言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

福島第一原発の再稼働は難しい (東京電力の最善の利益)

2011-03-22 | 日記
 事故が一段落したあと、東京電力は福島第一原発を再稼働させたい (再び発電所として再開したい) ようですが (「東電は福島第一原発を再稼働させたいらしい」参照 ) 、

 いまとなっては難しいのではないかと思います。



 下記の記事をご覧ください。

 私は、下記記事の記者とは異なり、
「福島第1原発の1号機が運転を開始したのは71年。40年もの間、周囲を巻き込む深刻な事故を起こさなかったのは奇跡だったともいえる。」
とまでは思いませんが、
 福島第一原発の原子炉は、格納容器が小さいので安く作れるが、その分、壊れやすい。また、マグニチュード8・0の地震までしか想定しておらず、津波も最大10メートルとしか想定していなかった
と報じられている以上、

 再稼働は (社会的にみて) 難しいのではないかと思います。



 とすれば、「再稼働など考慮に入れず、安全確保のみを考慮する」ことが、(社会にとってはもちろん、東京電力にとっても) 利益の最大化につながるのではないかと思います。



zakzak」の「事故原発は“欠陥品”? 設計担当ら35年ぶり仰天告白」( 2011.03.18 )

 自衛隊に警視庁機動隊、そして東京消防庁の特殊部隊まで巻き込むことになった空前の原発事故は、実は人災である可能性が浮上している。

 福島第1の原子炉は米ゼネラル・エレクトリック(GE)が開発した。そのGE元社員のデール・ブライデンボー氏はロイター通信の取材に対し、福島第1と同型の原子炉について35年前に安全面での不安を指摘していたと打ち明けたのだ。

 そのうえで同氏は「分析が終わるまで一部の原発は閉鎖されるべきだと思ったが、GE側は応じなかった。そのため、私はGEを辞めた」と、退社した経緯を説明した。

 米ニューヨーク・タイムズも、米原子力委員会の専門家が1972年、この原子炉は水素がたまって爆発した場合、放射能を封じる格納容器が損傷しやすいため、「使用を停止すべき」と指摘した、と報じた。

 今回、事故を起こしたのは「マーク1」という沸騰水型原子炉の一種で、60年代にGEが開発した。中心の燃料棒を圧力容器、さらにその外側をフラスコ状の格納容器で守っている。格納容器が小さく、設備建設費が安く済むため、計104基の原子炉が稼働している米国では同型の炉が23基も稼働している。米国外にも9基あり、計32基が現在も運転中だが、格納容器が小さいゆえに、水素爆発で損傷するリスクが高いというのだ。

 福島第1の原子炉はGEの設計図をもとに、東芝や日立製作所が関わって建設、運転されてきた。設計に携わった東芝の元技術者、小倉志郎氏(69)は16日、外国特派員協会の記者会見で驚きの証言をした。

 「(67年に)設計した当時は、津波は前提になかった。日本で事実上、初の原子炉設計だけに知識に乏しく、耐震設計基準についても判断できなかったと思う」

 小倉氏は福島第1原発の1、2、3、5、6号機の冷却部分などを設計した。その小倉氏によれば、津波の対応はその後、日本独自の設計で織り込まれるようになった。しかし、推定で最大10メートルとされる今回の大津波より「想定規模ははるかに小さかった」。また、地震の規模についても「マグニチュード(M)8・0以上の地震は起きない、と社内で言われた」とし、M9・0の巨大地震は想定外であったことを明かした。

 地震対策は「私の定年が近くなってやっと見直しをしたが、それでも大地震は想定しなかった。責任を感じる」と語っている。

 米メディアの報道と設計者の証言をまとめると、もともと事故時の危険が高い米国発の原発が、津波や地震のリスクを十分に考慮せず建設、運転されてきたことになる。前出のブライデンボー氏は今回の事故について、「マーク1型格納容器が、他の原子炉ほど地震や津波の負担に耐えられないことから(事故が)生じた」と分析している。

 福島第1原発の1号機が運転を開始したのは71年。40年もの間、周囲を巻き込む深刻な事故を起こさなかったのは奇跡だったともいえる。


安全な放射能レベルの目安と現状

2011-03-22 | 日記
YOMIURI ONLINE」の「放射線対策 健康への影響、100ミリ・シーベルトが目安」( 2011年3月22日 )

 放射線の身体への影響は、どうなのか?

