9月16日(土)、愛教労(愛知県教職員労働組合評議会)の企画する木曽川鵜飼見物に参加しました。鵜飼と言えば、長良川鵜飼が頭に浮かびますが、木曽川でも行われています。
ネット「木曽川うかい」のサイトで紹介していましたので、それを記載します。
鵜飼は、美濃国では702年(大宝2年)の各務郡中里の戸籍「鵜養部目都良売(うかいべめづらめ)」の記述が最も古い資料です。この資料から木曽川うかいの起源は、今より1300年前と考えられています。犬山では、今から340余年前に犬山城3代目城主成瀬正親公が御料鵜飼として始められ鵜匠を保護したと言われています。昔は漁として行っていたため、満月・水の濁ったときは鵜飼をとりやめていましたが、明治42年頃より観光を取り入れて行っているため、増水・台風時以外のときは行われています。
当日は台風が沖縄・九州に来ていて雨模様でした。しかし、木曽川には犬山城があり、犬山城を木曽川から見上げながらの鵜飼は、また格別でした。
船から見た鵜飼舟乗船場

見物の船ででた弁当。鮎づくしでした。おいしかったです。

木曽川から見る犬山城。白く光る点は、雨です。安物のデジカメなのできれいに写りませんでした。

鵜飼の様子
鵜飼は間近まで近づいて見ることができました。10羽ぐらいの鵜をひも(綱?)で操り、鵜が魚を飲み込むと、その鵜だけひもで船の中に入れ、魚を吐き出させていました。
暗い中で、鵜はどうして魚が分かるのか、鵜飼は10羽の鵜の中から、魚を飲み込んだ鵜がどうしてわかるのかとても不思議でした。鵜が魚をお腹まで飲み込まないのは、首の根元をひもの輪っかで止めているからだそうです。
これは名人業であると思いました。人間国宝にしてもいいくらいに思いました。
ネット「木曽川うかい」のサイトで紹介していましたので、それを記載します。
鵜飼は、美濃国では702年(大宝2年)の各務郡中里の戸籍「鵜養部目都良売(うかいべめづらめ)」の記述が最も古い資料です。この資料から木曽川うかいの起源は、今より1300年前と考えられています。犬山では、今から340余年前に犬山城3代目城主成瀬正親公が御料鵜飼として始められ鵜匠を保護したと言われています。昔は漁として行っていたため、満月・水の濁ったときは鵜飼をとりやめていましたが、明治42年頃より観光を取り入れて行っているため、増水・台風時以外のときは行われています。
当日は台風が沖縄・九州に来ていて雨模様でした。しかし、木曽川には犬山城があり、犬山城を木曽川から見上げながらの鵜飼は、また格別でした。

船から見た鵜飼舟乗船場

見物の船ででた弁当。鮎づくしでした。おいしかったです。

木曽川から見る犬山城。白く光る点は、雨です。安物のデジカメなのできれいに写りませんでした。

鵜飼の様子
鵜飼は間近まで近づいて見ることができました。10羽ぐらいの鵜をひも(綱?)で操り、鵜が魚を飲み込むと、その鵜だけひもで船の中に入れ、魚を吐き出させていました。
暗い中で、鵜はどうして魚が分かるのか、鵜飼は10羽の鵜の中から、魚を飲み込んだ鵜がどうしてわかるのかとても不思議でした。鵜が魚をお腹まで飲み込まないのは、首の根元をひもの輪っかで止めているからだそうです。
これは名人業であると思いました。人間国宝にしてもいいくらいに思いました。
鵜飼ももちろんですが、屋形船から見る犬山城も素晴らしかったですね。
とても良い見学会だったと思います。
コメントありがとうございます。
雨は降っていましたが、そんなことも忘れさせるくらい楽しい企画でした。これからも、いろいろな企画に参加してみたいです。