本の話をしたので、ついでに、特に受験を控えた勉強をしている若い学生さん向けに、本で勉強する際の注意点みたいなことを話しておきたいと思います。まあ、今まで分断的に言ってきている内容の繰り返しではありますが。
(1)基本的に、本で勉強するのはあまり良くないこと
学校や塾の普段の授業をいい加減にしている人に限って、あとで参考書で大勉強して逆転しようというようなことを考えたりするものですが、基本、それは無理です。というか、授業を大切にした方がはるかに勉強がラクだし、理解も深まる。まともな教え方をしてくれる優秀な先生に勝る本などありません。授業を真剣に聞いてその場で一発理解する、分からない所があれば質問して、遅くともその日のうちに解決しておく。これ以上の方法はありません。
本というものはその性質上、すべてを丁寧に記載することなどできるはずもなく、したがって、独りで完全に理解するのは無理なのです。どうしても行間を読む必要が出てきますからね。”詳しい本”というのは情報量が多い本ということであって、そういう本は大抵は独りで潰せる代物ではありません。また、いくら詳しくても、普通の人が疑問に思うような事が意外ときちんと説明してくれていなかったりすることが多いです。導いてくれる先生を確保しましょう。
我々のような社会人が本で独学してもいいのは(というか、そうするしかないのですが)、受験のように後から知識を”試験”されることがないからです。つまり、隅々まで完全に理解する必要はない、という前提があるから、少々乱暴な勉強でもいいのです。隅々まで完璧にしないといけない受験生とはここが違います。
(2)教科書で理解は進まない
国語(現代文、古典)の教科書は、その文を”どう読むか”についての方法論は書かれていません。英語もそうです。理科や社会の教科書が分かりにくいのはご存知の通り。数学は、その内容に閉じた範囲では非常に分かり易く書かれていますが、あれをマスターしたからと言って受験の問題が解けるようにはなりません。何が言いたいかというと、分かり易さという点では教科書はほぼ失格であるということです。あれは最低限の知識を、文科省から怒られないようにできるだけニュートラルな(偏向が無く当たり障りがないってことね)形で記載したものであって、理解させることを主眼に書かれたものではないと思います。
なので、受験は全て教科書の内容から出題される、教科書を完璧にすれば怖いものは無い、という物言いも、私は誇張だと思います。確かに、教科書レベルの知識でも、それらを本当の意味で完璧に理解し、もれなく記憶してしまえば相当な実力になると思います。しかし、教科書の記述は分かりにくい(数学は別)し、本当の意味で完璧に理解するための十分な情報もないので、教科書だけで本当の理解を獲得するのは不可能です(”教科書を”完璧に覚えることは頑張ればできると思いますが、むなしい営みだと思います。無理して字面を覚えているだけなんだから。分かりにくーい日本史や世界史の教科書の字面を一生懸命覚えて無理やり分かった気になろうとする、あれです。なお、個人的には、政治経済の教科書は良くできていると思います)。
教科書の分かりにくさの例を1つ挙げると、化学に出てくるアンモニアソーダ法(炭酸ナトリウムの製法)の説明でいきなり、”塩化ナトリウムの飽和水溶液にアンモニアを吸収させた後、二酸化炭素を吹き込み”みたいな事が書いてあるわけですよ。化学の初学者は当然「え!」となるわけです。「塩化ナトリウムの飽和水溶液にアンモニアって、、一体何がしたいの?どういう意味があるの?」という疑問が湧いてわけがわからなくなるのは、寧ろ正常な頭を持っていることの証でしょう。その心は教科書には書かれていません。これで”教科書で十分”なんて言われても、私にはその言葉の意味がわかりません。
某巨大掲示板に、「東大英語といえどもすべてアルファベットで書かれている。アルファベット以外からは問題は出ない。だから、アルファベットを完璧に覚えれば東大英語も解ける!」という書き込みがあって笑ってしまったことがありますが、言い得て妙だと思います。教科書で十分という物言いは、ほとんどこれに近いと言っても過言ではないと思います。