 過去の放射線事故のデータなどから、3000ミリ・シーベルトの強い放射線を浴び、何も治療を受けられないと、60日以内に約半数が死亡することがわかっている。

 長期的な影響で、唯一はっきりしているのは、広島・長崎の被爆者の健康状態を追跡したデータだ。1000ミリ・シーベルトの強い放射線を浴びた人は、がんを発症する確率が1・5倍高まる。

 被曝量が減るにつれて、がんの発症率は減る。100ミリ・シーベルト以下の被曝を受けた約2万8000人のうち、40年間にがんを発症した人は約4400人で、被曝をしていない人に比べ、約2%(81人)多かった。

 ただし、この差はわずかであり、100ミリ・シーベルト以下の低い線量の被曝でがんが増えるかは定かでなく、専門家の間でも議論が続く。健康に明らかな影響が出る恐れが出る目安が100ミリ・シーベルトとされているのは、こうした結果などからだ。

 人は日常でも、自然界に存在する放射線(年間平均約2・4ミリ・シーベルト)を浴びている。またCT(コンピューター断層撮影法)などの医療における被曝は、病気を見つけて治す利点の方が上回るとの観点から、被曝量の上限は設けられていない。

 とは言え、低い線量の被曝の影響が不明な以上、不必要な放射線は浴びない方が無難だ。原子力発電所については、敷地外にいる一般の人に、年間1ミリ・シーベルトを超える被曝が起きないような環境を保つよう、決められている。

 現在、各地点で1時間あたりの放射線量を測定している。21日午後4時~5時の東京・新宿では、毎時0・125マイクロ・シーベルト。すぐに健康に影響が出る値ではない。


 健康に被害が出る放射線量は、100ミリ・シーベルトが目安である。1000ミリ・シーベルトの強い放射線を浴びれば、がんを発症する確率が1・5倍高まり、3000ミリ・シーベルトの強い放射線を浴びれば (何も治療を受けられないと) 60日以内に約半数が死亡することがわかっている、と報じられています。



 記事は
現在、各地点で1時間あたりの放射線量を測定している。21日午後4時~5時の東京・新宿では、毎時0・125マイクロ・シーベルト。すぐに健康に影響が出る値ではない。
と締めくくり、

   だから安心だ

と述べています。



 ところで、次の記事では、 

   被災地の一部 (原発から約3キロの双葉厚生病院前) では
   1000マイクロシーベルトを遥かに超える放射能が検出された、

と報じられています。不安を煽る(あおる)書きかたがなされていますが、

   原発の近くであっても1ミリシーベルト程度

ということなので、とりあえず、

   「現地に長時間滞在しないかぎり」健康に影響はない

といえるのではないかと思います。



47NEWS」の「現地ルポ・振り切れた測定器の針 ジャーナリスト豊田直巳氏」( 2011/03/22 09:02 )

 東日本大震災が福島第1原発を襲ったのは、私が事故発生から25年目のチェルノブイリ原発取材を終えて帰国した直後だった。チェルノブイリでの取材体験から日本がのっぴきならない事態に陥る可能性を直感、「まさか日本で原発事故取材に出掛けるとは」と思いつつ、3月12日に福島県郡山市に入った。

 翌13日、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)の仲間や写真誌「DAYS JAPAN」編集長の広河隆一さんと合流した。

 福島第1原発のある双葉町は、13日時点で既に避難指示が出ていた「原発から20キロ圏内」にあったが、入域制限しているチェックポイントまでは行ってみようと国道288号線を東に向かった。すると、予想に反して双葉町まで行き着いてしまった。検問も避難指示の案内板もなかったのだ。

 国道をまたぐJRの鉄橋が崩れ落ち、地震のすさまじさを見せつけていたが、人影はない。

 毎時(以下同)20マイクロシーベルトまで測定可能な放射線測定器を取り出すと、アラーム音を発しながらみるみる数字は上がり限界値の19・99を表示した。放射能測定が初めての仲間が「この数字はどのくらいのレベルなんですか」と防護マスクでくぐもった声で聞いた。「おおよそだけど、普段の東京の数百倍かな」と答える。既にかなりの高濃度汚染地に入り込んでいた。

