
そして被曝を含めた放射能に関する不安からひととき離れて心身を癒そうとする、またそうした人びとを受け入れる活動のことです。
2011年3月の東京電力福島第一原発事故直後から、日本各地でたくさんの受け入れプログラムが実施されました。
2012年からは、さらに多くの保養が行われました。
保養という呼び方は、1986年に旧ソ連のチェルノブイリ原発で起きた事故のあとにロシア、ウクライナ、ベラルーシなどで取り組まれてきた活動に由来します。
これらの地域では、法律で保養の権利が明記されたり、交通費や滞在費が支給されたりするなど、国の事業として保養が行われてきました。
残念ながら日本では国がそのような施策を講じることはなく、「自分たちにできることを」という思いに突き動かされた民間団体の人びとが、次々に全国で自発的に保養を行うようになったのです。
その後年月を経て実施数や形は変化していますが、今も保養は各地で続けられています。
日本の保養の大きな特徴は、そのあり方がとても多様であることです。
子どもだけを受け入れる・親子で参加する・宿泊施設を提供する自由滞在型・学習支援つき・テントに泊まる自然体験などなど、形態も対象もさまざまです。
事故の影響を受けた地域からひととき離れて、みんなで遊んだり、学習したり、おいしいご飯を食べたり、健康診断を受けたり、スポーツや芸術活動などを体験したりする。
そのような、子ども期をより豊かなものとするようなプログラムを大切にしようとする点は、多くの団体に共通した考え方だといえます、
子どもだけではなく、保護者にとっても心身のリフレッシュや新たな出会いを得る大事な機会となっています。
保養を主催する側は、学習会やスタディツアーなどを通して、参加者が暮らす地域の現状を知ろうと努力しており、参加者とのつながりを大切にしています。
主催する側と参加者が、長年にわたって親戚のような、古くからの友人のような関係を築いていることも少なくありません。
そのように多くの保養は、参加者と受け入れ側が、短期間でも一緒に生活する仲間としてみんなでつくりあげる「居場所」として大切に継続されています。
(「子どもと原子力災害保養資料室・ほよよん」の保養の説明文から掲載しました。)
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