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フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

ミッシェルさんと最後のパリでのランチ

2021-01-13 00:02:36 | 2019年クリスマスの旅行(アルザス・リヨン)

懐かしい話をいろいろして、奥さんが「ランチを一緒にどう?」と言ってくれた。予約を入れてくれた店は、すぐ近くで、一度来たことがあるカフェ?だった。

彼らとではなく、ポルトドヴァンヴのそばに住むエリックの奥さんのイザベルとビュットショーモンでピクニックをした後、コーヒーを飲みに来たのだった。

ミッシェル夫妻のお気に入りの店だと知って、嬉しかった。

この店は、クスクスが美味しいという。私はクスクスが苦手なので、ホタテにしたが、これもとても美味だった。

 

ミッシェルさんとクリストフは、クスクスを注文。奥さんは別のものを注文。

奥さんのはおいしそうだなと思ってみていたら「食べる?」と少し頂いた。一番おいしかったように思う。そういえばこの奥さんのセレクトは、いつもはずれがない。

デザートもということで、お店の人に尋ねると、今日は洋ナシのタルトと桃のタルト、チョコレートタルトだった。チョコレート好きなミッシェルさんは迷わずタルトオショコラ。

私がフルーツタルトで迷っていたら、奥さんが「今は桃の季節じゃないから、洋ナシのほうがいいわね」といった。

これも外れなかった。とても美味しかった。

ごちそうしてくれようとしたのだが、今までの感謝には足りないくらいだが、ここは私がごちそうさせていただく以外にはない。

 

「コーヒーはうちで飲もう」ということで、また家に戻った。

クリスマスということで、大量のチョコレートが入った箱がある。まずそれにびっくり。

「どうぞ」と薦められ、私も好きなのでいくつかいただくことにした。クリスマスはチョコレートが不可欠なんだそうだ。

ここにいつものように泊めてもらっていたら、チョコレート三昧だっただろう。



さて、名残惜しいが、そろそろお暇(いとま)の時刻だ。

ミッシェルさんは アパートまで送ってくれるという。クリストフも同行だ。

ミッシェルさんに行きのバスの話をすると、ここまでバスが来るようになったのは最近のことだという。道理で目の前のバス停も初めてだったわけだ。そしてバスで来るのも最初で最後かもしれなかったのだ。

 

ヴァンセンヌの近くまで行くと、「この辺りはシックな街並みだね」とクリストフはびっくりしている。パリ郊外というと、特にこの東部当たりは、庶民的なところが多いからだが、シャトードヴァンセンヌは一味違うようだ。

 

私も今回初めて知ったが、なかなか静かで落ち着いた住宅街といった感じで、パリ中心部まで行かなくても食料品やスーパーをはじめ、小さなお店でもシックなお店もあるし、治安もよく、いい地区ではないだろうか。

何より、特に今回はメトロがほとんど運休の中、動いている貴重な線の始発点でもあり、これ以上の場所はないと言ってもいいくらいだった。

 

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クリスマスの奇跡

2021-01-12 00:26:36 | 2019年クリスマスの旅行(アルザス・リヨン)

懐かしい部屋に入り、リビングに入る。奥さんの息子、クリストフとは初対面だった。

一目で、感じのいい青年だとわかった。

ミッシェルさんとJクロードはともに再婚のカップルで、それぞれ娘と息子がいるのだ。ミッシェルさんからあまり娘さんの話を聞くことはないが、パリ郊外に住んでいるということだ。そして、ミッシェルさんは、ずっと前妻に慰謝料のようなものを払い続けているらしい。死ぬまで続くというようなことを聞いた。

何でもカトリックの国フランスでは正式に結婚した夫婦が離婚するとき、双方の合意があってもお金も時間もかかるという。だから最近は正式に婚姻をしなくても権利などがほぼ同じように認められるPACSという制度が人気のようだ。若いカップルなどはほとんどこれなので、苗字も違う。ちなみに同性婚もこの制度が多いらしい。

そして、Jクロードも息子さんの近くに住んでいた前夫が数年前に亡くなるとき、離婚していても最後は看病のため,ミッシェルさんも共に南仏へよく行っていた。こういう形がよくあるのかどうかはわからないが、亡くなられた後、息子を手伝って、それに関わる法的な手続きなどもされていた。

 

リビングは引っ越しの段ボールでいっぱいだった。

「あなたの部屋も見る?」と促されるまま、見に行った。

ああ、ここだ。ここで、このベッドで寝かせていただいた。

朝食を食べることもあったキッチン、広いバスルーム、カエルの置物がたくさんあるトイレまでも まだそのままだ。

そうこうしていると、奥さんのそれこそ悲鳴に近い声が聞こえてきたではないか。私が突然やってきたと聞いたからだった。

午前11時くらいだったが、休日でみんな朝が遅いらしく、奥さんはシャワーを浴びていたようだ。

バスローブ姿で慌てて登場だ。この夫婦はほんとにバスローブがよく似合う。

私の顔を見るや、彼女は「クリスマスの奇跡だわ!!!」とうれしそうに笑った。

この部屋は、富裕層のブラジル人が買い、壁など取り壊し、全く違うレイアウトに変わってしまうことが決まっているのだそうだ。2007年に初めての滞在以来、その後、バスルーム(2008年)とキッチンのリフォーム(2011年)もされたのに、キッチンもバスルームもなくなってしまうのだという。