 車を町の中心部に向けて進めた。人けのない家が並ぶが、地震の被害はそれほど見られなかった。そこで、もう一台の100マイクロシーベルトまで表示する測定器を取り出すと、これも針が振り切れた。

 この事実を行政当局に知らせようと、双葉町役場に直行したが、役場玄関の扉は閉ざされたまま。緊急連絡先などの張り紙もなかった。静まりかえった町に、ときどき小鳥のさえずりが聞こえる。

 入院患者に被ばく者が出たと報じられた双葉厚生病院に向かったが、ここも無人。玄関には患者を運び出したとみられるストレッチャーが何台も放置され、脱出時の慌ただしさがうかがえた。地震で倒れた医療機器や診療器具が散乱。消毒薬の臭いが漂う。

 原発から約3キロの同病院前でも測定器の針は100マイクロシーベルトで振り切り、上限に張り付いたまま。そこで1000マイクロシーベルト(1ミリシーベルト)まで測定できるガイガーカウンターを取り出したが、これもガリガリガリと検知音を発し、瞬時に針が振り切れた。「信じられない。怖い」。私は思わず声に出していた。

 放射性物質の違いなどにより同列に論じられないにしても、これまで取材した劣化ウラン弾で破壊されたイラクの戦車からも、今も人が住めないチェルノブイリ原発周辺でも計測したことのない数値だった。

 放射能汚染地帯の取材経験が一行の中で最も多い広河さんも信じられない様子。「これから子どもをつくろうと思っている人は、車から降りない方がいいかもしれない」と真顔で言った。

 放射能は風向きや地形によっても異なる。もう少し調べようと海岸に向かったが、病院から数百メートル行った所で津波に運ばれたがれきと地震で陥没した道路に行く手を阻まれた。放射能汚染に気を取られ、しばし忘れていたが、紛れもなくここは巨大地震と大津波の被災地でもあった。その被災地を五感では感知できない放射能が襲っている。

 慌ただしく町中の取材を終え、汚染地帯を脱しようと急いで帰る途中、町方向に向かう軽トラックに出合う。車を止めて汚染状況を説明すると「避難所にいるんですが、牛を飼っているので餌やりに行かないと。だめですか」。私に許可を求めるような困った表情で年配の女性が聞いてきた。「長い時間はこの辺にいない方がいいですよ。気を付けてください」。そうお願いするしかなかった。

 町内の道路をまたぐアーチには「原子力 郷土の発展 豊かな未来」との標語が掲げられていた。しかし、現実には未来を奪いかねない放射能の脅威に町はさらされていた。

   ×   ×   

 とよだ・なおみ 56年生まれ。イラク戦争、劣化ウラン弾問題などを取材。著書に「戦争を止めたい―フォトジャーナリストの見る世界」など。


東電は福島第一原発を再稼働させたいらしい

2011-03-22 | 日記
YOMIURI ONLINE」の「政府筋「東電が米支援は不要と」…判断遅れ批判」( 2011年3月18日15時11分 )

 東京電力福島第一原子力発電所で起きた事故で、米政府が申し出た技術的な支援を日本政府が断った理由について、政府筋は18日、「当初は東電が『自分のところで出来る』と言っていた」と述べ、東電側が諸外国の協力は不要と判断していたことを明らかにした。

 政府関係者によると、米政府は11日の東日本巨大地震発生直後、米軍のヘリを提供することなどを申し入れたという。政府は、各国からの支援申し出は被災地での具体的な支援内容を調整したうえで受け入れており、「(断ったのではなく)いったん留め置いた」と釈明する声も出ている。

 枝野官房長官は18日午前の記者会見で「政府、首相官邸としてそうした事実は全く認識していない」と否定する一方、米政府からの原子炉冷却材提供の申し入れなどについて「詳細は把握していない。確認してみたい」と述べ、事実関係を調査する考えを示した。

