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愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

三河一向一揆を巡る 退職教職員の会1日バス旅行

2016年12月05日 07時37分44秒 | 日記
11月26日、城の会の旅行の1週間後ですが、私の入会している退職教職員の会の1日バスレクがありました。今回は「三河一向一揆を巡る」というテーマで主に岡崎市、安城市のバス旅行がありました。

主な見学地は上宮寺(岡崎市)、浄珠院(岡崎市)、岡崎城(岡崎市)、勝鬘寺(岡崎市)、本證寺(安城市)です。

上宮寺、勝鬘寺、本證寺は戦国期に「三河三ヶ寺」として知られ、浄土真宗の拠点寺院です。もちろん三河一向一揆では一揆勢の拠点となり、そこが一揆勢の籠城地でもありました。浄珠院は、浄土教の寺院で一向一揆の時は家康側の寺院でした。一揆が和睦した時この寺で起請文が交わされました。

上宮寺

上宮寺本堂(2013年6月撮影)

始めに訪れたのは上宮寺です。さっそく本堂に案内され、お寺の人からお話をしていただきました。一向一揆の時に活躍した住職勝祐、信祐について、勝祐の妻が今川義元の娘であったことから今川氏に近かったこと、三河一向一揆の後に長島一向一揆にも参加し、そこで切腹したというお話を詳しくしていただきました。また、宝物館にも入らせていただき、貴重な寺の宝物を見させていただきました。


本堂でのお話

浄珠院
次は浄珠院です。やはり本堂に案内され、住職は浄珠院の歴史について熱くお話をされました。参加者から「宗派を変えるとはどういうことですか。」という質問が出され、「浄土真宗以外ではよくあることです。」と話があり、「後継者がいなかったりしてお寺がなくなると、檀家の人が困るので、違う宗派の人でも、その寺を継いでくれる人がいれば、お寺の住職として迎えた。」ということでした。

私は浄土真宗の家に生まれましたので、この話には驚きました。言われてみれば、先の上宮寺も浄土真宗に改宗していますし、三河の浄土真宗の多くのお寺は親鸞によって改宗しています。しかし、浄土真宗に改宗した後に浄土真宗以外の他の宗派に改宗することは無いようです。(真宗内の派が変わることはあるようです。)

一揆和睦の起請文が交わされた太子堂

また、松平信孝のお墓もありました。松平信孝は、三ツ木城の城主で、家康の父である松平広忠の叔父にあたり、広忠が岡崎城に戻る際に広忠を支援していましたが、次第に権勢を強め、そのために逆に広忠を支持する家臣たちに追放された人物です。

松平信孝のお墓

岡崎城
次は岡崎城です。岡崎城では「三河武士のやかた家康館」や天守閣を見て回りました。家康の16神将というのが掲示されていました。酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政、米津常春、高木清秀、内藤正成、大久保忠世、大久保忠佐、蜂屋貞次(または植村家在)、鳥居元忠、鳥居忠広、渡辺守綱、平岩親吉、服部正成、松平康忠(または松平家忠)(データはウィキペディア)

驚いたことにこの中の蜂屋貞次、鳥居忠広、渡辺守綱はこの一揆で家康に反逆しています。

勝鬘寺
勝鬘寺でも、本堂で住職さんからお話をしていただきました。勝鬘寺には渡辺半蔵守綱や蜂谷半之亟貞次など一揆側の有力武将が立て籠っており、いくつかの戦闘の話もありました。

勝鬘寺本堂

お話の後、渡辺守綱の父渡辺高綱の碑を見ました。

高綱の石碑(2013年6月撮影)

本證寺
本證寺に着いたころは予定の時間を30分ほど経過しており、待っていていただいた住職さんには大変迷惑をかけてしまいました。しかし、丁寧にお話をしていただきました。特に本證寺の境内の図を見せていただき、それをもとにお話をしていただいたので、大変わかりやすかったです。

お話をする住職さん

ということで、駆け足でお寺を4つ、お城を1つ回りましたが、どのお寺でもお寺の人が十分にお話をしていただけ、三河一向一揆について深めることができました。帰りのバスの中では、「普通の観光と違い、歴史の真実に触れた思いがした」とのお話を聞くことができました。

城の会研修会(愛知県)3日目

2016年12月04日 08時31分10秒 | 日記
3日目
城の会2日目のホテルは、吉良温泉です。ここは、海に面したホテルで、朝には朝日を見ることができました。大変きれいで、これを見れただけでも大満足でした。

