言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

「日本国憲法の改正手続に関する法律」施行

2010-05-18 | 日記
総務省」 の 「国民投票制度

憲法改正国民投票法の施行

 日本国憲法第96条に定める日本国憲法の改正に関する手続を内容とする「日本国憲法の改正手続に関する法律(憲法改正国民投票法)」が、平成22年5月18日に施行されました。


 本日、「日本国憲法の改正手続に関する法律(憲法改正国民投票法)」が施行されたと告知されています。詳細はリンク先に飛んでください。



 私は憲法改正を望んでいます。9 条を改正し、日本が「普通の国」になることを望んでいます。



 昨年の衆院選で、民主党が衆議院において圧倒的多数を占めたことで、

 次の参院選の結果によっては ( 参院選までの政権運営によっては ) 、日本で「初の」憲法改正の日が訪れるかもしれないと、心中密かに期待していました。民主党の支持率は低減傾向にあり、その日は当分、来ないかもしれない雲行きになってきていますが、

   ひょっとすると、もしかすれば、その日が来るかもしれない

と期待しています。いきなり、9 条の改正は難しいかもしれません。しかし、

   憲法のどの条項であれ、憲法「改正」の実績が生じることで、
   9 条改正への道が開けるのではないか、

と期待しています。



 「護憲」を主張する人々が、たとえば基本的人権に関する規定の「改善」( 人権保障を強める方向への変更 ) にも反対するならば、「なんのための護憲なのか」ということにもなります。

 私としては、国民の生命・人権を守るためには、9 条改正は必須だと思いますが、国民の多数意志が 9 条維持なら、それはそれでひとつの決断だと思います。



 なにはともあれ、やっと

   「憲法上、制定されることが当然予定されている法律」
    =「存在していなければならない法律」

が施行されたことを、うれしく思います。

中国における労働運動の背景

2010-05-17 | 日記
アレクサンドラ・ハーニー 『中国貧困絶望工場』 ( p.188 )

 韓東方は一九八九年の天安門事件における抗議活動で中心的役割を果たした罪で刑務所送りになった労働運動家である。彼はこう主張する。
「出稼ぎ労働者が権利を主張するようになってきた背景の一つには、他に選択肢がないことが挙げられる。農村部で農地の供給が減少していることは、現在の出稼ぎ労働者には戻れる場所がほとんどなくなっているということを意味する。本当に身の置き所がなくなっているのだ。これが現実である」
 ミシガン大学社会学部のチン・クワン・リー助教授 (労働政治学・抗議活動専攻) も同じ意見である。
「地方は労働者を追い出し、都市部に長期間留まることを強いる巨大な力と化している。一〇年前とは様変わりで、土地を頼りとする考え方は必ずしも一般的ではなくなった。他に道がないので、自らの権利のための闘いに力を入れるようになってきている」


 出稼ぎ労働者が権利を主張するようになった背景の一つとして、帰る場所 (農地) がほとんどなくなっていることが挙げられる、と書かれています。



 「中国人労働者の意識変化」でみたように、中国では、労働者が権利意識を強め、自らの待遇改善に向けた行動を強め始めています。ここでは、その原因の 1 つとして、彼らには、「帰る場所がない」ことが挙げられています。



 「農地の供給が減少している」という部分、すこしわかりづらいですが、これはおそらく、中国における砂漠化と無関係ではないと思います。

 中国では、たとえば北京とゴビ砂漠のあいだに広がる草原地帯を、農地にすべく開墾しています。ところが、耕作すれば、土地表面の草は剥ぎ取られて ( はぎとられて ) しまいます。その結果、

   今までは風が吹いても ( 草によって ) 土が守られていたのに、
   今では、風によって表面の土が吹き飛ばされてしまう

現象が発生しています。表面の土が吹き飛ばされると、その下にある砂が剥き出し ( むきだし ) になり、あたり一帯が砂漠になってしまうのです。



 砂漠では、当然、農耕は不可能です。さらに、砂漠化が進めば、これまでの農地 ( 新たに開墾した土地ではなく、昔からの農地 ) での耕作も、不可能になります。



 「農地の供給が減少している」理由は、砂漠化以外にもあるとは思いますが、たとえばこのようなプロセスによって、出稼ぎ労働者には、「帰る場所がない」状況になっている。そこで、彼らにとって、工場等での労働条件を改善することが、死活問題になっているのだと考えられます。

