真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

9月5日 日 蕨高校文化祭に行く

2010年09月05日 22時30分54秒 | Weblog
9,210位 / 1,461,805
昨日の歩数:113歩
起床時間 :8時15分
血圧   :131    60
脈拍   :69
体温   :35.4℃
体重   :67.3kg

昨日は歩行計を持たなかった。


蕨高校の文化祭に45年ぶりに行った。
  1964年といえば昭和で39年、10月には東京オリンピックという大イベントのバブル絶頂期の年に高校を卒業していたのだ。
 それから、学生気分が抜けないまま、虫プロでの生活。
 毎年運動会の時期になると決まって文化祭を思い出す。
そしてすでに終わってしまって、来年こそは行こうと思い続け、とうとう四十数年が過ぎてしまった。

 やっとその願いがかない、昨日様子を見に行き、今日文化祭を見てきた。
 母校蕨高校は埼玉県の蕨市にある。
わたしの住んでいた浦和市根岸からは、近い高校であり、新しい校舎に憧れて入った。
 わたしは、高校生活では勉強よりお祭り、つまり、文化祭に力を入れていた。そんなお祭り男であった。

 同窓会の人たちの紫霧というコーナーがあり、そこで休憩出来たが暖かく迎えてくれ、いろいろな話もでき、とても居心地の良いものとなり、生きていればまた行きたいなと思った。

 音楽部があり、混声。
わたしの頃は女子しかおらず、男性を集めて混声にしたのが私であった。 そのミニコンサートを1時から見た。
当時流行歌など学校で歌えば、退学にもなりかねない時代。直立して課題曲を歌うと言うのが定番。文化祭でギターを抱え「ジェニジェニ」や「恋のゆりかご」など歌ったが、校長先生が見えたというので直ぐに曲をベートーベンの「イッヒリーベディッヒ」に変えたのも思い出。

 それが今では自由に歌え振りも付け楽しんで歌える。顧問の先生も一緒に参加している。私の頃やりたかったことが出来ているのだ。
 帰りがけ、図書室など気になり見学するつもりで寄ってみたら視聴覚室でエレキーバンドがギンギンに演奏している。
 尋ねてみたら学校で練習できるのだそうで時代は替わるものである。
昔なら即退学、エレキーバンドなど不良がやるものとレッテルを貼られていた時代。卒業後2年して虫プロのエレキーバンドに入れたので、今の時代が羨ましかった。

 漫研もあった。前職を活かして後輩の力に慣れればなと思ったが目指すものが違い楽しんでいるようなのには正直ほっとした。
この炎天下50㏄バイクで行くのは辛かったが、それでも十分お釣りが来るほど楽しめた。
コメント
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