吉良温泉から見た日の出

西尾城
はじめに訪れた城は西尾城です。西尾城で再発見したのは、本丸東に馬出があり、その馬出の外側の堀が、その形のまま石庭になっているということです。

案内板では以下のように説明されていました。
「丸馬出 白砂を敷いた部分は発掘調査で明らかになった深さ2.5メートルの二重の堀の跡です。堀で丸く囲まれた部分は馬出と呼ばれる小曲輪で出撃に際して集合場所であり、虎口を守るための重要な場所でした。16世紀後半の戦国時代に築かれたと推定されます。」

本丸東虎口馬出の跡

また二の丸の天守台ですが、資料館の方の話ではもう少し北の方に広がっていたのですが、現在道路が走っているため、原型の天守台より小さくして復元したそうです。ネット「みかわこまち 西尾城二之丸跡整備について」によれば
「絵図では天守台は9間×7間に東多門(3間×3間)・南多門(3間×3間)。ただし南西部1間×1間凹む)が付随しています。天守は三重で高さ8間2尺(約15m)、石垣は土居1間半とあわせて、6間半(約12m)とされています。復元した石垣は高さ約6mで石材には幡豆石を使用し、野面積みの工法で積み上げています。」

石垣の高さは絵図の半分、広さも縦横ともに1mぐらい狭くしてあるようです。

西尾城二の丸天守台(2016年10月撮影)

東条城
東条城は、中世の城を復元したものとして興味深いものがあります。

東条城(左櫓台、右虎口)2013年7月撮影

本光寺
本光寺は、「松平家忠日記」で有名な松平家忠の菩提寺です。正確には深溝松平家の菩提寺です。ここでは、お寺の人の話が聞けました。特に宝物館にも入らせていただき、珍しいお宝などを見せていただきました。

本光寺松平氏墓所(2013年7月撮影)

長篠城
西三河の史跡から一転進路を東にとり、長篠城、設楽原古戦場へと向かいました。長篠城では、以前訪れた武田勝頼の陣所(鳶ヶ巣砦、山中砦)を紹介したり、鳥居強右衛門の話などを会員の皆さんに紹介しました。特に山中砦跡は今まで長篠城からは見たことがないので、よく目を凝らしてみると、確かに見えましたので感動しました。新東名高速道路ができた際にこの砦跡もできたのではないかと思いますので、「新名所」になった感じです。

中山砦跡石碑。(2016年10月撮影)この横に櫓が復元してあり、その櫓が長篠城から見えました。

設楽原古戦場
そして最後は設楽原古戦場です。ここではいわゆる鉄砲の3段撃ちについて見学者の中で議論になりました。私も興味深く話を聞いていましたが、その中で「鉄砲隊は、柵の外側(武田軍側)にいる」との指摘がありました。

長篠合戦図屏風(部分、徳川美術館、ウィキペディア)

確かによく知られたこの絵図では鉄砲隊の主力部隊がが柵の外に出て構えています。そして鉄砲隊の前には土塁らしきものがあり、その前に川があります。この川は連吾川でしょうか。そうすると織田徳川の連合軍はかなり前のほうに馬防柵を築いていたことになります。現在復元されている馬防柵はかなり後ろのもであることになります。

それにしても馬を防ぐための柵の前で鉄砲を構えていたのはなぜなのか不思議に思いました。

知らないことばかりの古戦場見学でした。

城の会研修会(愛知県)2日目

2016年12月03日 16時51分11秒 | 日記
2日目

桶狭間古戦場
2日目は名古屋から桶狭間古戦場に向かいました。

桶狭間古戦場公園の像。左が織田信長、右が今川義元。この戦いで織田信長が勝利し、織田信長の時代が始まったことを「近世の曙」と表現しているようです。(2012年1月撮影)

この公園には桶狭間の戦いの様子が詳しく説明されていましたので、それを見て学習しました。

桶狭間の戦いを説明している看板(2012年1月撮影)

ここでは長春寺という今川氏ゆかりのお寺にバスを停めさせていただきました。

松平城址
次は松平郷です。ここでは、松平城、東照宮、高月院を見学しました。松平城は、史跡の整備をしているのでしょうか、木がけっこう切り倒されていて、城の中にいっぱい転がっていました。

松平城址。Ⅰ郭に立てられている石碑(2014年7月撮影)

東照宮
松平氏の館跡といわれる東照宮を見学しました。大変紅葉がきれいでした。

松平郷の紅葉①(東照宮)


松平郷の紅葉②(東照宮から高月院への小径)


松平郷の紅葉③(高月院)