 当然、彼らにとって、生死を賭けた闘いになっているわけで、

「中国当局が『ある一線を越えた活動家には、嫌がらせをしたり、逮捕したり、刑務所にぶち込んだりする』にもかかわらず、抗議活動やストライキ、雇用主に対する訴訟を起こし始めている」(「中国人労働者の意識変化」)

事情も、理解できます。



 このように考えれば、当局の弾圧にもかかわらず、中国における労働条件の改善は、進むものと予想されます。不況によって、労働需要が減少することがあっても、長期的にみて、この流れ ( 労働条件改善の流れ ) は止まらないと考えてよいと思います。

弁護士増員と、弁護士の質の関係

2010-05-15 | 日記
イザ!」 の 「「弁護士増で質低下」 札幌高裁判事が同窓会HPで指摘」(産経新聞 2009/07/11 18:53 )

札幌高裁民事部の末永進部総括判事(63)が、出身高校の同窓会ホームページへの投稿で「法曹資格者を毎年3千人程度に増員することは問題。弁護士の増加は良いことだけではない。弁護士の質の低下傾向がはっきりとうかがえる」と指摘していたことが11日、分かった。

法曹人口については、政府が司法制度改革の一環として平成14年、司法試験合格者を10年ごろに年3千人まで増やす計画を閣議決定。しかし質の低下などを懸念する声が相次ぎ、日弁連は増員のペースダウンを求めている。現職判事が司法制度をめぐり、半ば公然と批判するのは異例。

 末永判事は法律用語を正確に理解していない弁護士がいると指摘。裁判に時間がかかる一番の要因を、弁護士らの当事者が「十分に事実関係を調査せず、主張すべきことを主張しないことにある」としている。


 裁判官が、( 弁護士増員によって ) 弁護士の質が低下している、と述べたと報じられています。



 この話は以前から知っていましたが、今日、原文をみつけました。引用します。



函館ラ・サール学園同窓会」 の 「民事裁判はなぜ時間がかかるのか

札幌高等裁判所民事第2部総括裁判官 末永 進(2期)

(中略)

 ところで、今日の主題は、私の経歴ではありません。民事裁判はなぜ時間がかかるのかということをお伝えしたいと思います。私も、実際に実務を担当するまでは、なぜ、民事裁判に時間がかかるのか理解できませんでした。民事裁判の実態を知っていただくために、民事裁判について、おおまかにご説明しましょう。
 民事裁判は、原告がある一定の権利に基づいて被告に一定の行為を請求したり、一定の法律関係を確認したり、一定の法律関係を形成したりする制度です。そして、その一定の権利は訴訟物と呼ばれています。たとえば、原告所有の建物になんらの権限もなく居住している被告を退去させるのは、原告の建物所有権に基づく妨害排除請求権という訴訟物によるのです。また、原告所有の建物を被告に貸していたところ、被告が賃料を支払わないので、建物賃貸借契約を解除して、退去させたい場合には、建物賃貸借契約の債務不履行解除に基づく原状回復請求権がその訴訟物となります。
 そして、その訴訟物の存在について、原告に主張立証責任が生ずることになります。すなわち、原告において、その訴訟物の生ずる一定の事実を主張し(いわゆる原告の言い分)、被告にその認否を促し、その言い分を認めれば、原告勝訴の判決となり、被告が原告の言い分を否認したり、知らないと答弁した場合には、原告において、その事実の存在を立証するために証拠を提出することになります。被告は、原告提出の証拠とは相いれない証拠(いわゆる反証)を提出し、裁判官がそれぞれから提出された証拠を吟味して、その事実の存否を判断するのです。その原告・被告の双方の言い分と裁判官の判断過程を文字にしたものが、判決文なのです。
 このように説明すると、民事裁判は極めて簡単なように思われますが、実際には、そのようなわけにはいきません。なぜなら、弁護士のなかには訴訟物という法律用語すら知らない人や、訴訟物の存在を主張するための一定の事実(これを要件事実といいます。)を正確に理解していない人もいるのです。もちろん、本人が訴訟行為を行ういわゆる本人訴訟ならなおさらのことです。
 貸した金を返してくれないという事件を題材にして一例を挙げましょう。原告が提出した訴状には、「原告は、被告とは長年の友人であり、親友であった。その被告が、どうしてもお金がいるので貸してほしい。一月後にはきっと返済できるなどというので、3回にわけて、300万円を貸した。しかしながら、被告は、言を左右にして、300万円を返さない。よって、300万円と平成21年1月31日から年5分の割合による金員の支払を求める。」との記載されています。それに対して、被告は、その答弁書において、「金銭300万円は借りたものではないので否認する。被告は原告に300万円を支払う義務はない。」と主張しています。このような場合に、原告及び被告の主張は十分証拠調べに入ることができるほど整理されているのでしょうか。その答えは否です。これでは、裁判官は、どのような事実の存否を判断すればよいのかはっきりとしないのです。
 このような金銭消費貸借契約に基づく金銭の返還請求権の要件事実は、法律学上、①金銭の交付、②返還約束といわれています。
 訴状記載の原告の言い分では、①の金銭交付の要件事実が不十分なのです。事実としては、いつ、どこで、誰が、どのような形で、誰に、いくらを渡したのかということが主張されなければならないのです。3回に分けてというけれども、それは、いつのことか、それぞれいくらを誰に渡したのか、現金か、手形かなどなどです。また、②の返還約束の要件事実についても、いつ、誰が、いつまでに返済すると言ったのかがはっきりしないと、事実を調べるにしても、調べようがないのです。
 このように、当事者の主張が不十分であり、争点として、どのような事実の存否を判断すれば、勝敗が決まるのかを明確にする手続がいわゆる民事訴訟の口頭弁論期日における裁判官の釈明といわれています。当事者の代理人弁護士がその事案を十分に調べ尽くしていれば、その期日に直ちに返答ができるはずです。しかも、この釈明は、当事者の代理人弁護士がその事件を取り扱う以上、当然予期できる事実なのです。しかし、その実態は、裁判官からの釈明事項に関しては、次回書面により釈明するなどと述べて、当該期日にはそれ以上進行することができない場合がほとんどなのです。このようにして、当事者の言い分を確定させる作業に早くて約1年程度はかかってしまうのが通常なのです。
 もうお分かりでしょう。民事訴訟が遅延する一番大きな要因は、当事者が事実関係を十分に調査せず、したがって、主張すべきことを主張していないことによるのです。確かに、裁判所にも遅延要因がないわけではありません。一人の裁判官の手持ち事件数が多いことや、判決起案に時間が掛かり過ぎることも一因です。しかしながら、十分に事実を調査せずに、訴状を提出する当事者に多くの原因があるのです。
 このようなわけで、民事裁判が遅延しています。そして、我が国の裁判制度は、ある意味で、退化しているような気もしています。目下、小泉政権下における司法制度改革により、刑事裁判手続きにおいて裁判員制度が始まろうとしています。そして、この制度には賛否両論があり、いろいろと問題があるようですが、それよりも問題なのは、法曹資格者を毎年3000人程度に増員しようとしていることなのです。弁護士が増えるのは良いことでしょうが、良いことだけではないのです。先ずは、質の低下が危惧されますし、現に、私の法廷では、その傾向がはっきりと窺われます。法廷で、弁護士にいろいろと教示する必要がでてきているのです。その意味では、法廷がロースクールと化することもあります。さらに、法曹資格者の養成制度が変わり、今までは大学に在学しようが、卒業しようが、司法試験という試験にさえ合格すれば、司法修習生になることができ、それと同時に国家から給与が支給されるので、お金持ちの師弟でなくても、法曹となることが比較的に容易であったのに、今では、大学の法学部を卒業した上、法科大学院に入学し、多大な授業料を支払った上、司法修習生となっても国家からの給与は支給されないこととなり、すべて順調に行ったとしても、25歳にならなければ、自分で稼ぐことができず、その結果、裕福な家庭の子女でなければ、法曹となれないような制度ができあがってしまっているのです。また、弁護士が大増員された結果、弁護士としての収入が減り、弁護士という仕事の魅力が減殺されてきているのです。加えて、通常ならば、事件にならないものが、弁護士の報酬獲得のために、事件として裁判となることも容易に想像できます。日本は確実にアメリカ型のような裁判社会に一歩を踏み出そうとしています。そして、裕福な階層からしか法曹が生まれないことになりつつあるのです。


