愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

馬呂遺構 新城市

2019年05月03日 05時44分28秒 | 新城市
馬呂というのは、このあたりの地名のようです。小馬呂、大バロといった地名がGoogle地図に出てきました。亀山城の南東部の林の中です。

亀山城の近くに「武家屋敷址」という標識がありました。

「武家屋敷址」標識

このあたりを歩いてみましたが、武家屋敷跡にありそうな、土塁や堀の跡はありませんでした。そこで、林の中を進み、「大バロ」という地名の場所に行きました。

すると、小さな登山道の左右に土塁を巡らせた遺構がありました。

土塁の遺構

土塁は四角くまわっていて、ちょうど屋敷の形のように見えました。不思議だったのは、その内側に溝があったということです。溝(または堀)は、土塁を造るときに掘りますが、基本的に曲輪の外に堀を巡らせます。しかし、内側に溝みたいに掘ってあるということは、この溝は土塁を造る際に掘った跡だと思いますが、堀としてではなく、道として活用していたのではないか、とふと思いました。屋敷内の通路として、また一つの区画に屋敷が複数あれば、それらの屋敷への通路として溝を使っていたのではないか、と思いました。

また、奥の山との境界に切れ目が入れてありました。

山と屋敷の境目

ということで「馬呂遺構」は土塁の跡からして亀山城に詰めていた家臣の屋敷の跡ではないかと思いました。

ネットでは「詳細不詳」とのことでした。新城市で調べてくれることを期待しています。

愛教労 城の会 6月22日 市場城めぐり


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