一週間前、うちの祖父は天国という素敵な場所に、旅立ちました!
とても素敵な91年間を終えて、めでたき旅立ちでした。
本郷台キリスト教会という教会が私の母教会なのですが、
そこで、葬儀を。父のときも祖父の時もしていただいてます。
故人を思い出して遺族が文章を書くと、冊子を作ってくれて
式次第にはさんで参列の方に配布してくれるという粋な(?)
計らいをしてくれます。
うちのおじいちゃんは、我が家の親戚一同のリーダー的な存在でしたので
多くの人々が葬儀に来てくださったようです。
また、横浜に移住してきてからは、教会には出席できる回数が少なかった
のですが、みな、私や母親の祖父であり、父であるということで、
親しみを持って心こめて葬儀のお手伝いをしてくださいました。
本当にありがとうございます!
ちょびーっと寂しいですね。
横浜に帰っても私のかっこいいおじいちゃんはもう居ない事は。
本当にハンサムだったんですよー。
背も高かったし、話もおもしろいし、頭はいいし、特技は弓道と、、、
マージャン?あ、いやいや。計算、とか、旅行の計画とか。
人を楽しませることが大好きで、また、よく働く人でした。
そんな家から生まれた母親から私が生まれ、
弓道のりりしさや、天才的な頭の良さなどは、一体どこに引き継がれ
ちゃったんだろうかぁ?よくわかりません。
ちなみに、ハンサムなおじいちゃんの相棒であったうちのおばあちゃんは
これまた、絶世美人です。
これもまた、どこに引き継がれちゃったかなーぁ。
どちらにしても、悲しい別れではなく、めでたい旅立ちとなり、
心こもった葬儀をしてくださった、わが本郷台キリスト教会には
感謝でいっぱいでございます。
韓国語で「本郷」というと、天国のいみもあるんだよ。
発音は「ぽんひゃん」って感じですが、時々讃美に出てきます。
ってことは、
天国から天国への旅立ちだったのか?
おじいちゃんの思い出文章をここに載せます。
葬儀の時に配布していただいたもののうち、私が書いたものだけ抜粋です。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
おじいちゃんの思い出
小さい頃おじいちゃんが、「ウミボウズの話」や、「海軍での怪談」をしてくれたことがありました。ウミボウズの話というのも、海軍での怪談に入りますが、昔おじいちゃんが経験した軍の話や、本当らしく臨場感たっぷりに話すその怪しい話は、非常に私の心を惹きました。私が喜ぶと同じ話を同じように何度でもしてくれました。
その話の内容と独特な口ぶり。おじいちゃんは、とてもおもしろい人で、ずっと大好きな人でした。そして、私が20歳をすぎても、大昔、私があげた「おじいちゃんだいすき めぐみ」と書いたカードを財布に入れて持ち歩いていました。時々それを取り出しては、「あんたが昔これくれたんだよ」と、見せてくれました。
私のいとこはドイツで成長しましたが、よく日本におばが里帰りをしてくれるおかげで、そして、このおじいちゃんのおかげで仲良く育ちました。おじいちゃんが夏休みや冬休みのたびにアレンジしてくれる旅行の企画に親族揃って、大喜びで参加しました。おじいちゃんは、常に私たちの「リーダー」という感じでした。
私は韓国に派遣され、今は神学を勉強中ですが、今年の春に一時帰国をしたときには、ぜひおじいちゃんにイエスさまという方を紹介したいと思いました。おじいちゃんには小さい頃から多くの目に見えるものや、体験できる思い出をもらいましたが、それ以上に、私を生んでくれた母を生み出した存在であり、育てた人だと改めて気がつきました。命をくれた人であることに気がつきました。私が信じる神様が用意してくれている天国を教えてあげる事が、私にできる一番の贈り物だと思えました。
伝道、宣教という言葉をたくさん聞いてきたし、私自身が宣教師ですが、自分が神様に愛されているということが溢れて、初めて人への愛も溢れ、神への愛に溢れ、それを伝える事ができる、その熱意を持つことができるということをおじいちゃんに話していて感じました。宣教師としての一番楽しい時間でした。イエスさまとおじいちゃんの出会いの瞬間に居合わせることができてうれしかったです。
その前までは仏壇念仏神棚に生きてきたおじいちゃんでしたが、神様を信じてイエスさまの用意してくれた天国に行くとその時決めてから、意識がもうろうとしても「アーメン」だけ、周囲の人の祈りに心を合わせるようになったと聞いていました。
91年という長い人生、いつも忙しく積極的に活動して働いてリーダーシップをがっちり握っていたおじいちゃんでしたが、そのリーダーにイエスさまというリーダーが居てくださるようになりました。
イエスさまに出会った日、おじいちゃんは、楽しい会話の中にも、「この歳になって、誰かの導きがなければ、どこにも行けないんだよ」と言っていました。その時イエスさまをお迎えし、地上のその瞬間からイエスさまがリードしてくださいました。今もその備えの場所に、約束に従って入っていったことを信じて、残された私たちもとても幸せであり平安です。
親が死んで感謝と思える人は普通いませんが、召された日に母から「いい一日だった」と電話で言われました。一番良いところに導いてくださる方への信仰があるから言える言葉で、これ以上感謝なことはありません。
おじいちゃんにたくさんのものや、命をもらい、私も永遠の命を共有する事ができて幸せでした。おじいちゃんだいすき♡
とても素敵な91年間を終えて、めでたき旅立ちでした。
本郷台キリスト教会という教会が私の母教会なのですが、
そこで、葬儀を。父のときも祖父の時もしていただいてます。
故人を思い出して遺族が文章を書くと、冊子を作ってくれて
式次第にはさんで参列の方に配布してくれるという粋な(?)
