愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

加茂一揆(8)岡崎藩の対応

2017年11月04日 10時51分14秒 | 加茂一揆
渡辺政香「鴨の騒立」第6回 注進と岡崎藩の対応

岡崎・吉田・赤坂・西尾・刈谷へ、その領地の村々より注進の事
 22日、岡崎領須山村より、これまでのことについて報告があったので、岡崎藩で出動の準備を整えた。22日午後1時頃、額田郡仁木村へ一番手の兵が出動した。
 他の説では、次のように言っている。9月22日、午前10時頃、岡崎の領内の仁木村へ一揆共の回状が村次で回っていた。よって、岩津村へそれを知らせ、仁木村の庄屋がそれを早々に岡崎の役所に御注進した。東の方では大谷(おおがや)村へ同様の回状が回っていたので、同村(大谷村)庄屋はその回状を預かって、早々に岡崎に御注進をした。その両村(仁木村と大谷村)に御先手同心30人ずつ遣わせた。もっとも一揆の頭取辰蔵に加担することが無いよう厳しく仰せ付けられたので、岡崎領では一人も徒党に加わるものはなかった。そして、隣村まで寄せてきて一揆勢が、家を毀していることが、出張した同心より注進があった。同日(9月22日)午後2時頃、御物頭(おんものがしら)(1)、郡奉行(こおりぶぎょう)(2)、郷目付、御代官、徒士頭(かちがしら)、御医師、御同心が出張した。

 一番   9月22日   御出張
      御物頭
         三宅理兵衛
          同心(3)30人
          張弓  10挺
          鉄砲  10挺
          陣幕陣太鼓
          陣小屋大筒
          鉄砲長持3棹
          具足長持3棹
          此外軍用道具
          役馬  10疋
          御旗手鎖(4)3棹
      同
          都築藤一郎
          組下御道具右同断(5)
      同
         岡田十左衛門
          組下御道具右同断
      郡奉行
         那須猪太夫
          同心20人
      大目付(6)
         柴田弥左衛門
          同心10人
      同
         緒方七郎
          同断
      同
         篠原与兵衛
          同断
      大官(7)
         椙浦黒右衛門
        〃志水三右エ門
        〃渡辺与五右衛門
        〃新延佐司馬
      医師
         満田古文
         徒士目付附頭
           4人
          早縄 1棹
一説には、22日に守衛に入ったのは物頭国府三之丞・河合三郎・新宮弥次兵衛・松下源太左衛門、用人構母太一・冬木新左衛門・清水氏・佐野氏、処々に手配りと聞いている。

注意書き
(1)御物頭 藩の軍制のひとつで、いわば部隊長
(2)郡奉行 幕府の勘定奉行に相当する民政上の役。同心をひきつれている。
(3)同心 江戸幕府で、所司代・諸奉行などに属し、与力(よりき)の下にあって庶務・警察事務を分掌した下級の役人。 (コトバンク)
(4)御旗手鎖 手鎖は、いわゆる手錠のこと。ここは、旗と手鎖の2つのことを言っているか。
(5)同断 前と同じであること
(6)大目付 藩の中枢で、御物頭や郡奉行らの監視役か。(ウィキペディア)
(7)大官 代官のことか。代官は、年貢の徴収を担当する役人。


いよいよ岡崎藩が動き出しました。きっかけは岡崎藩領の庄屋たちが注進したことからのようです。はじめに30人ほどを仁木村と大谷村に遣わし、状況を見て、一番出張ということで出陣をしました。今でいうと県警、機動隊の出動というところでしょうか。

それにしても、すごいです。一つの部隊で兵隊30人、弓10丁、鉄砲10丁、陣太鼓に大筒(大砲)さらに馬10匹です。これが3部隊出動したわけです。その他に奉行だの目付だの代官だのも兵隊を率いて出動しています。
一揆衆は滝脇村の襲撃時点で約400人ですから、かなりの規模の兵隊と武器を準備しています。一揆後の取り調べで辰蔵が、「岡崎様、挙母様、其の外御大名の歴々、張弓、鉄砲、火縄などそえて、仰山なお行烈。是まで見たこともござらぬ古の戦の体と存じられます。なんとまあ、鎌、鋤より外に持つこと知らぬ百姓ども、ご上意とあらば鎮まりそうなもの。あまり厳重すぎた御行烈と、憚りながら存じます。兼ねて承りまするに、農人は天下のお百姓とて、上にも御大切にお取り扱い、その百姓に怪我でもあらば、お気の毒と存じます。」と、堂々と述べていますが、まさにその通りの対応になっています。