言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

日銀の独立性

2009-07-27 | 日記
高橋洋一・長谷川幸洋 『百年に一度の危機から日本経済を救う会議』 ( p.140 )

高橋  その日銀に対しては、言いたいことが山ほどあります。たとえば、よく「中央銀行の独立」とマスコミなどが騒いでいますが、中央銀行と政府が同じ目標を共有するのは中央銀行の独立の原則に反していないことです。ところが、マスコミは中央銀行の独立に反すると騒ぎ立てる。それで中川秀直さんが袋叩きにあったことがありましたが、中川さんは政治家として「目標の共有」しか言わなかったので、国際的なルールである「中央銀行の独立性」に触れることは一切言っていません。
 日銀の役割は「物価の安定」です。消費者物価指数をどれだけ上昇させるかという目標があり、その目標に向かって物価の舵取りをするのが日銀の役割です。それを行なう中央銀行は「独立」していなければならないというけれど、これはマスコミが独立の意味を履き違えている。「独立性」というのは、二種類あって、一つが「目標の独立性」、もう一つが「手段の独立性」。前者については、先ほど中川さんの例でいったように、目標を政府と中央銀行で共有するのが世界の常識なので、「日銀の独立性」はない。後者については、たとえば政府が物価上昇率を「二~三%にする」といったん決めたら、日銀がその決定に従って政策を行なうときには、政府から口出しされずに独立して行なうということで、それが「手段の独立性」であって、「日銀の独立性」なのです。このことを理解できているマスコミの人は、ほんの少数にすぎない。というか、ほとんど知らないでしょう。でも、安倍元総理などはきちんと理解していましたよ。
長谷川  私が日銀に対してつくづく思うのは、日銀の人たちが妙に被害者意識が過剰だということです。自分たちは、永田町にいじめられている、まさにか弱きものです、という心情が滲み出ている。


 日銀の独立性とは、「手段の独立性」 であって、「目標の独立性」 ではない、と書かれています。



 上記、高橋さんの説明を読めば、「日銀の独立性」 には 「目標の独立性」 は含まれない、と思うはずです。私はそう思いました。

 しかし、「日銀の人たちが妙に被害者意識が過剰だということです。自分たちは、永田町にいじめられている、まさにか弱きものです、という心情が滲み出ている」 背景には、日銀には日銀の目標があるからではないか、と推測されます。すなわち、

   日銀側は、「『日銀の独立性』 には、『目標の独立性』 をも含む」 と考えている

のではないかと推測されます。実際、



日本銀行」 のウェブサイトには、「日本銀行の独立性とは何ですか?

過去の各国の歴史を見ても、中央銀行の金融政策にはインフレ的な経済運営を求める圧力がかかりやすいことが示されています。物価の安定が確保されなければ、経済全体が機能不全に陥ることにも繋がりかねません。

 こうした事態を避けるためには、金融政策運営を、政府から独立した中央銀行という組織の中立的・専門的な判断に任せることが適当であるとの考えが、グローバルにみても支配的になってきています。

 日本銀行法において、独立性確保がはかられているのは、こうした考えによるものです。


とあり、「インフレ的な経済運営を求める圧力」 を排除し、対抗する原理として 「日銀の独立性」 が捉えられており、上記推測を裏づけています。



 そこで、どちらが正しいのか ( =日銀の独立性には、目標の独立性も含まれるのか ) 、調べてみました。



法令データ提供システム」 の 「日本銀行法(平成九年六月十八日法律第八十九号)


(日本銀行の自主性の尊重及び透明性の確保)
第三条  日本銀行の通貨及び金融の調節における自主性は、尊重されなければならない。
2  日本銀行は、通貨及び金融の調節に関する意思決定の内容及び過程を国民に明らかにするよう努めなければならない。

(政府との関係)
第四条  日本銀行は、その行う通貨及び金融の調節が経済政策の一環をなすものであることを踏まえ、それが政府の経済政策の基本方針と整合的なものとなるよう、常に政府と連絡を密にし、十分な意思疎通を図らなければならない。

(業務の公共性及びその運営の自主性)
第五条  日本銀行は、その業務及び財産の公共性にかんがみ、適正かつ効率的に業務を運営するよう努めなければならない。
2  この法律の運用に当たっては、日本銀行の業務運営における自主性は、十分配慮されなければならない。


 日本銀行法第 4 条の 「政府の経済政策の基本方針と整合的なものとなるよう、常に政府と連絡を密にし、十分な意思疎通を図らなければならない」 との規定からは、日銀には、「目標の独立性」 も与えられているのではないか、と考えられます。さらに、



日本金融学会」 の 「日本銀行法の再改正論議をめぐって」 ( 2002年度春季大会プログラム )


 本報告の狙いは、新日本銀行法の施行以来、約4年を経過した今日の時点で、…(中略)…最近、一部国会議員が提起した日銀法改正案とその取組み方について吟味し、さらに、

(中略)

 改正点の第1は、日銀に対して、その決定する金融政策が、政府の経済政策の基本方針と整合的になるように義務付け(第4条)、さらに、第19条第3項を廃止して、政府側出席者の求めに応じて1回の議決の延期をしなければならないこととした。政府の議決延期請求権が現代の国際基準に合わないものであることに加え、この変更は、第3条が定める「日銀の金融政策における自主性(独立性)と明らかに矛盾するものである。


は、( ここでいう 「改正案」 の内容がわからないのですが、平成 9 年 ( =西暦 1997 年 ) の約 4 年後の発表であることを考えれば ) 現行法は、日銀に 「目標の独立性」 をも与えていると ( 一般的に ) 解釈されていることを示しています。



 したがって、日銀が 「目標の独立性」 を主張することは現行法上、なんら問題はないと考えます。すなわち、高橋さんの意見は、立法論にすぎず、日銀やマスコミに対する批判としては、やや妥当性に欠けるきらいがあるのではないかと思います ( 批判するなら現行法を批判すべきです ) 。



 次に、立法論として考えた場合、どうなのかを考えます。

 この問題は、おそらく、景気対策に金融政策が必要か否か、に関わっています。高橋さんは、「景気対策には、財政政策は 『まったく』 効かないが、金融政策は確実に結果が出る」 とお考えですから ( 「景気対策としての金融政策」 、「財政政策と金融政策」 参照 ) 、その立場からすれば、どうしても、日銀に 「目標の独立性」 を認めるわけにはいかないのだろうと思います。

 しかし、立法論として考えた場合にも、高橋さんの見解には疑問があります。なぜなら、その根拠である 「マンデル・フレミング理論」 には疑問があるうえに、上記、日本金融学会の報告要旨によるかぎり、学問上一般的に、日銀には 「目標の独立性」 が認められていると思われるからです。

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