 政府・与党内では、政府の初動対応について、「米側は早々に原子炉の廃炉はやむを得ないと判断し、日本に支援を申し入れたのだろう。最終的には廃炉覚悟で海水を注入したのに、菅首相が米国の支援を受け入れる決断をしなかったために対応が数日遅れた」(民主党幹部)と批判する声が出ている。

 高木文部科学相は18日午前の閣議後の記者会見で「事実関係は把握していない。しかし、姿勢としてはあらゆることを受け入れるのは当然だ。内外の声をしっかり聞くことは非常に重要だ」と語った。

 一方、自衛隊が17日午前に行った大型輸送ヘリによる海水投下の背景には、米側の強い要請があったことも新たに分かった。

 日米関係筋によると、自衛隊の大型輸送ヘリによる海水投下に先立ち、今回の事故を「最大級の危機」ととらえる米側は、「まず日本側がやるべきことをやるべきだ」などとして、再三にわたり日本側の行動を強く要請していた。17日午前に予定されていた菅首相とオバマ米大統領の電話会談でも、大統領からの要請があると予想されたため、首相は防衛省・自衛隊に会談前の海水投下実施を求めたという。

 日本政府への懸念や不満は、米国以外からも出ている。

 今回の事故に関する情報収集や日本政府との意思疎通のため、急きょ来日した国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長は、「(日本政府は)情報伝達を質量ともに改善して欲しい。改善の余地はある」と述べており、18日午後に行われる松本外相との会談などでも、こうした問題が取り上げられる可能性がある。


 東京電力が自社で対応可能だと判断したため、日本政府は米政府の支援申出を断った(または留め置いた)が、最終的には米国の強い要請によって自衛隊による海水投下が実施された、と報じられています。



 「自分のところで出来る」というのは凄い自信ですが、おそらくこの自信には根拠があったのでしょう。すくなくとも、「時間がかかってもよいなら」自分のところで出来る、ということは言えたのでしょう。

 けれども、「時間をかけてよいか」それ自体、重要な問題ですし、「自分のところで出来る」けれども「万一に備えて」支援準備を要請しておく、くらいのことはあってもよさそうに思います。

 「自分のところで出来る」とは、「自分のところで対処したい」だったのではないでしょうか?

 そしてその理由は、
「米側は早々に原子炉の廃炉はやむを得ないと判断し、日本に支援を申し入れたのだろう。最終的には廃炉覚悟で海水を注入したのに、菅首相が米国の支援を受け入れる決断をしなかったために対応が数日遅れた」(民主党幹部)
やはり、「廃炉は避けたかった」、これに尽きるのではないでしょうか?



毎日jp」の「福島第1原発:廃炉に言及の「段階じゃない」…東電副社長」( 2011年3月21日 23時17分 )

 東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発の事故を受けて、東電の武藤栄副社長(60)が21日夜、東京都千代田区の東電本店で記者会見した。武藤副社長は、枝野幸男官房長官が20日、福島第1原発の廃炉に言及したことについて、「まずは事態を収束させて原子炉を安全な状態にするのが第一で、それ以降のことを申し上げる段階じゃない」と述べた。

 武藤副社長は「未曽有の津波を経験し、結果としてこういう事態に至ったことは大変申し訳なく思っている」と陳謝。海水注入のタイミングが遅かったのではとの質問には、「全体の事象が収束したわけじゃないのでよく見てみる必要があるが、最大限の努力を払って冷却してきた」と述べるにとどめた。

 また、武藤副社長は、東電独自に放射能汚染のシミュレーションを実施していることを明らかにしたが、「(事故により)放射線量の基礎データが確かじゃない」との理由で、すぐに公表する考えはないという。【袴田貴行】


 東京電力の武藤栄副社長は、枝野幸男官房長官が20日、福島第1原発の廃炉に言及したことについて、「まずは事態を収束させて原子炉を安全な状態にするのが第一で、それ以降のことを申し上げる段階じゃない」と述べた、と報じられています。



 たしかに「まずは事態を収束させて原子炉を安全な状態にするのが第一」ではあるのですが、

 「それ以降のことを申し上げる段階じゃない」と言われてしまうと、「できれば廃炉にしたくないんだな、再稼働させたいんだな」と受け取るのが普通ではないでしょうか? そう思いませんか?



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