へんくつゃ半睡の「とほほ」な生活!

 奇人・変人・居眠り迷人。医療関連を引退⇒某所で隠遁準備中。
性質が頑な、素直ではなく、偏屈でひねくれています。

【読】長崎屋とは!?@時代小説

2008年09月30日 | 時代小説

長崎屋とは!?


長崎屋 源右衛門(ながさきや げんえもん)とは
江戸時代、江戸日本橋に存在した薬種問屋「長崎屋」の店主が代々襲名した名前である。
この商家は、日本橋本石町三丁目(東京都中央区日本橋室町四丁目2番地に相当)の

角地に店を構えていた。

 

薬種商としての長崎屋
江戸幕府御用達の薬種問屋であった。幕府はこの商家を唐人参座に指定し、江戸での

唐人参(長崎経由で日本に入ってくる薬用人参)販売を独占させた。

 

旅宿としての長崎屋
この商家は、オランダ商館長(カピタン)が定期的に江戸へ参府する際の定宿となっていた。
カピタンは館医や通詞などと共にこの商家へ滞在し、多くの人々が彼らとの面会を求めて

来訪した。

 

この商家は「江戸の出島」と呼ばれ、鎖国政策下の日本において、西洋文明との数少ない

交流の場の一つとなっていた。

カピタン一行の滞在中にこの商家を訪れた人物には、平賀源内、前野良沢、杉田玄白、

中川淳庵、最上徳内、高橋景保など昔のお医者さんがいる。

学者や文化人が知識と交流を求めて訪れるだけにとどまらず、多くの庶民が野次馬となって

オランダ人を一目見ようとこの商家に群がることもあり、

その様子を脚色して描いた葛飾北斎の絵が残されている。

(下記参照江戸日本橋にあった外国人専用宿泊施設)

 

幕府は滞在中のオランダ商館員たちに対し、外部の人間との面会を原則として禁じていたが、

これはあくまでも建前であり、時期によっては大勢の訪問客と会うことができた。


商館員たちはあまりの来訪者の多さに悩まされもしたが、行動が大きく制限されていた

彼らにとって、この商家は外部の人間と接触できる貴重な場の一つであった。

商館の一員としてこの商家に滞在し、積極的に日本の知識を吸収していった人物には、

エンゲルベルト・ケンペル、カール・ツンベルク、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト

などの医師・研究者らがいた。

 

カピタンの江戸参府は年1回行われるのが通例であったが、寛政2年(1790年)以降は

4~5年に1回となり、参府の無い年にはカピタンの代わりに通詞が出府した。
この商家はカピタン参府と通詞出府の際の定宿として使われていたが、それ以外には

全く宿泊客を受け入れていなかった。

旅宿として使われた建物には、一部に西洋風の内装、調度品が採り入れられていた。


昭和21年(1946年)に運輸省が発行した『日本ホテル略史』は、

この商家についての記述から始まっている。

長崎屋跡長崎出身の江原源右衛門が、徳川家康の時代に江戸へ移り、初代長崎屋源右衛門となった。
初代の頃から幕府御用達の薬種問屋であったが、

享保20年(1735年)には幕府がこの商家に唐人参座を置き、幕末まで江戸での唐人参専売を行った。

カピタン一行の定宿となったのは17世紀前半、初代が逝去した後のことである。
以後、嘉永3年(1850年)まで定宿として使われていた。

(安政5年、1858年に駐日オランダ領事官が江戸へ来た際には、この商家を宿としていない。)

 

江戸時代、日本橋一帯は幾度も大火に見舞われた。この商家もたびたび焼失し、

カピタン一行が被災することも一度ならずあったが、焼失の都度オランダ商館からの援助を

受け再建している。

万延2年(1861年)、第11代長崎屋源右衛門は本石町から転出した。

平成20年(2008年)現在、この商家の跡地にはビルが建っており遺構は無いが、中央区から

区民史跡として登録されており、新日本橋駅4番出口の脇に文化財としての説明が書かれた

プレートが掲げられている。

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%B1%8B%E6%BA%90%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80

 

江戸日本橋にあった外国人専用宿泊施設
http://www.01.246.ne.jp/~reki127/index.rekitan-14.html

 

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居眠り半睡!?@時代小説

2008年09月28日 | 時代小説

 居眠り半睡(medic21)時代小説大好きです。

 

【物書同心・居眠り紋蔵】(佐藤雅美)、

居眠り磐音・江戸双紙】(佐伯泰英)から「居眠り」を、

【十時半睡(ととき はんすい)事件帖】(白石一郎)から「半睡」を借名しています。

 

 物書同心とは、昔の町奉行所に例繰方という記録係をしていた裏方さんです。

 居眠り 二段 と 半睡で 三段重ねの重箱弁当(美味しぃ~中味!?) 


