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反復=常識化作業

2018年05月03日 17時12分50秒 | 勉強一般
お久しぶりです。三ヶ月も間を空けてしまいましたが、別に病気をしていたとかそんなんじゃありません。で、復帰いきなり数学の話をするのは重いので今日は軽い話を。

少年老い易く云々という言葉と関係あるかどうか分かりませんが、歳を取れば取るほど知識欲が旺盛になってくる、というか、自分が物を知らないまま年老いて死んで行くことに恐怖を感じるようになってくるようで、最近は猛烈な知識欲のおもむくままに、いつもやってる英語や数学や計算機関係以外の色々な事を幅広く勉強しています。その中でも特にはまっているのが”歴史”の学習です。

高校時代は日本史を選択していましたが、世界の歴史も合わせて知っておきたい(TIMEなんかを読んでいても歴史の知識がないと内容が分からなかったりする)と思い、高校レベルの日本史や世界史をネット授業を見たり新書を読んだりしながら勉強するようになりました。

学生時代のように受験のプレッシャーがないので細かい用語に捕らわれる必要がなく、”流れ”を意識した大らかな気持ちで勉強でき、基本的にはとても面白いです。

しかし、もし今自分が大学受験を控えた高校生だとしたら、、、苦しいだろうなと思います。高校生の頃は理系ということもあって数学や化学の実力をいかに向上させるかばかり悩んでいたので(他は磐石だった)、日本史の勉強なんてのはお茶の子さいさいで苦しいなどと思った記憶は全く無いのですけど、今もし、1年後のセンター試験を目標に日本史や世界史を勉強しなければいけない立場になったとしたら、正直、覚えきる自信がないです。

よくもまあ、こんな膨大な用語や年号を頭に入れていたもんだと、昔の自分に感心しますね。当時はセンター試験なんてバカにしてましたけど、今になって感じるのは、センター試験レベルでもまともに対応できる日本史力や世界史力をつけるって、どんだけ大変やねん!と思います。記憶力云々というより、途中で嫌になると思うんですね。何とか文化の仏像の名前とか、そんなもん覚えて何の意味があるんだ!と、大人はそういう風に思うんです(なので、高校生でももしかしたらそう思う人の方が精神的には成熟しているのかも知れません。受験には勝てないでしょうけど)。

しかし、今回この歴史勉強をしていて1つ気づいたことがあります。もしこの記事を読んでくださっている方が、歴史に限らず何らかの分野でこの”暗記地獄”に悩んでいるのだとしたら、1つだけアドバイスできると思います。それは、

同じ箇所を繰り返し勉強していると骨格は自然と覚えてしまえる

ということなんです。はい、ものすごーく当たり前のことです。そんな事いわれんでも分かっとるわい!と皆さん思うでしょう。でも、皆さんの脳みそが持っているこの素晴らしい能力を、本当に有効に活用できていますか?

重要なのは、ただ”繰り返す”ということではありません。

細かい知識はさておき、本質の幹だけを繰り返す

ここが重要です。細かい知識と本質がごっちゃになった大量の情報のままでは、いくら繰り返してもなかなか覚えられるものではありません。というか、そもそも情報量が多いままでは繰り返すのも大変です。しかし、枝葉末節を取り払って本当に重要な部分だけの形にしてやると、人間の脳は実に賢く、ちょっと繰り返しさえすればすぐに吸収してくれます。

今回日本史を勉強してみた限りでは、その繰り返し回数の目安は5回くらいだと思います。細かい情報を取っ払った流れだけを解説してある参考書の内容(幹)を軸に復習する。あくまで軸はそれで、しかし周辺の情報が完全にゼロだとそれはそれで覚えにくいので、そういう細かい情報はネット動画などで確認しながら、要するに幹単体では分かりにくい所を補う形で細かい情報に触れながら、でも記憶の中心はとりあえず重要な幹だけにする。私的にはこれが日本史の一番ラクな、そして一番最初にやるべき勉強のプロセスだと思います。ちなみに、日本史に関する限り、教科書はこの作業には向かないと思います。情報量が多すぎるし流れがよく分からないので。歴史の流れがすっきりと分かりやすく書かれてるな、と思える参考書を使うのがいいと思います。

仏像の名前とか年号とか、そういう細かいことは受験生ならいずれは覚えないといけませんが、幹がしっかり記憶された所にそういう情報を付け加えるのは、最初から全部覚えようとするより遥かにラクな作業になると思います。どんなに優秀な人間でも、全部いっぺんに覚えられるわけがないし、そもそもそういうやり方は効率が悪いのです。本質的で流れがある情報ほど脳にとっては覚えやすい。しかし、それでもある程度は繰り返さないと覚えられない。それが、人によっては5回だったり7回だったりするわけですが、ようするに自分にとって”常識”となるまで繰り返せばいいのです。普通に”ああそうだったな”と思い返す作業を繰り返していれば、必ず自分にとって当たり前の知識になります。その際、細かい情報が一緒になっていると脳はとたんに拒否反応するので、まずは本質だけに絞り込むのがコツでしょう。

そしてこれは別に歴史に限った話ではなくて、受験生に向けていうなら、なんの教科でも同じことが成り立つと思います。例えば私がもし高校の新入生に戻ったとして、数学の勉強をやり直すとしたら次のようなサイクルでやると思います。

(高1)教科書を全て理解し(数学に関しては教科書は非常に使えます)、公式は全て自分で導けるようになるまで論理を繰り返し追い、自分の手で計算を再現しながら、そして覚える(いつのまにか覚えてしまったというのが理想)。また平行して、基本的な問題集を、全部の問題が超簡単だと思うようになるまで繰り返して解く(計算力の練磨が目的)。これらを数Ⅲまで一通り終わらせる(学校の進度なんか無視。これでも遅いくらいなんだから)。この段階で大学入試問題の雰囲気を掴むために、センターや簡単な大学の問題も解いてみる(直ぐに答えをみてよい。覚えてしまえば勝ち)。

(高2)定番と言われる解法網羅の参考書、そしてできれば典型問題を集めた問題集を数Ⅰから数Ⅲまで全て潰す(余裕のある人は高1からこの勉強に取り掛かってもよい)。全部の問題が超簡単と思えるようになるまでやる(つまり、普通の受験生が高3の冬頃に到達する領域に、この時点で到達しておく!)

(高3)難関大の問題を解いて(最初のうちは解法暗記のノリでひたすら正解を覚えればよい。後半は自分で解く)、経験値を爆上げする。

要は高1のうちに、受験に使う科目の基本的な幹は全て習得しておくということですね。高3になって”基本からやり直す”のは精神的にも非常に辛いですからね。基本的な項目は全てマスターしてある。高1でこれが言えれば受験なんて楽勝でしょう。幹だけ取り出してしまえば、それはそんなに難しい、そして苦しいことではありません。

全部まとめて、一回でやろうとするから、苦しいし身に付かないのです。”困難は分割しろ”という言葉がありますが、受験や資格試験に関しては、

最初は幹を繰り返して、あとで細かい情報を付け加えていけ

ということになるかと。
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