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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

SAYURI

2005年12月30日 | 映画
この映画を観終わって、映画というものは、現実そのものを写実的に描写するばかりのものではなく、優れてファンタスティックなものなんだということを改めて痛感させられました。日本を描きながら、スクリーンの中に超然として存在していたのは、日本という国のような…でも、必ずしも日本ではなくてもいい、映画の作り手が描く壮大な無国籍的な空想の世界の拡がりでした。しかもこれは単なるシンデレラストーリーでもなければ、芸者の世界の‘謎’を陳列しているお話しでもない、観るものの想像力をかき立てる良質なファンタジーなのだと、私は感じていました。物語の内容そのものに感動するというような映画ではなく、このような運命にさらされた人の思いはいかばかりのものか!というような感情移入を容易に起こさせる吸引力に満ち溢れた映画だったのです。渡辺謙や役所広司など、国際的に活躍している男性俳優にはあまり魅力を感じないほど(役所広司は一途で、その一途さゆえに人を許すことの出来ない堅物な男性像を演じているのですが、今や、そういう男性像には私自身が、全然、魅力を感じないということも、男性陣の存在に惹かれなった大きな理由の一つかもしれないと思っています。)これは女性の生き方の凄まじさに魅了されてしまう映画です。すべての女優陣の迫力ある演技には圧倒され脱帽しましたが、チャンツィー以外では、ミシェル・ヨーという女優さんの独特の優雅な雰囲気に魅せられてしまいました。チャンツィーを一流の芸者に仕立て上げる‘お姐さん’の役どころの女優さんです。また、SAYURIの子役時代を演じた大後寿々花さんの初々しいひたむきさや可憐さも際立っていました。チャンツィーは美しいだけでなく、アクロバティックともいえる動きやしなやかさを身につけている女優さんなので、他の追随を許さない存在感を醸し出せる貴重な存在です。女性の生き方が、どの人をとっても本気ですごかったです。女優さんたちの演技力が生半可ではないからこそ茶番にならずに、一つの世界観が生み出せたのでしょう。この映画の不可思議な魅力のもう一つの側面は、日本のお話しなのに、話される言葉が全編これ英語という点にあります。これが意外に違和感なく、むしろ客観的に、この映画の顛末を眺められる要素にもなっていたことが、この映画にアップテンポな勢いを付け加えていたのだと思います。そして、さらに面白いことには、時々、日本語がぽつっぽつっと聞こえてくることです。これがまたとてもチャーミングで優しい感じなのです。この手法が意識された演出だとしたら、すごく気の利いた技法だと思いました。時々聞こえる日本語の美しさが際立つからです。優しいのにスパイスの効果を持っているということになります。この点も、今までに味わったことのない感覚でした。そして、何より良かったことは最後が悲劇で終わらなかったことです。どろどろした確執のやり取りや不幸な成り行きが繰り返される展開の末に哀れな結末でエンドマークが出るのではやり切れませんので、切なくても、SAYURIの夢の実現が果たされた大団円のまとめ方には救われました。エンターテイメントには希望が大事だと思います。優しく従順なだけでは、自分の人生を切り開いていくことは出来ない。智恵と勇気といい意味での強かさを持ち合わせてこそ、自分の欲しいものの傍に近づくことが出来るのだ…そういう女性こそが魅力的なのだ!と思え、元気を貰うことが出来ました。SAYURI