まるで梅雨のような雨が続いています。おかげでなかなか史跡めぐりができません。
しかし、雨の合間をぬってでかけました。今回は、西尾市です。
三河国二葉松に、以下のように説明があります。
幡豆郡 浅井村古城 在二箇所清康御弟松平十郎三郎康孝西古城
大津土左衛門東古城也
浅井城は東西2か所あり、西の方に松平康孝(松平清康の弟)、東の方は大津土左衛門という武将の城だったようです。
松平氏系図
ネットで調べますと東古城の方は、どこか特定できないとありました。ので、今回は西古城の方へ行きました。
浅井西城址の位置(地理院地図で作成しました)
名古屋方面から行く場合は、国道23号線をひたすら西尾方面に走り、中原インターを降りて左折(岡崎方面)します。次に「志籠谷(しこや)」交差点を左折して県道479号線に入ります。しばらく行くと「西浅井町」の交差点に出るので、左折します。2本目の道を右折すると「大和興業」という会社があります。そこが浅井西城です。
「大和興業」
まずは、左手に回ってみました。すると、階段がありました。立ち入り禁止の為に中に入ることはできませんでしたが、周りが土塁で囲まれ、その中に建物があることが分かりました。
土塁の中の建物
建物の屋根が見えますが、下が見えません。ということは、中がくぼんでいるということで、周りを土塁で囲まれていることが分かりました。
さらに進んで行きますと城の北側に堀跡がありました。水堀のようです。それとも後で水が溜まったのでしょうか。
堀跡
さらに北に回ってみると堀の跡が続き、高い土塁が見えました。
北側堀跡と土塁
土塁の上に見える建物は赤い鳥居が一緒に見えましたので、お社でしょうか。
これ以上は北側は進めなくなったので、今度は城の東側に回りました。
城の東側
城の東側にも土塁らしきものがあり、高くなっていました。そして、東側から北側に回りますと、立派な土塁跡を見ることができました。
城北側の土塁跡
途中切り込みがあり、「曲輪」の中に入れるようになっていました。後世に造られたのでしょうか?それにしても立派な土塁でした。
なお、この城を航空写真で調べたところ、城跡であることがすぐに分かるようになっていました。
浅井西城址の航空写真(グーグル地図で作成しました)
地図には「古城」という地名もあります。案内板ではそのあたりに詰めの城があったのだろうとしています。浅井西城は居城であったとしています。
しかし、雨の合間をぬってでかけました。今回は、西尾市です。
三河国二葉松に、以下のように説明があります。
幡豆郡 浅井村古城 在二箇所清康御弟松平十郎三郎康孝西古城
大津土左衛門東古城也
浅井城は東西2か所あり、西の方に松平康孝(松平清康の弟)、東の方は大津土左衛門という武将の城だったようです。
松平氏系図
ネットで調べますと東古城の方は、どこか特定できないとありました。ので、今回は西古城の方へ行きました。
浅井西城址の位置(地理院地図で作成しました)
名古屋方面から行く場合は、国道23号線をひたすら西尾方面に走り、中原インターを降りて左折(岡崎方面)します。次に「志籠谷(しこや)」交差点を左折して県道479号線に入ります。しばらく行くと「西浅井町」の交差点に出るので、左折します。2本目の道を右折すると「大和興業」という会社があります。そこが浅井西城です。
「大和興業」
まずは、左手に回ってみました。すると、階段がありました。立ち入り禁止の為に中に入ることはできませんでしたが、周りが土塁で囲まれ、その中に建物があることが分かりました。
土塁の中の建物
建物の屋根が見えますが、下が見えません。ということは、中がくぼんでいるということで、周りを土塁で囲まれていることが分かりました。
さらに進んで行きますと城の北側に堀跡がありました。水堀のようです。それとも後で水が溜まったのでしょうか。
堀跡
さらに北に回ってみると堀の跡が続き、高い土塁が見えました。
北側堀跡と土塁
土塁の上に見える建物は赤い鳥居が一緒に見えましたので、お社でしょうか。
これ以上は北側は進めなくなったので、今度は城の東側に回りました。
城の東側
城の東側にも土塁らしきものがあり、高くなっていました。そして、東側から北側に回りますと、立派な土塁跡を見ることができました。
城北側の土塁跡
途中切り込みがあり、「曲輪」の中に入れるようになっていました。後世に造られたのでしょうか?それにしても立派な土塁でした。
なお、この城を航空写真で調べたところ、城跡であることがすぐに分かるようになっていました。
浅井西城址の航空写真(グーグル地図で作成しました)
地図には「古城」という地名もあります。案内板ではそのあたりに詰めの城があったのだろうとしています。浅井西城は居城であったとしています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます