アレクサンドラ・ハーニー 『中国貧困絶望工場』 ( p.409 )
賃金の上昇、労働組合設立を要求する声の高まり、訴訟リスクの増大等により、中国は「輸出品の最低価格国としての地位」を失いつつある、と書かれています。
中国が「輸出品の最低価格国としての地位」を失いつつある最大の要因は、賃金の急騰だと思います。
ここで、比較のために、日本の高度経済成長について調べてみると、
「Wikipedia」 の 「所得倍増計画」
日本の高度経済成長期には、約 7 年で所得が倍増したと書かれています。
7 年で 2 倍なら、10 年で 3 倍と、ほぼ同じペースだと考えてよいでしょう。中国の経済成長は、すくなくとも賃金面に関するかぎり、日本の高度成長期と同じペースで進んできた、とみてよいと思います。
いかに同じペースとはいえ、10 年以上も続く高度成長は、「凄い」と思います。しかし、中国の高度成長も、賃金上昇に伴う製品価格の上昇によって、そろそろ終焉を迎えるつつあるのではないかと思います。中国製品の競争力は、その価格の安さにあったからです ( 「中国製品の競争力と世界の状況」参照 ) 。
もっとも、賃金の上昇によって購買力が上がり (内需が増えて) 、中国の高度成長は続くと考える余地もあります。
しかし、中国は今後、急速に高齢化社会になると予想されています。とすれば、内需による高度成長継続の可能性は低いと考えられます。中国では年金制度が整備されておらず、老後のことを考えれば、かなりの金額を貯蓄しなければならないからです。
ここで、中国の「一人っ子政策」について考えます。これが意味するのは、中国の子供は大きくなったときに「1 人で 2 人の老人を養う」ということです。人間はいつか死ぬので、ここではとりあえず、「1 人で 1・5 人の老人を養う」と、控え目に見積もります。
日本では、「年金は積立方式に移行すべき」で引用したグラフ、「図3 年齢3区分別人口の推移:中位推計」を見ると、(大き目に見積もって) おおよそ「1 人で 1 人の老人を養う」社会になると予想されますが、その状況で「これは大変なことになる」と大問題になっています。
たしかに、「1 人で 1 人の老人を養う」というのは大変なことではあるのですが、中国の「1 人で 1・5 人の老人を養う」というのは、それに輪をかけて、さらに大変な状況だと思います。したがって、
中国人の消費 (中国にとっての内需) による高度成長の継続は難しい、
と考えてよいと思います。
もっとも、「中国の一人っ子政策」については例外規定が多くあります。とくに、人口の大部分を占める農民層には例外が適用されてきたことを考えれば、意外に、中国人の消費は増えるかもしれませんが、
大局的にみれば、
中国の高度成長の原動力が「低価格による輸出」であった以上、
中国製品の価格上昇に伴い、中国の経済発展は次第に緩やかになる
とみるべきではないかと思います。
以上によって、中国の高度成長は終焉を迎えつつある、と考えてよいと思います。
経済が発展すれば避けられないことだが、過去三〇年近く続いた労働集約型製造業の王者の地位を支えた競争力のいくつかは衰えつつある。次の一〇年において中国の製造分野の動向を決める要素はすでに明らかになっている。具体的には、賃金や原材料コストの上昇、労働組合設立を要求する声の高まり、訴訟リスクの増大、安価な労働力の減少、品質向上と職場の安全性の双方を求める動き、利ざや圧縮を要請する取引先からの強烈な圧力などである。
これらの要求や圧力を和らげるために、単なる製造業としての役割から、デザイン、研究開発へと間口を広げたり、自社独自のブランドを立ち上げたりする工場も出現するであろう。あるいは、ライバル企業の買収を考え、生産規模を拡大して生産コストを下げ、利益率を高める、いわゆる「規模の経済」を発揮させる道を探す工場も出てこよう。さらには、事業から撤退する工場もあるはずだ。
賃金は沿海部や内陸部を問わず急速に上昇している。湖北省武漢市では、都市部の最低賃金は一九九五年の三倍近くに高騰しており、二〇〇七年二月には月六〇〇元近くに上昇している。江蘇省無錫市の賃金もやはり同じ時期の比較で三倍近く急上昇している。サムの工場の近くにある長沙市の場合、市内中央部の法定最低賃金が二〇〇五年から二〇〇六年の月五〇〇元から翌年には六〇〇元にまで引き上げられた。浙江省の港湾都市寧波市のように、重工業にとって魅力的な地方の賃金はそれ以上に急騰を続けている。
中国と世界では賃金に大きな開きがあるので、今後も中国の製造業の賃金は欧米各国の賃金よりも低い水準で推移する。だが、その格差は急速に縮まりつつある。デービッド・ダラー世界銀行中国担当局長によれば、中国の賃金は他の低賃金のアジア諸国と比較しても二倍から三倍のスピードで上昇しているという。
今まで見てきた通り、経済が発展するようになると、最低賃金を支払っていない工場が多ければ、工場長は高賃金を出している他の産業や地域からの圧力の高まりに脅威を感じるようになる。四川省瀘州市では、これまで他の省や地域に労働力を供給してきたが、市内ではマクドナルド、ショッピングセンター、ホテルなどのサービス分野が急成長してきている。二〇〇三年、市内の江陽区のレストランではスタッフに月給二五〇元を支給していたが、住居費や食費を無料とする待遇であった。その翌年、給与は四〇〇元から四五〇元に上昇し、当時の広東省東莞市の最低賃金に匹敵するようになった。
中国の内陸部なら最低のコストで大丈夫というわけにはいかなくなったのである。現在、衛生部衛生監督司副司長の職にある蘇志は語る。
「中国の労働コストは暴騰している。徐々にではなく、凄い勢いで上昇している。安価な労働力という表現は過去のものになったのである」
労働力だけが高くなってきたわけではない。原材料費や土地代も上がっている。その上、人民元が次第に切り上がっていることも重大な変化である。
チャイナ・プライスは、二〇〇四年から上昇カーブを描くようになった。二〇〇七年四月、UBSインベストメント・バンクの前アジア経済部門長ジョナサン・アンダーソンが報告書で指摘したところによれば、中国製造業の輸出価格は一九九六年から二〇〇三年の間に米ドルベースで年平均二パーセント下落していたという。ところが、二〇〇四年以降、この傾向は反転する。すなわち、米ドルベースの輸出価格は毎年平均二パーセントのペースで上昇するようになったのである。この傾向は衣料品から電子機器に至るまでのあらゆる分野に及んでいる。さらに、この報告書では、フィリピン、台湾、タイ、マレーシアなどの低価格品輸出国の価格も中国と相互依存的に上昇の一途をたどっていると説明する。
香港商社の利豊 (Li & Fung) は、「顧客が二〇〇六年に支払った製品価格は二パーセントから三パーセント増加したことがわかっている。これは過去六年以上の取引において初めて経験した現象であった」と証言する。
この逆転現象は世界的に重大な意味を持つ。一九九〇年代後半、中国は「デフレ輸出国」と批判されるとすれば、今度は「インフレ輸出国」と糾弾されるのであろうか? 輸出価格の上昇が明らかになるにつれ、エコノミストたちは「インフレ輸出」の可能性を議論するようになった。現状では、そのような兆候をはっきりと示す証拠は得られていない。中国経済専門の調査・コンサンタント会社ドラゴノミクスのアーサー・クローバー代表は、中国が前述のデフレを輸出したという意見には同意できないという。なぜなら、製品価格は引き下げたが、同時に一次産品価格を上昇させたからだ。さらに、こう付け加える。
「中国はインフレを輸出していない。ただ、輸出品の最低価格国としての地位を失いつつあるということだ」
賃金の上昇、労働組合設立を要求する声の高まり、訴訟リスクの増大等により、中国は「輸出品の最低価格国としての地位」を失いつつある、と書かれています。
中国が「輸出品の最低価格国としての地位」を失いつつある最大の要因は、賃金の急騰だと思います。
賃金は沿海部や内陸部を問わず急速に上昇している。湖北省武漢市では、都市部の最低賃金は一九九五年の三倍近くに高騰しており、二〇〇七年二月には月六〇〇元近くに上昇している。江蘇省無錫市の賃金もやはり同じ時期の比較で三倍近く急上昇している。サムの工場の近くにある長沙市の場合、市内中央部の法定最低賃金が二〇〇五年から二〇〇六年の月五〇〇元から翌年には六〇〇元にまで引き上げられた。浙江省の港湾都市寧波市のように、重工業にとって魅力的な地方の賃金はそれ以上に急騰を続けている。と書かれており、賃金上昇ピッチの凄まじさ ( およそ 10 年で 3 倍 ) がわかります。
