
学校の授業でいま教師が踏まえる留意点は、「正解のない問い」を児童生徒に示すことです。
いかに子どもの思考力を深め、判断を適切
にさせ、豊かに表現させるかという観点で、発問をします。
「鎌倉幕府が成立したのは何年ですか」
「はい、1192年です」
このやりとりは正解のある問いです。
だから、児童生徒の学習は知識を暗記することが中心になります。
ところが、「鎌倉幕府が成立して、日本文化にどのような影響を与えましたか」
これは、簡単には答えが出せないですし、答えはいくつもあります。
それを児童生徒は、知識をもとに、資料・史料などで考え、根拠をもって答えを導きだすのです。
このとき、児童生徒にとっては、発問を聞いたときはまず「わからない」という状況です。
それを教師は子どもに、投げ出さず粘り強く取り組むように、意欲を高めながら思考させるのです。
その点では、今の学校では授業をする教師には高い専門性が求められるようになっています。
さて、この「わからない」は、ある意味で今の時代を映し出しているといえます。
現代、とくにこの20年間でインターネットは飛躍的に発展拡大し、私たちの生活の隅々にまで入り込んでしました。
まさしく「情報の洪水」が押し寄せてきます。
そして、真実が見えなくなりました。
フェイクニュースも横行しています。何が真で、何が偽かもわからない。
そうです。今は「わかりにくい」という時代なのです。
そこで、人はわかりにくいことに我慢できずに、ネットに横たわっているわかりやすい答に飛びつくのです。グレーゾーンやあいまいさを残さないのです。
しかし、わたしは思うのですが、人が人たるゆえんは、深く考える、思索することにあるのでないでしょうか。
パスカルの「人間は考える葦である」という言葉のように。
ですから、今の時代は、まず答えの出ない状況に向き合う耐性が、私たちに求められます。
その耐性のことを、ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)というそうです。
早急に答をもとめず、まず聴くこと、そして待つことで、よく考え自分の答を見つけることを大切にしたいのです。
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