真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

ジャングル大帝 6

2006年08月23日 12時16分50秒 | 虫プロジャングル大帝
 昭和40年 年明け早々の1月4日虫プロではプロデューサー会議が,役員を交え開かれた。

二百三十人を超えた虫プロのスタッフを必要最小限の「鉄腕アトム」班とあらたな「ジャングル大帝」班にスタッフを編成変えするためで 山本暎一さんは115人の「ジャングル大帝」班の人員を優先的に要求した。
これは山本暎一さんにとって外注を使わず社内だけで作っていく上での、予算的にぎりぎりの人員の数であった。
ジャングル大帝班は、新装の第二スタジオを使用することになり、1階を制作進行、文芸演出、編集、音響、資料室、下駄箱、更衣室、に、
2階を、原動画、仕上、美術背景、特殊効果などを置いた。1階は森 柾さんが 2階の中央には、にらみをきかせるようにと、山本 暎一さんの机が置かれた。

山本暎一さんはジャングル大帝の制作体制を説明するために、全スタッフを一スタ3階に集め会議を開くことにした。

誇り高き作家気質の連中に「ジャングル大帝」班の制作方針を伝え 彼らが最も軽蔑する、スケジュールと制作費をまもって、仕事をすることを、納得させる、この説得に失敗したら、誰もついてこないと心配した。

 いいものを 早く 安く 楽しく をスローガンに掲げ、革新的に作っていこうと説明した。

森 柾さんが作った、ガリ版刷りの組織表と作業手続きの要領を配り,説明をした。

そのあと「質問はありませんか」と問うたが、 一同無言であった。
「じゃぁ解散します」
と一言、会議は終わった。


参加した一人は言う。
「難しい言葉ばかりでよく理解できなかった。が、まさか将来 手塚先生を無視して、ジャングル大帝を作るのだとは、思いもよらなかった」と…….。

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