高月院
高月院には松平氏の墓がありました。

高月院のお墓(親氏、泰親、親忠夫人)(2014年7月撮影)

岡崎城
2日目最後の目的地は岡崎城です。岡崎城では、「三河武士のやかた家康館」「天守閣」の展示品などをみて学習しました。

岡崎城天守閣(2013年9月撮影)

2日目は個人的には松平郷の紅葉がきれいでこれだけでも来てよかったと感動しました。

写真が古くて申し訳ありません。なぜか、写真を撮っている暇がありませんでした。それで、以前の写真を活用させていただくことにしました。

城の会研修会(愛知県)1日目

2016年12月02日 14時01分23秒 | 日記
11月は、紅葉も美しく、城めぐりにはとてもいい季節です。私が入会している城の会では毎年秋11月に県外研修として2泊3日の旅行を行っています。

2016年度は愛知県に行きました。テーマは大きく3つあります。
①名古屋城の本丸御殿を見よう
②有名な古戦場を訪ねよう
③松平氏の故郷を訪ねよう

主な日程
11月18日(金)小牧山城、長久手古戦場、名古屋城
11月19日(土)桶狭間古戦場、松平郷、岡崎城
11月20日(日)東条城、西尾城、本光寺、長篠城、設楽原古戦場

愛知県には他に犬山城や吉田城、田原城さらに大給城、小原市場城、古宮城など見たいところ(見てほしいところ)は、いっぱいあるわけですが、きりがないのでテーマに沿って上記の見学地に絞ったそうです。

1日目
小牧山城
はじめに小牧山城に行きました。ところが、とんだハプニングがありました。沿道に、小旗を持った人たちがいっぱい並んでいるのです。まさか私たちを迎えてくれているわけではありません。天皇が小牧市に来られたそうです。小牧市役所やメナード美術館を訪問したそうです。小牧山城はちょうどその場所にあります。しかも時間帯も一致して、交通規制までありました。それで予定の時間がずいぶん狂ってしまいました。

天皇が来るのを待つ人々

予定では山頂にある模擬天守閣内の資料館を見学することになっていましたが、時間が取れなくなりました。

しかし、小牧山城の現在が分かりました。それは発掘調査をしているということです。直線的な大手道から天守に近づくと途中でジグザグな道になりますがその道の途中で「通行止め」がありました。理由がいいですね。「発掘調査のため」
石垣の調査でしょうか、なんにしても、小牧山城は今後新しい発見が期待されるということで、素晴らしいと思いました。

発掘現場の塀

さらに実際に発掘をしている現場もありました。

小牧山城の発掘現場。きっと石垣の調査だと思います。

また、小牧山全体を巡るように掘られた横堀も見ることができました。

小牧山城中腹の横堀

長久手古戦場
小牧長久手の戦いは地味ですが、家康にとっては重要な戦いだったようです。なんと言っても豊臣秀吉に負けなかった、そればかりか局地戦では勝っていた戦いだったのです。
秀吉死後、この負けなかったということが家康の権威付けに大きく作用しました。その負けなかった局地的戦いが長久手の戦いです。

長久手の戦いの石碑(2014年4月撮影)

名古屋城
次は名古屋城です

名古屋城天守閣

名古屋城ではまず本丸御殿を見学しました。相変わらずきれいな襖絵に圧倒されました。前回来たときは部屋の中に入れませんでしたが、部屋の中に入って見学できるように工夫されていました。おかげでより近くで襖絵を見ることができました。

今回はあえて二の丸の庭園に行きました。紅葉を見るためです。

二の丸庭園の紅葉①


二の丸庭園の紅葉②

名古屋城で整備してほしいところは二の丸庭園です。ここを整備すれば紅葉はもっときれいになると思いました。

三河一向一揆を巡る

2016年08月29日 08時27分36秒 | 日記
このたび、私が所属している団体、愛知県退職教職員の会で日帰りバス旅行「三河一向一揆を巡る」が計画されました。愛教労共済と共催です。


概略
月日 11月26日(土)午前9時集合
場所 金山駅南口付近
定員 25名
参加費 3500円(昼食、入館料込み)
(愛教労共済に加入されると無料です。)

主な見学場所
上宮寺(岡崎市)一揆側拠点寺院
浄珠院(岡崎市)家康側寺院・和睦地
岡崎城(岡崎市)家康の居城
勝鬘寺(岡崎市)一揆側拠点寺院
本證寺(安城市)一揆側拠点寺院(住職さんのお話あり)

参加を希望される方は、052-242-4474(愛教労共済)に連絡してください。