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計算ドリル、教科書傍用問題集をバカにするな

2018年06月23日 18時58分09秒 | 勉強一般
計算力が大事だという話をしました。

考えてみれば当たり前の話で、学問をする側の立場を想定してみても、別にとてつもない天才的な発想ばかりを積み上げることが仕事ではないはずで、そんなことよりもむしろ1つ1つの論理を正確に積み上げていきながら新しい知見を開拓していくことが本来の営みのはずです。天才が天才的発想によって大仕事をすることはあるでしょうけど、本来それは想定外の出来事のはずですし、そんなことができる人間を人の手によって育てることもできないのですから、プロの数学の世界といえども、凄い発想より緻密な論証の方が通常は重要な営みになってくるはずです。

なので、若い人達に求められている能力も、いかに正確な論証、計算をきちんとやってくれるか、ということの方がメインのはずです。天才は時々現れてくれればラッキーという程度で、別にそんなものは誰も求めちゃいない。

しかしこの計算力ってやつも、じつは一朝一夕に身に付くものじゃない。そういう意味で、全然バカにするようなシロモノではないんです。いや、バカにするどころか、18歳くらいの人間を選別する上ではもっとも重要な指標の1つとなるはずです。受験直前の付け焼刃のクソ暗記勉強では身に付かない能力なんだから、長年コツコツと真摯な勉強を積み重ねてきた人間かどうかを見極めるのに最適な指標なのはうなずけると思います。

計算が速い、正確である、計算上の工夫に長けている、これって結構凄い能力なんですよ。簡単な問題を解く時間が短くなるし、計算ミスもないし、だから、難しい問題をじっくり考える時間も増える。いろんな解法を試す時間が増える。今の形式の受験で闘う上では一番大事だといっても過言じゃない能力じゃないですか。もちろん受験だけじゃなくて、数学的なものを仕事で使うようになったときにも、仕事のパフォーマンスを決定づける大きな要因になります。プログラマーがプログラムを書くのにどれくらい時間がかかるかも、アルゴリズムを検証する計算力なんかに大きく依存するはずです。

もちろん暗算10段とか、そういう電卓と競うようなレベルまで追求する必要はないでしょうけど(もちろんそれができれば超素晴らしいが)、計算力を磨く事によって得をすることってとても多いんです。理系科目ならその勝敗の大部分は計算力で決まるんです(文系科目なら国語力・読解力ね。読み書きそろばんって言うでしょ)。

分かる、分からない、もブレークダウンしてみると結局、頭の中で計算的なものができている、できていない、という話でしかないんです。高校程度の数学なら、発想が分からないなんて高尚な話などほとんどないはずで、要するに式変形が分からんってことがほとんどのハズなんだから、これは計算の話。物理だって化学だって、式の意味や立て方がぴんと来ないとか、反応式が操れないとか、こんなのも要は calculation が出来てるかどうかということ。計算力の有無、これがアナタの人生の可能性を大きく左右するといっても過言ではないのです。

しかし、繰り返しになりますが、この計算力ってやつは実際に自分でどれだけ手を動かして頭を使って格闘してきたか、幼少の頃からのその蓄積によってのみ養成される能力です。人から教えられる事をただ理解すればいいということではなく、自分の体に覚えこませることでのみ磨かれる能力。だから、小学生の子供には計算ドリルをとにかく真面目にやらせることが大事です。私もそうでしたが、計算ドリルをこなすのが人より速くなってくると自信がついて、勉強がどんどん楽しくなってきます。逆に、こういう計算事が遅くてそれがコンプレックスになってくると、勉強というものが億劫になってきて、次第に勉強しなくなっていきます。子供の頃の計算ドリルへの取り組み一つが、勉強に対する正負のスパイラルの原因になるのです。恐ろしいですね。

しかし、小学生の頃に出来た子も、中学・高校となってくると、どんどん出来ない方の仲間入りをするようになります。この年齢になってくると、小学校の頃の計算ドリルに相当する教材がなくなってくるからです。

殊勝な子は、学校で配られる教科書傍用の問題集とかそういうのをきちんとこなしたりしますが、普通はなかなかそこまでやらないですよね。でも実は、そういう営みをきちんとやったかどうかの差が、じわじわと基礎力の差になってくるのです。そして、大学受験を意識しはじめる頃には、もう絶望的な差になってしまっています。数学だけではなくて、今では物理とか化学なんかも教科書傍用のいい問題集なんかが配られると思いますが、ああいうのを高校1年、2年の段階でしっかりやっておけば、受験期には大きなアドバンテージになるはずです。

どんなに高度な内容も、基礎的な事項の上に成り立つものです。その基礎的な事項をいかに正確に素早く操れるか、は学力の伸びという物に対して、多くの人がなんとなく考えているよりもずっとずっと大きく影響しているのです。そして、一流大学といわれる所が子供の学力として見たいのも、実はそういう所なんだと思われます。問題みれば分かります。1年や2年では身に付かない能力をしっかり身につけている子、それ以上に何を求める必要がありますか?って話ですよ。問題を作る上でも、高校の指導要領の範囲内で差が付く問題にするには計算量を多くするのは有効な方法ですし、とりたい学生を選別するにも計算力を見るというのは大事な側面になってくるんです。

計算できるものは理解できるんです。計算を面倒くさがって計算できなくなってくると、理解が及ばなくなってくるんです。圧倒的多数の凡人が、確率論とか統計学とか信号処理とか微分積分とか、いわゆる”理論”ってやつを理解できないのはどうしてでしょうか?どこかの時点で、一生懸命計算式を追うという作業を放棄してしまったからです。つまり、”分からない”の出発点は”計算できない”なのです。
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