すべての部屋に アデュー(さよなら)、そしてメルシーが言えて本当によかった。

この盆栽?は、この夫妻がお掃除を週に2回お願いしているポルトガル人の女性からのプレゼントだった。日本好きの夫妻に時々このように贈り物を下さるそうだ。彼女もまた夫妻とのお別れを惜しんでいることだろう。

私も泊まっていた時に会ったこともあるが、とても働き者で感じのいい女性で、水回りなどもピカピカで気持ちよく過ごさせてもらったことに改めて感謝したい。

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ビュット・ショーモンまで無賃乗車!?

2021-01-11 00:04:22 | 2019年クリスマスの旅行(アルザス・リヨン)

さて、ビュットショーモンまで、ストライキのさなか、行けるのか。

 バスがいいのではと、ヴァンセンヌの駅まで行くことにする。途中、マルシェが立っていた。

バスのターミナルで、何人かに聞いたが、直通のバスより、メトロで途中まで行った方がいいという。

バスは乗り換えなしでいいのだが、どのバスなのかさっぱりわからないし、運行しているのかさえ分からない。

とりあえず、メトロでNATIONまで行くことにした。ここで降りるのは初めてだった。大きな広場だ。

ここからバスB71に乗るのだが、広いロータリーなので、バス停もたくさんあり、わかりにくい。

ようやく見つけたが、超満員で乗れそうにない。見送ろうと思ったら、「乗れ」という合図をアフリカ系のお兄さんが入口?出口で中から手招きをする。

えー?このぎゅうぎゅうのバスに乗る?怖すぎる、と思ったが、乗るしかない。冬でよかった。貴重品を含めたバッグはすべてコートの下でしっかりバッグの位置を手で押さえて乗った。つまり出口から乗って出口から降りたのであり、切符は握りしめたまま降りてしまった。あきらかに無賃乗車であるが、この状況では誰もとがめはしない。運転手さんもどうすることも出来ないから黙認している。

 

 とにかく、メトロが二本しか動いていないこともあり、バスも少なく、乗れてもこの調子だ。

 ベルヴィルまで、超満員のままだった。しかも途中から乗ってきた中華系の大きな人はパンをかじりながらで、私の頭の上でポロポロとパンがこぼれている。帽子をかぶっていたとは言うものの。

 

ようやく、ビュットショーモンの前に着いた。着いてから気づいたのだが、ほんとにメトロのビュットショーモンの出口のところにバス停があるのだ。

でも、プレゼントに花を買おうと思っていたので、少し手前のピレネーあたりのバス停で降りて店を探した。一軒だけあって、ピンクのチューリップを買った。

花屋で花を買う前に、在宅かどうかを確かめるために電話をした。

ミッシェルさんが出たので、「引っ越しの準備?」と聞いたら、「そうなんだよ。」と言っていたが、電話だけでもサプライズのようで喜んでいた。この時点ではまだ日本からの電話だと思っておられた。

 

そして数分歩き、アパルトマンの前に到着したが、サプライズなので、コードも知らない。いよいよ、ここで電話をして開けてもらうしかないかと思ったが、運よく?同じアパートの人が戻ってきて、開けてくれた。

 エレベーター(乗るにもカギがある)も開けてくれたが、インターホンを押すと、初めは、奥さんの息子が出て、ちんぷんかんぷん?だった。しかし途中でミッシェルさんに代わり、「下にいるんだけど。」と言ったら「え!?」と、たぶんこの時点でも半信半疑だったと思う。

 

そして、エレベーターで5階まで上がると、ミッシェルさんが部屋の外で待っていてくれた!!もう嬉しさのあまり、飛びついてしまった!!!日本人ではありえないかも、くらいの勢いで。

ミッシェルさんもきっと何が何だかわからなかったことだろう。

 

そして、懐かしい部屋へ入ることになる。

 

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サプライズを仕掛けるしかない!!!

2021-01-10 00:28:24 | 2019年クリスマスの旅行(アルザス・リヨン)

昨夜から考えて、やっぱり残されたパリの滞在、1日目はやはりミッシェルさんのところへ行くしかない。

ミッシェルさん夫妻なくしては、私の今までのフランス、パリでの滞在は考えられなかった。2007年以来、彼らあってのパリ滞在だった。

    最初から空港への送迎、友人宅や駅への送迎をしてくれた。特に最初の年は私が「あなたはプライベート運転手のようだった」と言ったくらいあちこちの友人への家への送迎をしてくれたことは、今も忘れられない。

ただこの人はSuper方向音痴で、一度パリリヨン駅に送ってもらった時、駐車場に置いた自分の車を見つけるのに1時間半もかかったという人なので、それ以来パリリヨン駅への送迎は、遠慮させていただくことになった。

