虎屋の饅頭 と 福山の蕎麦 とちりそば
とらや まんじゅう さんじき いず
虎屋の饅頭、桟敷へ出る時は、
かんきみまい せむ ふくやま そば
寒気見舞を責るにして、福山の蕎麦
がくや ぜっくふるまい
楽屋え入る時は絶句振舞をはづむなるべし。
『 戯場粋言 幕の外 』式亭三馬
-「虎屋」の饅頭は、芝居茶屋が、芝居の見物客に
寒気見舞いを催促するために贈り、
役者が舞台でトチッた時には、
堺町の蕎麦屋「福山」の蕎麦を楽屋中にふるまう。
江戸時代、饅頭屋の「虎屋」といえば大阪・高麗橋、
京都・一条烏丸西、江戸・日本橋新和泉町の「虎屋」を指したが、
引用文の「虎屋」は、江戸・日本橋の饅頭屋である。
江戸の顔見狂言のときは、日本橋「虎屋」の饅頭の蒸籠が劇場の表に積まれたという。
とらやは羊羹が最も有名で、 次に有名なのがこの虎屋饅頭ではないだろうか。
とらや(当時は漢字の「虎屋」である) の饅頭は、江戸時代に既に隆盛を極めていて、
それにあやかって全国に「虎屋」が出来ていたらしい。
それも蒸かして売る饅頭だったというから、この饅頭はその血を引くものであろう。
ふくやまそば【福山蕎麦】・・・とちりそば
『蕎麦全書』上に「堺町福山、錦そばを出せり。
器物皆、錦手(上絵付の磁器で、色絵に金彩のあるもの)の焼物を用ゆるなり」とある。
「錦そば」と「重箱けんどん」を名目にしており、芝居町の市村座の東に隣接して繁盛し、
主人は平兵衛。
「とちりそば」といって、役者が舞台でせりふを間違えたり、出番に遅れたり、
そそうをおかしたとき、自腹で楽屋中へそばを振る舞う慣習があり、福山が一手に納めていた。
歌舞伎十八番『助六』のかつぎ(出前持ち)には寛延二年(1749)以降、うどんの名店市川屋が登場した。
文化八年(1811)からは「福山」がとって代わったが、文政(1818~1830)末ごろ店を閉じたらしい。
◆福山そば
国貞画「助六 松本幸四郎」
「福山そば」
http://jiten.kurumaya-soba.com/fukuyamasoba.htm
《参考・参照・引用》
◆『使ってみねぇ本場の江戸語』野火 迅 文藝春秋 580円