 「民事訴訟が遅延する一番大きな要因は、当事者が事実関係を十分に調査せず、したがって、主張すべきことを主張していないことによる」、「弁護士のなかには訴訟物という法律用語すら知らない人や、訴訟物の存在を主張するための一定の事実(これを要件事実といいます。)を正確に理解していない人もいる」、と書かれています。



 要は、訴訟が遅延する原因を述べる際に、傍論として「小泉政権下における司法制度改革」の問題点を指摘したということであり、弁護士増員の是非は、「ついでに、日頃思っていることを書いたにすぎない」と考えられます。



 たしかに、「小泉政権下における司法制度改革」が「問題なのは、法曹資格者を毎年3000人程度に増員しようとしていること」である。「先ずは、質の低下が危惧されますし、現に、私の法廷では、その傾向がはっきりと窺われます。法廷で、弁護士にいろいろと教示する必要がでてきている」と書かれています。しかし、

   質の低下がみられるのは、ロースクール出身弁護士である

と書かれているわけではありません。文章の流れからすれば、ロースクール出身弁護士 ( 新司法試験制度によって合格し、弁護士となった弁護士 ) の質が低下していると読むのが自然ではありますが、「新制度は始まったばかりであり、ロースクール出身弁護士の人数は相対的に少ない」ことを考えると、

   質の低下がみられるのは、「旧司法試験制度によって合格し、弁護士となった者」である

と考えるのが自然です。とすれば、もともと弁護士の質は低下していたと考えられます。その場合、

   この裁判官の文章 (実感) は、著者の意図とは逆に「改革の必要性を示している」

と考えなければならないことになります。



 そもそも、ここで指摘されている「訴訟物」は民事訴訟法における概念です。民事訴訟法はロースクールで、必ず講義されているはずです。新司法試験においても、必ず受験しなければなりません。ところが、かつては ( 旧司法試験時代には ) 民事訴訟法は選択科目であり、必修科目ではありませんでした。

 このような経緯を考えると、
訴訟物を知らない弁護士は、ロースクール出身者ではなく、旧司法試験時代に弁護士となった者である可能性が、きわめて高い
と考えられます。



 実際、私の個人的な経験からみても、旧司法試験に合格した弁護士の質は、かならずしも高いとはいえません。たとえば、私は以前、一弁の湯山孝弘弁護士 ( 旧司法試験に合格して弁護士となった弁護士 ) に対して、法律上の権利を行使したことがありますが、私の権利行使に対して、湯山弁護士は、

   「で~きな~いから~あ」

と、胸を張って威張りつつ、返事をされました。私の権利行使に対して、湯山弁護士には「法律上、従う義務がある」はずであり、この返事は、「弁護士として、おかしい」といえます。

 後日、ほかの弁護士にこの話をしたところ、「権利である」「(弁護士ではない)あなたでもそれぐらいのことは知ってるはずでしょう」と言われたことから考えて、

   湯山孝弘弁護士は、法律の基本中の基本すら、わかっていない

と考えられます。素人でも知っている程度の事柄、法律の基本中の基本を知らない弁護士、というのは、いかがなものかと思います。したがって、私の経験からいっても、

   弁護士のレベルは低下している。
   しかし、その原因は弁護士増員 (制度改革) とは無関係である、

と考えるのが自然だと思われます。



 このように、もともと (弁護士増員以前から) 弁護士の質が低下していたとすれば、「弁護士増員によって、弁護士の質が低下する」という主張には、説得力がないと思われます。

 弁護士の数が増えれば、弁護士の競争が激しくなりますから、弁護士になった後、継続的に法的知識を維持・高める動機が生じます。

 したがって、(どちらかといえば) 弁護士増員により、弁護士の質は高くなるのではないかと思います。



■追記
 実名をださなければ、「旧司法試験に合格した弁護士の質が低い」ことを説明できないので、実名を出したうえで記載しています。湯山孝弘弁護士において、反論等があれば、コメントしていただければと思います。
 なお、その場合、「行政指導は明確でなければならない」についてもコメントしていただければ、とても助かります。

中国人労働者の意識変化

2010-05-14 | 日記
アレクサンドラ・ハーニー 『中国貧困絶望工場』 ( p.170 )

