『 隅田川 』
「きのふ 長崎屋のこはんが所から 隅田川をもらった。
おちせ 燗をさせや。
しかし さかなが何も、あんめいす」
◆山東京伝 『 総籬 』 八十一頁
-昨日、長崎屋のこはんに浅草の銘酒・隅田川をもらったよ。
おちせ、燗をさせておくれ。
しかし、肴が何もないねえ。
江戸時代、上方の銘酒ばかりがもてはやされたわけではなく、
もちろん江戸産の銘酒もあった。
浅草雷門前並木町の山田半三郎が醸造した「隅田川諸白」は、
純然たる江戸産の銘酒である。
隅田川の水で造られたことから、その名がついた。
歌川広重『 隅田川 水神の森 真崎 』
現在「隅田川」と呼ばれている川は、元々は入間川の下流部であり、
下総国と武蔵国の国境であった。
寛永六年(1629)の荒川瀬替えにより荒川の本流となったが、
洪水を防ぐ為に明治末期から昭和初期にかけて岩淵水門から河口までの
荒川放水路が建設され、こちらが現在「荒川」と呼ばれている。
分岐点である岩淵水門より下流は俗称であった「隅田川」に改称された。
古くは承和二年(835)の太政官符に「住田河」として記されており、
「宮戸川」などとも呼称されていた。
江戸時代に入ると、吾妻橋周辺より下流は大川(おおかわ)とも呼ばれていた。
今でも古典落語などでは「大川」が出てくる。
また、大川右岸、特に吾妻橋周辺から新大橋周辺までを大川端と称する。