前回のブログ:東海道五十三次② 川崎宿→生麦 2020
コロナ禍で引きこもり状態で随分空いてしまいました。死ぬまでに京都まで行けるでしょうか・・(苦笑)
2月に東戸塚まで歩いてきました。
前回は生麦まで歩き、その最寄り駅の新子安まで歩いたのでここからのスタートです。
しばらく第一京浜と呼ばれる国道を進みます。
ふと一本内側の道の方に目をやると何か解説のようなものが見えました。
それは宿場町の入口にしばしば作られた土居(桝形)の説明とオランダ領事館跡、長延寺跡の説明でした。
今は公園となっています。公園内にはそれを示す碑がありました。
ここが神奈川宿の入り口というわけです。
次に良泉寺が現れます。先ほどの長延寺がオランダ領事館だったように、お寺が領事館として充てられたようです。
しかし、それを良しとしなかった良泉寺は本堂の屋根を壊し、修理中なので対応できないとした話が残っているそうです。
目を惹く雰囲気のあるお寺でした。
また一本内側の道に大きなタイル張りで出来た解説が見えました。
この一帯の街道沿いの古地図絵でした。大概書というようです。
そこには現在の駅や公共施設の位置も記されていて、今いるところが海であることを知ることが出来ました。
説明には上無川が神奈川という地名の由来との話が出ていました。
先ほどの大概絵図にも記されていた滝の川の橋を渡ります。
この橋は同じ場所にあったようです。
この橋挟んで江戸側には神奈川本陣、反対側に青木本陣が置かれていたそうです。
この橋のすぐ脇には現在の地区センター的役割の「高札場」があったそうです。
渡ったすぐ近くにある宗興寺には開港当時アメリカ人宣教師でヘボン博士ここに施療所開いたそうです。
ヘボン博士???なにか聞いた覚えが。。
そうローマ字!!和英辞書や聖書の翻訳など日本の教育に尽力した方だそうです。
ヘボンとは愛称で本当はヘップバーンさんとのこと。
そんな人が横浜と所縁があったとは。
境内には立派な碑もありました。
このお寺の横には「神奈川の大井戸」というものがありました。
大井戸というには普通サイズに見えましたが浮世絵図にも記されている井戸は確かに大きい物の様でした。
先ほどのヘボン博士もですが、徳川将軍のお茶の水に充てられたそうです。
井戸の水量の増減によって翌日の天気を知ることが出来たそうで「お天気井戸」とも呼ばれたそうです。
幸ヶ谷町学校のお魚フェスティバルの楽しい壁画を見ながら次の角を右に入ります。
その先に「洲崎大神」神社が現れました。
丁度、神奈川宿ウォークが開催されていたこともあり、賑わっていました。
源頼朝が石橋山合戦で敗北した源頼朝が安房に渡った際、上陸した洲崎の安房神社に参籠し、再起を祈願し、無事に天下平定したことから幕府直轄の神社として創建されたとのこと。
こんな場所に由緒ある神社があるとは知りませんでした。
境内も歴史を感じる厳かな雰囲気がありました。
青木橋を渡ります。
ここは鉄道を通すために切土された場所で、JRの京浜東北線、東海道線、横須賀線、京浜急行線などを見ることが出来ます。
線路が8つあるのでなかなかの迫力のある場所です。
橋を渡ると大きな緑道の先にトンネルが見える場所がありました。
こんなところに人が通る為だけにトンネルを作ったのかと思ったら、昔の東横線のトンネル跡でした。
今はみなとみらい線と繋がり、地下へ移動しています。
白楽まで続く長い緑道となっているようです。
神奈川宿も終わりに近づく場所に大天狗伝説もある大綱金毘羅神社があります。
1188年に源頼朝により創建されたとの事。
この神社前には日本橋より七つ目の一里塚が置かれていたそうです。
そのすぐ先には龍馬の奥さんの「おりょう」が働いていた事でも有名な田中家があります。
広重の東海道五十三次に描かれ、高杉晋作やハリスも訪れた名店との事!