ここで、比較のために、日本の高度経済成長について調べてみると、
「Wikipedia」 の 「所得倍増計画」
所得倍増計画(しょとくばいぞうけいかく)とは1960年、池田内閣の下で策定された長期経済計画である。閣議決定された際の名称は国民所得倍増計画(こくみんしょとくばいぞうけいかく)という。この計画では翌1961年からの10年間に実質国民所得(国民総生産)を26兆円に倍増させることを目標に掲げたが、その後日本経済は驚異的に成長した。立案は経済学者の下村治。
(中略)
計画の数値目標は1960年度の国民総生産額である13兆6000億円の2倍、26兆円を10年以内に達成するというものである。なお、1960年度から年間平均11%の経済成長率を維持し、以後3年で17兆6000億円に到達させることが中期目標とされた。
しかし日本経済は予想以上の成長を遂げた。実質国民総生産は約6年で、国民1人当りの実質国民所得は7年(1967年)で倍増を達成した。経済成長率も驚異的な記録を見せ、計画開始1年目(1961年度)にして早くも目標が達成された。これによって政府は計画の見直しを迫られ、早くも高度成長の「その後」の手当を図ることとなった。
その後、佐藤内閣によって高度成長によるひずみの是正や社会資本整備を目的とする「中期経済計画」(1965年策定)および「経済社会発展計画」(1967年策定)が策定されてゆく。
日本の高度経済成長期には、約 7 年で所得が倍増したと書かれています。
7 年で 2 倍なら、10 年で 3 倍と、ほぼ同じペースだと考えてよいでしょう。中国の経済成長は、すくなくとも賃金面に関するかぎり、日本の高度成長期と同じペースで進んできた、とみてよいと思います。
いかに同じペースとはいえ、10 年以上も続く高度成長は、「凄い」と思います。しかし、中国の高度成長も、賃金上昇に伴う製品価格の上昇によって、そろそろ終焉を迎えるつつあるのではないかと思います。中国製品の競争力は、その価格の安さにあったからです ( 「中国製品の競争力と世界の状況」参照 ) 。
もっとも、賃金の上昇によって購買力が上がり (内需が増えて) 、中国の高度成長は続くと考える余地もあります。
しかし、中国は今後、急速に高齢化社会になると予想されています。とすれば、内需による高度成長継続の可能性は低いと考えられます。中国では年金制度が整備されておらず、老後のことを考えれば、かなりの金額を貯蓄しなければならないからです。
ここで、中国の「一人っ子政策」について考えます。これが意味するのは、中国の子供は大きくなったときに「1 人で 2 人の老人を養う」ということです。人間はいつか死ぬので、ここではとりあえず、「1 人で 1・5 人の老人を養う」と、控え目に見積もります。
日本では、「年金は積立方式に移行すべき」で引用したグラフ、「図3 年齢3区分別人口の推移:中位推計」を見ると、(大き目に見積もって) おおよそ「1 人で 1 人の老人を養う」社会になると予想されますが、その状況で「これは大変なことになる」と大問題になっています。
たしかに、「1 人で 1 人の老人を養う」というのは大変なことではあるのですが、中国の「1 人で 1・5 人の老人を養う」というのは、それに輪をかけて、さらに大変な状況だと思います。したがって、
中国人の消費 (中国にとっての内需) による高度成長の継続は難しい、
と考えてよいと思います。
もっとも、「中国の一人っ子政策」については例外規定が多くあります。とくに、人口の大部分を占める農民層には例外が適用されてきたことを考えれば、意外に、中国人の消費は増えるかもしれませんが、
大局的にみれば、
中国の高度成長の原動力が「低価格による輸出」であった以上、
中国製品の価格上昇に伴い、中国の経済発展は次第に緩やかになる
とみるべきではないかと思います。
以上によって、中国の高度成長は終焉を迎えつつある、と考えてよいと思います。