人生100年と言われるような超高齢化社会が進行しています。
もし100歳まで生きるなら、50歳はUターンの折り返し点となります。
人の一生が長くなるということは、老年や高齢や老いとつきあっていく時間が長くなるということです
50歳を過ぎて若さをなくし始めたとき、「昔はよかった」と懐かしむか、これからもイキイキと過ごすのか。
これからは多くの人が、この問題に直面することになります。
わたしは、何度か中学生が涙を流すのを見てきました。その泣いている事情はいろいろありますが、事情はともあれ、若い子の流す涙は美しいと思います。
しかし、50代になり齢(よわい)を重ねたら、美しさという基準を変えるのがいいようです。
美貌とか肉体的な若さではなく、人間としての成熟度をみるのです。
ところが、それはけっこう難しいのです。
ところが、それはけっこう難しいのです。
歳がいくほど、不機嫌になる人がいます。イライラすることが増える人がいます。
新型コロナウイルス対策で、自粛をしない人に強く当たるのも、不機嫌が高じてイライラするからかもしれません。
老いて体の自由がききにくくなったときには不機嫌になるのではなく、あえてニコニコとしていたいものです。
老いて体の自由がききにくくなったときには不機嫌になるのではなく、あえてニコニコとしていたいものです。
50歳を過ぎたら成熟がキーワードになります。
歳をとっても、ニッコリとできる人は、ものごとを成し遂げる気力と情熱があることの証(あかし)です。
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