8時51分発の列車に乗るため、朝ごはんを早々に済ませ、アンリ・アニエス夫婦二人は駅まで送ってくれた。
5月1日は日本ではメーデーというが、フランスでは「スズランを送る日」ということで、一足早く、昨日アニエスの従弟から頂いたスズラン(ミュゲ)が朝のテーブルに。
アニエスのお母さんには着いた日に少しだけ会うことができたのだが、普段は老人ホームにいるらしかった。90代半ばくらいだったが、とてもしっかりしていて、アニエスが「(私のことを)どこから来たかわかる?」と聞いていた時も、「わかっている.日本でしょ」と答えていた。(そして後日談だが、実はこの翌年彼女は亡くなった。)
そんなお母さんとの思い出の家で数日間滞在させてもらえたことは、本当にありがたいことだった。
そんな余韻を残しながら、ディジョンへと向かった。
ディジョンで待っているのは、エスカレーターだ!!!!
彼は、乗り換え時間13分で大丈夫かなと思っていた私に「乗り場への案内も任せなさい」と言い、また大きな荷物での移動は大変だろうと、大きなスーツケースを取りに来てくれたのだった。
お陰で私は2泊するリヨンへ、身を軽くして行けた。
リヨン泊のあと、ディジョンに戻りエスカレーター宅で4泊させてもらうので、できることだった。しかしディジョンの隣の市に住んでいるので車でも30分以上はかかる。
まあ、ちょっと会いたい気持ちもあったのは確かだろうが、至れり尽くせりであった。
親切なおじさんであるが、親切すぎて勇み足気味なところがあり、それは後日大変な事態で判明するのであった。
ホームで列車を待っていると、日本人の6人くらいのグループがいた。
リヨン行もまたローカル線に乗るのだが、彼らはまだホームにいる。
それほど本数がなかった記憶があったので、「どこまで行かれるのですか」と聞いたら、
「ボーヌ」という。この列車はボーヌを通っていくことを表示で見ていたが、もう一度エスカレーターに確認し、彼らに「ボーヌに停まりますよ」というと、「えっ!」という感じだったが、不安げな様子で乗り込んできた。
乗ってからそのうちの二人は「ありがとう」と言ったが、後の人たちは無言だった。まだ半信半疑というところらしい。
同じ日本人なのに、もしかしたら信用されていないのかと悲しくなる。
あまりに不安で、そこまでの余裕すらなかったらしい。海外では疑い深くなるようだ。何か残念な気持ちだった。
もちろん15分ほどでボーヌに到着し、彼らは降りていった。
そんな気持ちを振り払うように車窓を楽しんでいると、リヨン駅に着く少し前に、田園風景から突然カラフルな建物が見えた。
まったく唐突に現れたのだが、あとでそれが、かの有名な伝説?のレストラン「ポールボキューズ」だったことを知った。
カメラに収める間もないくらいの事だった。
そして、いよいよリヨン到着。2007年以来になる。