンなんて、寅さんそのものだったわ。
確かオリオン座という名前の映画館があったような気がします。
そして、ホントにたまですが、帝国ホテルの喫茶店・・・めちゃめちゃ高級な雰囲気のお店だったような気がします・・・でお茶した記憶があります。
この作品を観ていると、ふっと昔の記憶が、と言っても、平成ですが、蘇りました。
あのオープニングも含めてですが。
茶川さんの物語は見事に完結しましたが、この世界はまだまだ色んな可能性を持っていると思うので、次を期待したいです。
ジーンとくるエピソードがいっぱい散りばめられていて、宝石箱のようです。
鈴木社長が同窓会から自宅まで連れ帰った戦友は「蛍」だったんだなーと、今更ながら思い出したりしています。
泣けたけど、思ったほど笑えなかったのが難点。
笑いながら泣いて、泣きながら笑う・・・
3丁目の夕日ってそんな印象だったんだけど・・・
最近、gooにTB打てなくなってますm(__)m
コメントのみでゴメンなさい。