愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

小谷城(4) 滋賀県長浜市

2019年04月08日 10時37分58秒 | 滋賀県
首据石
馬洗池のすぐ上に大きな石がありました。「首据石」というそうです。初代の浅井亮政が六角氏と戦った時、家臣の今井秀信が敵に内通していることを知り、禅照寺で殺害し、ここにさらしたそうです。「俺を欺くとこうなるぞ」ということでしょうか。


首据石

赤尾屋敷
首据石のすぐ向こうに赤尾屋敷への標識がありました。赤尾屋敷は、浅井長政が織田信長に攻撃され、落城間際の時に、逃げ込んだ屋敷です。


赤尾屋敷への道

浅井長政は、本丸よりうって出て信長軍と戦おうとしましたが、どうやら、押し返すことができず、やむなく赤尾屋敷の方に逃げ込んだようです。そして、ここで自刃したそうです。

赤尾屋敷は、大広間の下の道を回るようにいきます。ちょうど本丸の下(東)が赤尾屋敷になります。その途中におびただしい石が転がっていました。大広間にあった石垣でしょうか。


赤尾屋敷への道の途中の石垣

赤尾屋敷は、3段になっているそうです。本丸を守るためにここに屋敷を構えたのでしょう。

赤尾屋敷イメージ図(現地案内板)

そして、浅井長政自刃の碑が建てられていました。享年29歳だそうです。あまりにも若いのでびっくりでした。この若さで一国の主となって、戦国の世を生きていたんだと思うと、よっぽど優れた人だったんだなあと思いました。


赤尾屋敷にあった浅井長政自刃の碑

桜馬場
赤尾屋敷から戻り、本道に入り、すぐ向かい側は桜馬場です。馬場というので、馬の稽古をした場所と思われます。馬洗池、御馬屋のすぐ近くにあるので、三つの施設は一体のものとして使われていたと思います。


桜馬場イメージ図(現地案内板)

ここに浅井氏と家臣の供養塔がありました。地元の方が浅井氏400年祭に際して昭和47年に建立したのだそうです。地元の人に今でも慕われている浅井氏はすごいと思いました。


浅井氏と家臣たちの供養塔



この馬場からはとても良い景色を見ることができました。


桜馬場からの眺め
左の山は虎御前山①、正面は琵琶湖②、琵琶湖に浮かぶ右側の小さな島は竹生島③、竹生島の右は山本山④、山本山の手前は丁野山⑤です

いい景色を満喫した後は、いよいよ大広間、本丸です。

黒鉄門

黒鉄門

大広間への入り口は黒鉄門です。黒鉄門というのは、本丸の入り口になっていて、鉄板を施した扉を使っている場合が多いようです。この門も鉄製の扉を持つ門だったのかも知れません。そして、両脇はがっちり石垣で固められていました。


黒鉄門、向かって右側の石垣

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