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兵士の故郷(抜粋)

2008年09月09日 20時28分06秒 | 未来と闘え

 ベローの森、スワソン、シャンパーニュ地方、サン・ミーエル、アルゴーヌの山林地帯(訳注 いずれもフランス北東部の第一次世界大戦の戦場)などで戦ってきたクレブズは、最初、戦争の話をいっさいしたがらなかった。あとになって、話す必要を感じたが、だれも聞きたかがらなかった。町の人たちは、残虐な話をいやというほど聞かされていたので、実際の経験を話しても、すこしも心を動かさなくなっていた。耳を傾けて聞いてもらうためにはうそをつかなければならないことを知った。二度ばかりそんなつくり話をしてからは、クレブズ自身、戦争や戦争の話に反撥はんぱつを感じた。つくり話をやったために、戦争ちゅう彼の身に起ったすべてのことに嫌悪けんおを感じるようになった。それを思いだすたびに、心が清らかに、すがすがしくなる、いくつかの時期――たった一つのこと、やろうと思えば何か別のことができたかもしれないのに、男としてなすべきたった一つのことを、単純に、自然にやりとげた遠く過ぎ去った時期のすべてが、いまはそのすがすがしい貴重な性質をうしない、やがてひとりでに消えてしまったのだ。
 彼の嘘は、まったくとるにたらぬ嘘だった。ほかの兵隊の見たこと、したこと、聞いたことを自分の経験のように話したり、兵隊ならだれでも知っている出所不明のできごとを事実として話した程度だった。そんなつくり話も、玉突き場では全然興味をもたれなかった。
 偶然、実際に兵隊だっただれかと出会って、ダンス・パーティの化粧室などでニ、三分話をしているうちに、彼は若い兵隊のあいだにまじった古参兵の、あのいばりくさったポーズをとるようになった。戦時中は、いつもぞっとするほど嫌悪していたあのポーズだ。こんなふうにして彼は何もかもうしなってしまったのだ。


ヘミングウェイ 「兵士の故郷」『ヘミングウェイ短編集(一)』 大久保康雄訳、新潮社《新潮文庫》、1991年四十九刷、44-46頁(一部割愛)


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