箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

「あてにする」ということ

2021年12月18日 09時53分00秒 | 教育・子育てあれこれ


「あてにする」を英語では、relyと言います。そこからreliance(信頼、あてにすること)という言葉が派生します。

今回の新型コロナウイルスの感染拡大を防止するという点で、国はあてにできないと思った人が多かったのではないでしょうか。

感染すれば、軽症の人だけでなく、中等症の人までが入院できず自宅で療養するように強いられました。

国民健康保険制度が整い、一人あたりの病院のベッド数は世界有数の国と言われる日本であるのに・・・。

「自分の身は自分で守りなさい」と言われていると感じた人も多くいたのではないでしょうか。

また、あてにするといえば「組織や会社は社員を守ってくれる」と思えたのは、おそらくバブル崩壊の前まででした。

終身雇用はとっくの前になくなり、解雇や雇い止めはすでに常態化するようになりました。

清濁併せ吞む経験を積む

さて、私は学校は「児童生徒を自立に近づけるところ」という考えをもっています。

この「自立」とは何でも一人でできるようになることではありません。

自分でできることは自分でするが、一人ではできないことも多くあります。そのときに、「助けて」といって人にたよって助けてもらえる人間関係をもつことが、本当の意味での「自立」であると思うのです。

したがって、現在のように社会全体が人をあてにすることができない、他人とはそういうものという状況では、児童生徒が将来に希望をもちにくいのです。

その中で、学校教育はどこに活路を見いだしていくのでしょうか。

それは、学校のなかで大切にされる実感を児童生徒が積んでいくことでしょう。

毎日、友だちといっしょに学校生活を楽しみ、教師との信頼関係を深め、力を合わせ学校行事に取り組み、人への感謝を忘れない。

ただし、清いことばかりではない。

人と交われば傷つくこと、ときには裏切られることもあるが、それでも人ってたよっていいのだ。

このように、「清濁併せ吞む」経験を積み重ね、たよりになる人に出会える場が学校であってほしいと願うのです。


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