 中国が対外開放路線に変更してから二〇年間、労働者の大半は世界の製造業界にとって理想的な人材であった。どれほど過酷な職場環境であっても、従順かつ勤勉で、しかも最少の賃金で最大限に働く意欲を示す人々であった。だが、世紀の変わり目を迎えるに際し、中国の労働者は変わり始めた。
 改革開放後の出稼ぎ労働者は第二世代となり、その多くが一人っ子政策の下で生まれ育った小家族の人間であり、世界の工場におけるリスクや報酬に対する意識を多少は持ちながら、工場で働くようになった。というのも、彼らは第一世代出稼ぎ労働者の子ども、姪、甥または隣人であり、汚くて危険な工場、詐欺師のような工場経営者、機械に巻き込まれて失った指などの話を聞きながら育ってきた。そして、将来関わるようになるそんな世界とのうまい折り合いのつけ方を理解するようになったのである。
 このような知識が広まってくると、中国の製造業に従事する労働者も他国の労働者と似てくるようになる。以前に比べると、現在の中国の労働者は劣悪な労働条件の工場には行きたがらず、抗議活動やストライキを起こし、雇用主に対して訴訟を起こす傾向が強まっている。
 これらのすべてが中国の競争力に悪影響を及ぼすのは避けられない。中国の対外開放後の最初の二〇年間において、中国の優勢な競争力に貢献してきた低賃金、不公平な法の執行、労働者の権利に対する抑圧などの要素は労働者の不安を掻き立てることになり、従来の競争力が弱体化し始める条件を作り出している。香港を拠点に展開している調査・コンサルティング会社CSRアジアのスティーブン・フロストは言う。
「あるサプライチェーンの場合、労働者の抗議行動などを経験している工場は別に珍しくはない。だが、会社を訴える労働者は別の問題だ。ブランド業者や小売業者は個別に対応する必要がある」
 中国以外の国における労働者の権利擁護運動の基準によれば、中国で進行中の変化はとらえにくい。全国的な労働運動が存在しないからだ。全国規模で組織されたストライキや座り込みもなければ、工場労働者が日常的に闘争を仕掛けるような集団意識もない。カリスマ的な指導者もいない。中国は労働運動の活動家を厳しく取り締まっており、ある一線を越えた活動家には、嫌がらせをしたり、逮捕したり、刑務所にぶち込んだりする。このような当局の努力が功を奏してか、労働者の多くは依然として法律で保障された権利に対する認識が低いのか、あるいは恐怖心が強すぎて自分たちの権利が侵害されても何も行動を起こそうとしないのである。
 しかしながら、労働者の間にはデモなどの実力行使を重視する積極行動主義が盛り上がり、すでに国内の製造分野に対して挑戦状を叩きつけている。さらには抗議行動の発生件数が増加している。かつて労働者が仕事を求めて並んでいた広東省周辺の工場では、今では「支援を求む」と書かれた横断幕が本格的に掲げられている。
 労働者の積極行動主義の高まりを見て、政府は労働契約法の起草を急ぐようになり、労働組合の全国組織である中華全国総工会がウォルマートの各店を嚆矢として外資企業に各支部を設立することを促した。
 移動人口が減少して労働力の供給が逼迫してくるに伴い、労働者側の発言力は強まるばかりである。中国の一人っ子政策により、若年労働力の減少傾向はすでに始まっている。あと一〇年足らずで世界最大の製造業国になると予想され、すでに無数の消費財の主要な供給先となっているこの国において、前述のような変化は国際的に重要な意味を持つ。中国の労働問題とは世界の労働問題なのである。


 中国の労働者は次第に権利意識を強め、中国当局が「ある一線を越えた活動家には、嫌がらせをしたり、逮捕したり、刑務所にぶち込んだりする」にもかかわらず、抗議活動やストライキ、雇用主に対する訴訟を起こし始めている。政府は慌てて労働契約法の起草を急ぎ始め、外資企業に労働組合の設定を促した。また、中国では労働力の供給が逼迫しつつある、と書かれています。



 中国の労働者は、権利意識を強め、自らの待遇改善に向けた行動を強め始めた、というのですが、

 それまでは要するに、( 雇用主にとっては ) 「愚か」で「利用しやすい」存在だった、ということだと思います。



 中国の競争力は、「どれほど過酷な職場環境であっても、従順かつ勤勉で、しかも最少の賃金で最大限に働く意欲を示す人々」によって維持されていた。つまり、「安い」製品価格によって維持されていた。とすれば、