計らいをしてくれます。
うちのおじいちゃんは、我が家の親戚一同のリーダー的な存在でしたので
多くの人々が葬儀に来てくださったようです。
また、横浜に移住してきてからは、教会には出席できる回数が少なかった
のですが、みな、私や母親の祖父であり、父であるということで、
親しみを持って心こめて葬儀のお手伝いをしてくださいました。
本当にありがとうございます!
ちょびーっと寂しいですね。
横浜に帰っても私のかっこいいおじいちゃんはもう居ない事は。
本当にハンサムだったんですよー。
背も高かったし、話もおもしろいし、頭はいいし、特技は弓道と、、、
マージャン?あ、いやいや。計算、とか、旅行の計画とか。
人を楽しませることが大好きで、また、よく働く人でした。
そんな家から生まれた母親から私が生まれ、
弓道のりりしさや、天才的な頭の良さなどは、一体どこに引き継がれ
ちゃったんだろうかぁ?よくわかりません。
ちなみに、ハンサムなおじいちゃんの相棒であったうちのおばあちゃんは
これまた、絶世美人です。
これもまた、どこに引き継がれちゃったかなーぁ。
どちらにしても、悲しい別れではなく、めでたい旅立ちとなり、
心こもった葬儀をしてくださった、わが本郷台キリスト教会には
感謝でいっぱいでございます。
韓国語で「本郷」というと、天国のいみもあるんだよ。
発音は「ぽんひゃん」って感じですが、時々讃美に出てきます。
ってことは、
天国から天国への旅立ちだったのか?
おじいちゃんの思い出文章をここに載せます。
葬儀の時に配布していただいたもののうち、私が書いたものだけ抜粋です。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
おじいちゃんの思い出
小さい頃おじいちゃんが、「ウミボウズの話」や、「海軍での怪談」をしてくれたことがありました。ウミボウズの話というのも、海軍での怪談に入りますが、昔おじいちゃんが経験した軍の話や、本当らしく臨場感たっぷりに話すその怪しい話は、非常に私の心を惹きました。私が喜ぶと同じ話を同じように何度でもしてくれました。
その話の内容と独特な口ぶり。おじいちゃんは、とてもおもしろい人で、ずっと大好きな人でした。そして、私が20歳をすぎても、大昔、私があげた「おじいちゃんだいすき めぐみ」と書いたカードを財布に入れて持ち歩いていました。時々それを取り出しては、「あんたが昔これくれたんだよ」と、見せてくれました。
私のいとこはドイツで成長しましたが、よく日本におばが里帰りをしてくれるおかげで、そして、このおじいちゃんのおかげで仲良く育ちました。おじいちゃんが夏休みや冬休みのたびにアレンジしてくれる旅行の企画に親族揃って、大喜びで参加しました。おじいちゃんは、常に私たちの「リーダー」という感じでした。
私は韓国に派遣され、今は神学を勉強中ですが、今年の春に一時帰国をしたときには、ぜひおじいちゃんにイエスさまという方を紹介したいと思いました。おじいちゃんには小さい頃から多くの目に見えるものや、体験できる思い出をもらいましたが、それ以上に、私を生んでくれた母を生み出した存在であり、育てた人だと改めて気がつきました。命をくれた人であることに気がつきました。私が信じる神様が用意してくれている天国を教えてあげる事が、私にできる一番の贈り物だと思えました。
伝道、宣教という言葉をたくさん聞いてきたし、私自身が宣教師ですが、自分が神様に愛されているということが溢れて、初めて人への愛も溢れ、神への愛に溢れ、それを伝える事ができる、その熱意を持つことができるということをおじいちゃんに話していて感じました。宣教師としての一番楽しい時間でした。イエスさまとおじいちゃんの出会いの瞬間に居合わせることができてうれしかったです。
その前までは仏壇念仏神棚に生きてきたおじいちゃんでしたが、神様を信じてイエスさまの用意してくれた天国に行くとその時決めてから、意識がもうろうとしても「アーメン」だけ、周囲の人の祈りに心を合わせるようになったと聞いていました。
91年という長い人生、いつも忙しく積極的に活動して働いてリーダーシップをがっちり握っていたおじいちゃんでしたが、そのリーダーにイエスさまというリーダーが居てくださるようになりました。
イエスさまに出会った日、おじいちゃんは、楽しい会話の中にも、「この歳になって、誰かの導きがなければ、どこにも行けないんだよ」と言っていました。その時イエスさまをお迎えし、地上のその瞬間からイエスさまがリードしてくださいました。今もその備えの場所に、約束に従って入っていったことを信じて、残された私たちもとても幸せであり平安です。
親が死んで感謝と思える人は普通いませんが、召された日に母から「いい一日だった」と電話で言われました。一番良いところに導いてくださる方への信仰があるから言える言葉で、これ以上感謝なことはありません。
おじいちゃんにたくさんのものや、命をもらい、私も永遠の命を共有する事ができて幸せでした。おじいちゃんだいすき♡