愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

鳴海地区 名古屋市緑区

2014年12月21日 16時45分42秒 | 名古屋市緑区
 早いもので、もう12月も半ば過ぎ。2014年も年の瀬です。そんな中のんびりと地域の散策をしました。鳴海地区です。鳴海地区は「鳴海小作争議」の主に地主側の人たちが居住していた地域です。
「鳴海小作争議をさぐる―鳴尾少年探偵団ものがたり」という本にあった小作争議関連地図の鳴海地区を見ながら鳴海地区の散策をしました。


訴訟を起こした地主野村家の家
 はじめは、「野村家」です。野村家は小作人たちが「掟米」(小作料)を渋ったときに掟米請求の訴訟をした地主のうちの一人です。地図にわざわざ「野村家」とあるので、おそらくこの家がその地主の野村家だろうと思います。

まわりを塀で囲み、大変広い家でした。さすが元地主と感動しました。

和解案を考えた地主下郷家の家
 次に見たのは、下郷家です。下郷家は小作争議の解決に向けていわゆる「千代倉案」と言う調停案を作った地主の家です。千代倉とは当時の下郷家の屋号です。

 道路(旧東海道)に面して小さな店のようなものがあって、看板に「千代倉」とありました。店には「夢斉工房」とか「そば」とかの字が書かれていました。なんの店なのか、現在も営業しているのかわかりませんでした。しかし、「千代倉」とあるのは昔の屋号を店の名前にしたのではないかと思いました。下郷家は実はこの後ろにあって、それは広大な家でした。さすが元地主とやはり思いました。

調停役をかってでた瑞泉寺
 次は、瑞泉寺です。瑞泉寺はやはり小作争議の調停に一役かったお寺です。瑞泉寺の住職浅井蜜成さんたちが、下郷家が発案した「千代倉案」で調停に当たったようです。

瑞泉寺山門


 道路から見た瑞泉寺。瑞泉寺は曹洞宗のお寺で、教育委員会の案内板によると、「20世呑舟(どんしゅう)は中興の祖とされ、鳴海の豪族下郷(しもざと)弥兵衛の援助により宝暦5年(1755年)堂宇を完成した」とありました。つまり下郷家と瑞泉寺は昔から関係が深かったことがうかがわれます。

鳴海地区の豪族下郷家
 旧東海道沿いに歩きましたが、この道沿いには下郷という古いお家がいくつかありました。

下郷家その2


下郷家その3

 おそらく千代倉下郷家とは何らかの姻戚関係があるもと思われます。瑞泉寺の案内板によれば鳴海の豪族だったので、いくつかの分家があったのでしょう。

旧鳴海町役場跡
 あと、旧鳴海町の役場跡がありました。今は生涯学習センターです。

鳴海町役場跡にたっている生涯学習センター


役場跡の石碑
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