 労働者が権利意識に目覚め、抗議・交渉を始めたこと。法制度が整い始めたこと。労働組合が設立され始めたこと。これらすべては、製品価格の上昇に直結します。

 したがって日本の労働者にとっても、労働条件が改善する…はずなのですが、実際には、そうなっていません。これはおそらく、製品価格の上昇を抑えるために、中国企業が努力しているからだと思います。もちろん、その努力のなかには、効率化などの正攻法のほか、「工場ぐるみの不正」なども含まれています ( 「中国当局は怖くない?」参照 ) 。



 「中国の失業率」は高いので、労働力の供給が逼迫しつつある旨の記述を、どう受け取ればよいのか、すこし迷いますが、

 傾向的には、中国における労働条件は改善しつつあり、したがって日本などの労働者にとっても、労働条件が改善する方向に向かう可能性がある、と考えてよいと思います。

石炭による環境汚染

2010-05-13 | 日記
アレクサンドラ・ハーニー 『中国貧困絶望工場』 ( p.141 )

 石炭は他のどの製品よりもチャイナ・プライスの本質を体現している。中国のエネルギー供給量の三分の二以上が石炭由来であり、日本や米国よりも高い比率になっている。また、中国は世界最大の石炭産出国であり、石炭消費国でもある。沿海部で外貨を稼ぎ続けている輸出工場のように、石炭も経済成長のエンジン役を担い続けているのである。
 一方、石炭は中国における最大の環境汚染源であり、世界にとっても環境を脅かす存在として膨れ上がり続けている。石炭を燃焼させれば、世界で最も安価なエネルギーとなるが、最悪の汚染源にもなり、汚染カクテル (窒素酸化物、水銀、二酸化炭素、二酸化硫黄) のガスを排出している。二酸化炭素と二酸化硫黄については、中国が世界最大の排出国なのである。中国は石炭関連の汚染を米国西海岸など世界中に撒き散らしている。だが、中国自身は石炭の性質がもたらす影響を最も理解していると思っているようだ。何しろ、中国の大気中に排出される煤煙と粉塵の七〇パーセント、二酸化硫黄の九〇パーセントが石炭由来なのである。
 二酸化炭素の排出は地球温暖化につながる。二酸化硫黄が水と結合すれば酸性雨となって降り注ぎ、河川や農作物に悪影響を及ぼす。窒素酸化物はスモッグの原因となり、水銀は幼児や子どもたちの神経を損傷するおそれがある。
 石炭は、他の場面でも中国の人々の脅威となっている。中国には炭鉱が約二万八〇〇〇カ所あり、その内の約二万四〇〇〇カ所が小規模炭鉱である。これらの小規模炭鉱が中国の石炭の約三分の一を産出しているが、危険な職場でもある。大規模な国有炭鉱は次第に近代化を果たし、労働力の代わりに機械を導入したり、安全措置を整備したりしてきた。だが、小規模な民間炭鉱の多くは、危険性が高い旧来の運営手法に依存したままである。その結果、中国では炭鉱事故による死者の七〇パーセント以上が後者で発生している。
 加えて、全世界の炭鉱の中で最多の犠牲者を出しているのも中国の小規模炭鉱である。具体的には、中国は全世界の石炭産出量の三五パーセントを占めているが、炭鉱事故による死者数 (報告ベース) の八〇パーセントも中国で発生している。二〇〇六年、中国の炭鉱では四七四六人が事故で亡くなっている。同年で比較してみると、米国の炭鉱事故死者数は合計四七人だったが、これでも最近一〇年間では最悪レベルの死者数なのである。
 小規模炭鉱も国家の旺盛な石炭需要を満たすことに貢献したという意味で役に立っていた時代はあったのだが、八〇年代後半になると、厄介者扱いされるようになった。無許可炭鉱の場合、すでに満杯状況の貨物列車の運行体制に介入して大手国有炭鉱会社の積載部分を減らし、自分の石炭を密かに輸送させるのである。もちろん、違法行為である。無許可の炭鉱主は低品質の石炭を非効率的に採掘し、九〇年代になっても、好ましからざる余剰石炭を積み増していった。しかも、その作業現場は依然として危険な状態のままである。その後、中国はこのような無許可炭鉱を閉山させようと努力を続けている。
 馬建国が経営する無許可の小規模炭鉱は、地元役人への賄賂提供などの汚れた手段を駆使して生き残りを図っている。多くの場合、この分野を監督する立場にあるはずの役人が炭鉱主と利害を同じくしているのである。
 だが、小規模炭鉱は極めて旺盛な需要に応じているので景気は良い。中国では電力が絶対的に不足しているので、需要のペースに追いつこうとして、石炭を燃料とする火力発電所を少なくとも毎週一基立ち上げている状況だ。また、石炭価格が上昇していることから、炭鉱は魅力的な投資対象になっている。
 山西省の人々は石炭の光と影の中で生活し、呼吸している。同省は中国最大の石炭産出地域であり、毎年全国の約四分の一を生産している。鉄鋼、化学、セメント、電力とともに、石炭は地場経済の大黒柱であり、その八〇パーセント近くは鉄道の貨車で運ばれるが、電力に姿を変えた後に送電線で他省に出荷される。同省の発電所は太原の北東四〇〇キロメートルに位置する北京に送電している。省内の村々で石炭の採掘と精製を主たる収入源とするところは全体の八〇パーセントに上っている。
 一方、黒い塊を満載したトラックの向こう側には、濃くて有害なスモッグが一面に漂っている。これは、この地域に眠る石炭の最後の姿が最も目に見える形で現れたものといえよう。一九九八年、国連環境計画 (UNEP) は太原の大気が世界で最も汚染されていると断じた。大気中に浮遊している液体や固体の微粒子の濃度を測定したところ、世界保健機関 (WHO) が定めた基準値の六~七倍の数値となった。このような微粒子を浴び続けると、呼吸器系の疾病に対する感染性が上昇し、すでに肺や心臓に疾患のある場合は病状が悪化すると考えられている。