丁度お昼です。
少し門から覗いてみただけで中からお店の方が出来られて
「いらっしゃいませ」と声をかけて下さいました。
聞いてみると、予約が必要でした。何時に着くかも分からず予約をしていなかったので
残念ながら入ることは出来ませんでした。
でもとても丁寧な対応で好感が持てました♪
次の機会にきちんと予約をとってから訪れたいと思います。
神奈川宿の終わりは台町の関門跡でした。
開港後外国人が何人も殺傷される事があった為に、いくつかの関門や番所が設けられたそうです。
この神奈川宿の東西にも設けられ、その東側がここだそうです。
ここ台町は神奈川湊を見下ろす景勝地だったそうで、この関門の碑にも「袖ヶ浦見晴所」とありました。
どんな景色だったのでしょうか。。
建設省と国土交通省両方の記載のある短すぎるガードレール
有名な「小鳥の病院」この日も駐車場はいっぱいでした(現在は近くに引越しされた様ですのでご確認願います!)
神奈川宿にはこのような説明が各所にありました。
領事館に充てられないように屋根を壊したとの逸話の残る良泉寺
静かな雰囲気のあるお寺でした
現在の滝の川
地図に出ていました
歴史を感じる排水溝が見られました
開港当時アメリカ人宣教師でヘボン博士がここ宗興寺に施療所開いた
碑もありました
宗興寺の敷地横に「神奈川の大井戸」があります
幸ヶ谷町学校のお魚フェスティバルの楽しい壁画
源頼朝が創建した「洲崎大神」
一風変わった狛犬さん
青木橋からの風景
昔の東急東横線のトンネル跡は緑道に
龍馬の奥さんの「おりょう」が働いていた事でも有名な田中家
神奈川宿の終わり、台町の関門跡の碑
東海道最初から読む:東海道五十三次① 日本橋→新橋 2019
コロナ禍で引きこもり状態で随分空いてしまいました。死ぬまでに京都まで行けるでしょうか・・(苦笑)
2月に東戸塚まで歩いてきました。
前回は生麦まで歩き、その最寄り駅の新子安まで歩いたのでここからのスタートです。
しばらく第一京浜と呼ばれる国道を進みます。
ふと一本内側の道の方に目をやると何か解説のようなものが見えました。
それは宿場町の入口にしばしば作られた土居(桝形)の説明とオランダ領事館跡、長延寺跡の説明でした。
今は公園となっています。公園内にはそれを示す碑がありました。
ここが神奈川宿の入り口というわけです。
次に良泉寺が現れます。先ほどの長延寺がオランダ領事館だったように、お寺が領事館として充てられたようです。
しかし、それを良しとしなかった良泉寺は本堂の屋根を壊し、修理中なので対応できないとした話が残っているそうです。
目を惹く雰囲気のあるお寺でした。
また一本内側の道に大きなタイル張りで出来た解説が見えました。
この一帯の街道沿いの古地図絵でした。大概書というようです。
そこには現在の駅や公共施設の位置も記されていて、今いるところが海であることを知ることが出来ました。
説明には上無川が神奈川という地名の由来との話が出ていました。
先ほどの大概絵図にも記されていた滝の川の橋を渡ります。
この橋は同じ場所にあったようです。
この橋挟んで江戸側には神奈川本陣、反対側に青木本陣が置かれていたそうです。
この橋のすぐ脇には現在の地区センター的役割の「高札場」があったそうです。
渡ったすぐ近くにある宗興寺には開港当時アメリカ人宣教師でヘボン博士ここに施療所開いたそうです。
ヘボン博士???なにか聞いた覚えが。。
そうローマ字!!和英辞書や聖書の翻訳など日本の教育に尽力した方だそうです。
ヘボンとは愛称で本当はヘップバーンさんとのこと。
そんな人が横浜と所縁があったとは。
境内には立派な碑もありました。