それをエスカレーターに「あなたのパリの友人は駅に迎えに来てくれないのか。こんな大きなスーツケースがあるというのに」と言われたこともあった。

 

また、パリ歩きはもちろん、近郊へも車であちこち連れて行ってもらった。

 

    プロヴァン、シャルトル、ジベルニー、ノルマンディー近くのリヨンラフォレとジョルブロワ。

    でも何といっても ビュットショーモンの向かいの快適なアパルトマンでの滞在は どれだけ感謝してもしきれない。

    彼らの寝室を明け渡してくれ、浴室も大きなバスタブのメインのバスルームを私に、彼らは小さな部屋で小さなシャワールームを使用していたのだった。

    いつもフランスに行くことを知らせると、「あなたの部屋が待っているよ」と言い、私が帰国すると「空っぽの部屋に行くとあなたがいなくなって寂しく思う」と言ってくれた。

 

    それが、2019年の9月ごろだったろう。「ニースへ引っ越すことになった。」との知らせを受けたときは、涙が出そうになった。パリジャン・ミッシェルさんはパリが大好きで、ノートルダムの尖塔の火災の時もひどく悲しまれ、86歳になる彼は、「私が生まれたときからずっと見てきた尖塔がなくなり、もう二度と見ることはできない」と言った。

 若い世代のフランス人友人たちが悲しみながらも「またきっと建設されるのを楽しみにしている。」といったのとはやはりちがう。

私は彼にかける言葉が見つけられなかった。

 

ブルターニュ南部に住んでいた奥さんのお母さんがこの年亡くなったことを機に、奥さんの息子がいるニースへと終の棲家を決めたのだった。

 数年前から、病床のお母さんのところとニースを行ったり来たりすることもあり、パリの拠点を動かすことはできなかったのだ。

 ミッシェルさんはこのお年で、パリからブルターニュ、またパリからニースへと車での移動していたのだ。

ミッシェルさんばかりの話になったが、奥さんのJクロードも素敵なマダムで、声が独特で可愛く優しい。

だから、ここを連絡先として他の友人たちに知らせていたが、連絡のため電話をかけて奥さんが出ると、みんな安心するのである。

 

とにかく、サプライズは決めた。さて、ストライキで12本中2本しか動いていない地下鉄。どうやっていけばいいのか。

 

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明日の予定と心配な帰国への手段

2021-01-09 10:18:00 | 2019年クリスマスの旅行(アルザス・リヨン)

TGVを降りて、パリに着いたら、フランソワーズ夫妻とお別れだ。

 彼らは、そのあと郊外の家に帰宅だが、RER C線は大幅な間引き運転とあって、パリ・オステルリッツ駅まで行って、数時間時間をつぶすという。

 私はアパートの鍵を渡すために迎えに来ていたJルイさんと一緒にアパートへいく。

 私が紹介して、少しだけフランソワたちも挨拶を交わすが、もうこれは事務的なことと言っていいだろう。3月に来日予定(コロナで実現できず)の夫妻も1月に来日予定(これは実現できた)のJルイさんも来日の話は簡単にして、それ以上に発展することはなかった。

 

 パリ・リヨン駅から、アパート(貸し家)のあるシャトードヴァンセンヌまでは1号線で乗り換えなしだ。

 Jルイさんは、シャトードヴァンセンヌの駅の近くのお気に入りのレストランなどを教えてくれたあと、おなかがすいていたこともあって、迎えに来てくれたお礼もかねて、途中のパン屋さんでお茶を一緒に。



 今日はオーナー夫妻も留守、ほかの賃借人も留守ということだ。今日の夜は、買い物に行って、簡単なものを食べることにする。美食が続き、少し休めるためにもいい。

 

 さて、明日(12月27日)はどうしようか。

 ビュット・ショーモン近くの友人を訪ねてみたい。彼らには2019年の3月に会っているため、今回の旅行は知らせていない。ほんとは会いたかったし、連絡もしたかったが、彼らに言うと、あと共通の友人2組もいる。この短期間のスケジュールでは、とてもそんな時間はない。

また、まさか1年に2回も来るとは思っていない。ミッシェル夫妻に会いに行くとしたら、ほんとにサプライズだ。

 彼らは年明けに長年住み慣れたパリを離れ、ニースへの引っ越しが決まっていた。

 

 それを聞いた時、私はものすごくショックで、寂しかった。

 なぜなら、過去のパリの滞在で一番お世話になった夫妻であったからだ。

 

 やはり訪ねるとしたら明日しかなさそうだ。

 しかし、まだこの時、帰国のためのアパートから空港まで、どのような手段にするか、決めていなかった。

 フランソワが言うには、ストの関係で来る時のような渋滞があったら大変だから、「前日(29日)の夜から空港近くのホテルに泊まったほうがいい」と言われ、彼らも泊まったことがあるというホテルに一応予約も入れることにした。

そうなると残りのパリの滞在も少なくなる。

また、そのホテルに行くにも大変なのだ。

タクシーで? パリ・リヨン駅からの空港バス?

もし満員だったら?

いろいろ不安なことがまだまだあって、決めきれないのだった。




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