 中国では、世界で最も安価なエネルギーである石炭を利用しているが、その代償として、環境汚染が進行している。また、中国における石炭の大部分は (中国国内の) 小規模な民間炭鉱で産出されており、(他国の炭鉱に比べ) 事故が多発しており、危険である、と書かれています。



 中国政府、および中国の人々は、環境を犠牲にしてでも、経済成長を望んでいることがわかります。環境を犠牲にしてもかまわない、というと、いかにも中国政府・中国人に問題があるかに聞こえますが、日本も、高度経済成長期には公害問題が発生していたのであり、中国の政府・人々も、日本と変わらないと考えてよいと思います。



 経済成長のためには、多少の環境汚染はやむをえない。中国人がこのように考えているとすれば、中国政府は、「なぜ、無許可炭鉱を閉山させようと努力を続けている」 のかが、わからなくなります。

「小規模炭鉱も国家の旺盛な石炭需要を満たすことに貢献したという意味で役に立っていた時代はあったのだが、八〇年代後半になると、厄介者扱いされるようになった」

と書かれていますが、

「小規模炭鉱は極めて旺盛な需要に応じているので景気は良い。中国では電力が絶対的に不足しているので、需要のペースに追いつこうとして、石炭を燃料とする火力発電所を少なくとも毎週一基立ち上げている状況だ。また、石炭価格が上昇していることから、炭鉱は魅力的な投資対象になっている。」

というのですから、いまなお、「小規模炭鉱も国家の旺盛な石炭需要を満たすことに貢献し」ている、と考えられます。また、

「無許可の小規模炭鉱は、地元役人への賄賂提供などの汚れた手段を駆使して生き残りを図っている。多くの場合、この分野を監督する立場にあるはずの役人が炭鉱主と利害を同じくしているのである」

と書かれていることからみて、労働者の安全を考慮して、「無許可炭鉱を閉山させようと努力を続けている」わけでもなさそうです。



 おそらく、中国の役人が金銭を優先している (賄賂を受け取る) ところからみて、大規模な国有炭鉱の利益のため、といったところではないかと思われます。とすれば ( この推測が正しければ ) 、一般の人々にしてみれば、政府の方針に従って生計の手段を手放すのは馬鹿馬鹿しく感じられるはずです。したがって、小規模炭鉱は、なかなかなくならないと考えられます。

 したがって、小規模炭鉱による水質汚染も、終わらないと予想されます。



 もちろん、最終消費段階 (燃焼段階) の大気汚染も、続くはずです。

 「中国における環境汚染は、簡単には終わらない」 と予想されます。