このお寺の横には「神奈川の大井戸」というものがありました。
大井戸というには普通サイズに見えましたが浮世絵図にも記されている井戸は確かに大きい物の様でした。
先ほどのヘボン博士もですが、徳川将軍のお茶の水に充てられたそうです。
井戸の水量の増減によって翌日の天気を知ることが出来たそうで「お天気井戸」とも呼ばれたそうです。
幸ヶ谷町学校のお魚フェスティバルの楽しい壁画を見ながら次の角を右に入ります。
その先に「洲崎大神」神社が現れました。
丁度、神奈川宿ウォークが開催されていたこともあり、賑わっていました。
源頼朝が石橋山合戦で敗北した源頼朝が安房に渡った際、上陸した洲崎の安房神社に参籠し、再起を祈願し、無事に天下平定したことから幕府直轄の神社として創建されたとのこと。
こんな場所に由緒ある神社があるとは知りませんでした。
境内も歴史を感じる厳かな雰囲気がありました。
青木橋を渡ります。
ここは鉄道を通すために切土された場所で、JRの京浜東北線、東海道線、横須賀線、京浜急行線などを見ることが出来ます。
線路が8つあるのでなかなかの迫力のある場所です。
橋を渡ると大きな緑道の先にトンネルが見える場所がありました。
こんなところに人が通る為だけにトンネルを作ったのかと思ったら、昔の東横線のトンネル跡でした。
今はみなとみらい線と繋がり、地下へ移動しています。
白楽まで続く長い緑道となっているようです。
神奈川宿も終わりに近づく場所に大天狗伝説もある大綱金毘羅神社があります。
1188年に源頼朝により創建されたとの事。
この神社前には日本橋より七つ目の一里塚が置かれていたそうです。
そのすぐ先には龍馬の奥さんの「おりょう」が働いていた事でも有名な田中家があります。
広重の東海道五十三次に描かれ、高杉晋作やハリスも訪れた名店との事!
丁度お昼です。
少し門から覗いてみただけで中からお店の方が出来られて
「いらっしゃいませ」と声をかけて下さいました。
聞いてみると、予約が必要でした。何時に着くかも分からず予約をしていなかったので
残念ながら入ることは出来ませんでした。
でもとても丁寧な対応で好感が持てました♪
次の機会にきちんと予約をとってから訪れたいと思います。
神奈川宿の終わりは台町の関門跡でした。
開港後外国人が何人も殺傷される事があった為に、いくつかの関門や番所が設けられたそうです。
この神奈川宿の東西にも設けられ、その東側がここだそうです。
ここ台町は神奈川湊を見下ろす景勝地だったそうで、この関門の碑にも「袖ヶ浦見晴所」とありました。
どんな景色だったのでしょうか。。
建設省と国土交通省両方の記載のある短すぎるガードレール
有名な「小鳥の病院」この日も駐車場はいっぱいでした(現在は近くに引越しされた様ですのでご確認願います!)
神奈川宿にはこのような説明が各所にありました。
領事館に充てられないように屋根を壊したとの逸話の残る良泉寺
静かな雰囲気のあるお寺でした
現在の滝の川
地図に出ていました
歴史を感じる排水溝が見られました
開港当時アメリカ人宣教師でヘボン博士がここ宗興寺に施療所開いた
碑もありました
宗興寺の敷地横に「神奈川の大井戸」があります
幸ヶ谷町学校のお魚フェスティバルの楽しい壁画
源頼朝が創建した「洲崎大神」
一風変わった狛犬さん
青木橋からの風景
昔の東急東横線のトンネル跡は緑道に
龍馬の奥さんの「おりょう」が働いていた事でも有名な田中家
神奈川宿の終わり、台町の関門跡の碑
東海道最初から読む:東海道五十三次① 日本橋→新橋 2019
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