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真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

ジャングル大帝 5

2006年08月20日 12時04分13秒 | 虫プロジャングル大帝
山本暎一さんは森柾さんや撮影の広川和行さんらと話し合っっていた。
どのようにしたら役員会で言う「制作費の範囲で「ジャングル大帝」を作る」ことが出来るのかということであった。
 制作費の無駄を省くことが一番である。それは“スケジュールを守ること”これが基本姿勢となる。
アトムではシナリオや絵コンテがスケジュールどおり上がらなかった。このことは大勢の作画から撮影編集まで、待ち時間を作ってしまい、遅れの結果徹夜で仕上る このことが費用のかかってしまう理由だった。 なぜスタッフが手空き時間の待ち時間ができてしまうのか?それは、手塚先生の仕事が忙しすぎるためで、漫画原稿の締め切りが優先され、シナリオや絵コンテチェックが、どうしても後回しされるのが原因であることは明白であった。
現場では「先生待ち」状態にされることで、スタッフから不満が出ている。しかし、漫画を描いて、その原稿料で、虫プロの経営が成り立っている現状や、何日も寝ないでがんばっている手塚先生を見ると「苦情」など,とても言えない状態であったのだ。
 
 他のアニメ製作会社は、営利事業として漫画映画作りをしている。売値が安ければそれなりの作品を作る、採算を重視するのである。極端に言えば、出来ばえが悪かろうと、納得できなくても気にしない体質に見える。

 虫プロのスタッフは違っていた、置かれた状態でも、最高のものを作るべきだと思っていた。身を削り寝食を忘れ仕事の没頭し納得できるまで追及していくのであった。

       それが、虫プロの誇りであった。

 それは手塚先生自身が率先して行った結果であった。
作品が完成してからでも、納得出来なければ、納期を遅らせても、徹底的にリテーク(作り直し)を出した。

このことは、余計な出費がかかったが、そのためなら、手塚先生は命を削って書いた漫画の原稿料を惜しげもなく使った。それだからこそ、虫プロのスタッフは、自分の時間を犠牲にし、給料も時間外手当も無視して働くことに誇りを持っていた。

話し合いは続いた。
「手塚先生が漫画部でマンガを描くのは、虫プロ映画部と比べると漫画部の規模は小さい、締め切りを過ぎてまで粘っても手塚先生とアシスタント何人かがつらい思いをすればすむ。人件費のロスの金額もたいしたことがない。
しかし、アニメはたくさんの人が関わっている。ロスの金額も大変な金額になる、同列には扱えない。」

「作品に徹底して自分を賭ける、その姿勢は、作家として常に必要な心がけでしょう、必要条件、十分条件、と分ければ、ものごと必要条件だけではない。アニメーターにとって十分条件は健全な事業性を、両立させること」

「手塚先生のいう 〝虫プロは営利事業ではなく、アニメーターの作家集団であり、会社の形をとって制作活動を、効率的にするため〟 なぁんて言ってみても、赤字が増え、事業体が危うくなれば、作品は作れない、そうなれば、作家もへったくれも無い、事業基盤がしっかりしてこそ作品が作れ、それでこそ、作家であり作家性じゃないんですかねぇ」

「虫プロを事業体としてしっかりさせ、その上で、どこよりも良い物を作る、そうできてはじめて、テレビアニメの開拓者であり、アニメ界の旗手だといえるんだ。」

「虫プロへ入ってくるのは、みんな好きだからですけど、その好きをいいことに、全人格的な、没入と犠牲を強いることで成り立っている。アニメ界の古い体質で作家プロダクションなのです。そんなものは資本の論理の競争の中では弱いです、「鉄腕アトム」を始めた時はしょうがなかったけれど、その後もきつい仕事の連続でみんな疲れ果てている」

「「ジャングル大帝」では、作品内容はもちろん、制作体制の改革を期待する。」

こんな話の内容であったと聞いている。

最後に山本さんは
「そういう意味で、おれたちアニメーターの作家像が、変わらなければいけないところへ来ている」と考えたのであった。

この改革は、手塚先生だけではなく、虫プロ中から批判されるであろうが、それでもやる、と決意した山本暎一さんであった。

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