小説中に昔のお医者さんが登場する頁は熟読し、再読しています。

順不同に並べると、

女流

平岩弓枝、杉本彰子、畑中恵、澤田ふじ子、小笠原京、宮部みゆき などなど。


男性

佐伯泰英、逢坂剛、島田一男、高橋克彦、半村良池波正太郎、都筑道夫、
出久根達郎、
山本一力、東郷隆、白石一郎、佐藤雅美、北方謙三 などなど。


医者が脇役として登場する

「御宿かわせみ 麻生 宗太郎 先生(平岩弓枝)」、

「居眠り磐音 中川 順庵 先生(佐伯泰英)」は傑作でもあり、お気に入りです。

 

漫画・コミックも「あんこ坂のお医者さま(一力)」から始め、

BJ 手塚 治虫 先生」も、近々登場予定です。

 少しずつ書いて参りますので、時々覗(のぞ)きにいらしゃってください。


 
※仕事が、カナ文字ばかりなので、本頁はなるべくカタカナ文字は控えています。

 

※ medic21(めでぃっく21)とは、医療従事者(後方支援・記録員)の意味です。

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【読】これなん答え@あんこ坂のお医者さま

2008年09月27日 | 昔のお医者

 【読】これなん答え@あんこ坂のお医者さま 最中町 でした。

 

あんこ坂のお医者さま 一丸 小学館ビッグコミックス

---------------------------------
「あたしの名前は、森山ちろる! 26歳!」
  「最中町3丁目、森山医院の医者よ!」


「エ~!!」 

 

:森山ちろる(新米医師)、:権平政代(ごんだいらまさよ・看護師)、

【引用・出典】あんこ坂のお医者さま 一丸 小学館ビッグコミックス から

 

初版が2003年!、医療制度の違いがあり、無理矢理医者さんに区分しました。

 

最中(もなか)】
 もち米の粉に水を入れてこねたものを蒸し、薄く延ばして円形に切りそろえたら焼き、
仕上げに砂糖をかけた干菓子といわれている。これを使って餡(あん)を挟んだ菓子が、

皮種」と称されて、江戸時代に考案された。その後、餡を挟む方法にいろいろ改良が

加えられ、明治以降に今も使われている皮が完成された。
だったことから特別に最中と称されているとか!?。
やがてこの形が全国的に広められていき、現在は色々な種類の銘菓として出ています。
  

 

最中 ( 江戸の最中屋 )
http://www.wagashi.or.jp/tokyo/name/monaka.html
全国和菓子協会

http://www.wagashi.or.jp/ 

 

時代小説には、団子、もなか、まんじゅう、せんべいなど美味しいものが

数多く描かれています。

 

 「最中」の由来
池の面に 照る月なみを 数うれば 今宵ぞ秋の もなかなりける

 拾遺和歌集[巻3・秋171]
  源順の句を知っていた公家たちが、宮中で行われた月見の宴において、

白くて丸い餅菓子が出されたのを見て、会話の中で「もなかの月」という

言葉が出たことから、そのまま菓子の名前として定着したという由来がある。
  江戸時代に考案された最中の原型も、この話に基づいて生み出したといわれ、

菓子の名前も話そのままに「最中の月」と命名されたが、後に円形でないものが

出回り始めた後は、単に「最中」と称されるようになったとも言われる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E4%B8%AD

 

※いつも見るだけのみなさま(あなた) 一言でも記述していただければ幸甚です。 

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【読】これなん@あんこ坂のお医者さま

2008年09月25日 | 昔のお医者

 

健康笑顔守りたいから・・・!?


・・・町』、あんこ坂に昔からある森山医院。
老医師と看護師ひとりの個人病院にやって来たのは、新米女医の森山ちろる。
町医者としての使命感希望を胸いっぱいに参上してみたものの、
世の中、そんなに甘くはなくて・・・!?
ちろるを待っている開業医人生は!?

 

政「初めに、申し上げておきますけれど」
  「あたくしは、院長のお考えには反対です。」
  「この森山医院は、明治時代より続く由緒ある病院で、地域の方々からも愛され敬われてきました。」
  「昨日今日、医師免許を取得した、経験の乏しい新米医者に背負っていけるとは、到底思いません。」
  「しかも・・・!」
  「よりにもよって、あの女(ひと)の娘に頼るだなんて・・・!」

  (@_@) 
ち「えーと。」
ト「どこへ、行きたいんだ?」
ち「へーっ、よくわかりますね!」
ト「わからいでか。」
  「迷ってるんだろ?」
ち「あ、あの、ここのね、『・・・町』に行きたいんですョー!」
  「この辺は初めてだから、よくわからなくて。」

 

※ち:森山ちろる(新米医師)、政:権平政代(ごんだいらまさよ・看護師)、ト:有栖川トメ子(白バイ隊員)
 
問題は、『・・・町』です。答えは三択の大奉仕!!。
①最中町
②あんこ町
③団子町
 

 

【引用・出典】あんこ坂のお医者さま 一丸 小学館ビッグコミックス から出題

  

次の投稿(答え)は、9月27日の予定です。

 

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【読】これなん答え@時代小説 其之三

2008年09月24日 | 時代小説

【読】これなん答え早刷り岩次郎    答えは耳鼻(じび)」

 

 早刷りは、一刻でも早く出来事を報せるのが命。
今朝起きたことを日暮れ前に刷ることができれば、ひとは早刷を買ってくれる。
だれよりも早く、そして子細に正しく伝えること。これが岩次郎の考えだった。


 江戸の町を行き来して、おもしろい出来事を拾って歩く物書き
岩次郎はその者を『耳鼻達(じびたち)』と名付けた。
 だれも知らない、岩次郎の造り言葉である。

 

 「これから始める早刷りは、その名の通り、江戸のどの読売瓦版よりも
早く出来事を報せる。もしも今日どこかで、なにかが起きたら、なんどきだろうが
その場に弘太郎配下の者『耳鼻』達が駆けつける」(本文より)

 

痛快長編時代小説
早刷り岩次郎 山本一力
 
朝日新聞出版

 

手・足・目を使い、「耳・鼻」で記事にする。
これなん答えは耳鼻(じび)」でした。

 

次の投稿は、9月26日の予定です。

 

※いつも見るだけのみなさま(あなた) 一言でも記述していただければ幸甚です。

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