今日は朝、わけの分からない「組織神学」を特別に教えてくださる
牧師さんに特別個別授業を受けに行きました。
授業は教授が独特な人であるため、注意して聞いても疲れるだけで
理解を放棄して座っているだけなんで、正直、時間の浪費です。
(すいません!)
その教授が書いた本を持って、牧師さんに個別授業を受けるわけなんだけど
この人に習うと、本当に組織神学って面白いです。最高~^^
人間が小さくさせられます。
人間の位置を知る手がかりです。
もっと言うと、こういう視点を無しに聖書を読むことが危険です。
聖霊の導きが、いつも必要なのはここでも強く言われている事なんで、
とくに「学問」が必須と言うわけではないけれど、大きな手がかりなんですね。
もし日本の神学校行っていたら、これが一番楽しい授業だったかも。
真理である聖書を理解するには真理である聖書に証明を求める。
他の学問で「真理」と認められることは、結局多くの人が「そうだ」と
言ったからその時代に「真理」であるとされるに過ぎず、聖書が持っている
真理性とはまったく質が違う、と言います。
そして、究極的に神学とは、人が神様を知る事ではなく
神様に私を、私たちを知っていただく事なんだって!
いや~なんという・・・祝福
神学の必要性の大きさを、神学校に通い始めて感じています。
学問が必要って言うよりも、神様が私たちに与えてくださっている
歴史的贈り物ともいえる多大な財産を、知らないでいることは
もったいないと思います。
そして、今日、教えられたように、学問どうこうよりも、人が聖書の前に、
そして神様の前に、どういう存在なのかを改めて色んな角度から
知らされる事自体が、自分の姿勢を正される瞬間となり、
有意義です。
牧師さんに授業をしてもらっていた神学校で食事をしてから
学校に向かったのですが、日差しが強くて、
半そで着て来て正解と思えるような気温。
韓国で一年が経ったということを実感します。
冬の服も大体整理がついて、一年ぶりにみた夏の服を着て
学校に行った本日でした。
次のこの季節にはどうなっている事やら
もっと神様に知っていただける
大学院2年目の私になっているかしら?
牧師さんに特別個別授業を受けに行きました。
授業は教授が独特な人であるため、注意して聞いても疲れるだけで
理解を放棄して座っているだけなんで、正直、時間の浪費です。
(すいません!)
その教授が書いた本を持って、牧師さんに個別授業を受けるわけなんだけど
この人に習うと、本当に組織神学って面白いです。最高~^^
人間が小さくさせられます。
人間の位置を知る手がかりです。
もっと言うと、こういう視点を無しに聖書を読むことが危険です。
聖霊の導きが、いつも必要なのはここでも強く言われている事なんで、
とくに「学問」が必須と言うわけではないけれど、大きな手がかりなんですね。
もし日本の神学校行っていたら、これが一番楽しい授業だったかも。
真理である聖書を理解するには真理である聖書に証明を求める。
他の学問で「真理」と認められることは、結局多くの人が「そうだ」と
言ったからその時代に「真理」であるとされるに過ぎず、聖書が持っている
真理性とはまったく質が違う、と言います。
そして、究極的に神学とは、人が神様を知る事ではなく
神様に私を、私たちを知っていただく事なんだって!
いや~なんという・・・祝福
神学の必要性の大きさを、神学校に通い始めて感じています。
学問が必要って言うよりも、神様が私たちに与えてくださっている
歴史的贈り物ともいえる多大な財産を、知らないでいることは
もったいないと思います。
そして、今日、教えられたように、学問どうこうよりも、人が聖書の前に、
そして神様の前に、どういう存在なのかを改めて色んな角度から
知らされる事自体が、自分の姿勢を正される瞬間となり、
有意義です。
牧師さんに授業をしてもらっていた神学校で食事をしてから
学校に向かったのですが、日差しが強くて、
半そで着て来て正解と思えるような気温。
韓国で一年が経ったということを実感します。
冬の服も大体整理がついて、一年ぶりにみた夏の服を着て
学校に行った本日でした。
次のこの季節にはどうなっている事やら
もっと神様に知っていただける
大学院2年目の私になっているかしら?