非常に分かりにくーい教科書。先生の授業をベースにして、ラクをしながらさっさと理解してしまって、後は何度も復習して必要最低限の知識の漏れを無くす。教科書なんて、それ以上のものではないと思います。もちろん、最終的には、教科書に書いてあることすら頭に残っていないのでは話にならないですよ。要は、最低限の必要知識の(雑な)チェックリストにすぎないということです。教科書ガイド。。。どうなんでしょう?使ったことないので知りません。
(3)1冊の本を完全に潰すには複数の本が必要
(1)、(2)の話とほぼ同じ。言い換えるとこういう事になります。”1冊の本を完璧に”というのは非常に耳障りのいい言葉ですが、そういう姿勢で勉強しようとする人に対して、その要求を単体で満たしてくれるような完成度の高い本など、まずありません。それに近い参考書はあるにしても、ベースにあるのは教科書で、その部分は割愛していることが多いです。
もちろん、あれもこれも手を広げる時間がない人は”メインの”本を絞る必要があるわけですが、そのメインの本が分からないときに補助となってくれる別の本が手元にあるに越したことはありません。まあ、この辺は(親の)経済力との兼ね合いでもあります。でも、どんなに優れた本でもネットに勝てないです。ネットを活用することですね。
ちょっと話がずれますが、桁外れな出来方をする超優秀な人は、受験なんかまだ全く考えなくていい小さい頃から、興味のおもむくままに大量の本を乱読するということをやってしまってるんです。そうやって、膨大な情報源に触れながら、本当の理解を積み重ねた人達なんです。”1冊の本を完璧に”なんてけち臭い受験テクニックで能力に磨きをかけたわけではないのです。スケールが違います。
誤解がないように念を押しておきますが、多くの、時間がない凡人受験生は”あれもこれも手を広げすぎない”勉強は正しいのですよ。というか、現実的にそんな事をしている時間はない。ただ、1冊のメイン本を完璧に仕上げるということと、本は1冊だけ準備すればいい、ということは必ずしも同じではないですよ、ということです。
ちょっと長くなってきたので、ここらへんで切って、続きは次回にしたいと思います。こんな事を書こうかと思っています。
(4)暗記したかどうかよりも、自分の技術がその本を上回ったかどうか
(5)中学・高校の全過程を何周もする
(6)本よりも問題演習
(1)基本的に、本で勉強するのはあまり良くないこと
学校や塾の普段の授業をいい加減にしている人に限って、あとで参考書で大勉強して逆転しようというようなことを考えたりするものですが、基本、それは無理です。というか、授業を大切にした方がはるかに勉強がラクだし、理解も深まる。まともな教え方をしてくれる優秀な先生に勝る本などありません。授業を真剣に聞いてその場で一発理解する、分からない所があれば質問して、遅くともその日のうちに解決しておく。これ以上の方法はありません。
本というものはその性質上、すべてを丁寧に記載することなどできるはずもなく、したがって、独りで完全に理解するのは無理なのです。どうしても行間を読む必要が出てきますからね。”詳しい本”というのは情報量が多い本ということであって、そういう本は大抵は独りで潰せる代物ではありません。また、いくら詳しくても、普通の人が疑問に思うような事が意外ときちんと説明してくれていなかったりすることが多いです。導いてくれる先生を確保しましょう。
我々のような社会人が本で独学してもいいのは(というか、そうするしかないのですが)、受験のように後から知識を”試験”されることがないからです。つまり、隅々まで完全に理解する必要はない、という前提があるから、少々乱暴な勉強でもいいのです。隅々まで完璧にしないといけない受験生とはここが違います。
(2)教科書で理解は進まない
国語(現代文、古典)の教科書は、その文を”どう読むか”についての方法論は書かれていません。英語もそうです。理科や社会の教科書が分かりにくいのはご存知の通り。数学は、その内容に閉じた範囲では非常に分かり易く書かれていますが、あれをマスターしたからと言って受験の問題が解けるようにはなりません。何が言いたいかというと、分かり易さという点では教科書はほぼ失格であるということです。あれは最低限の知識を、文科省から怒られないようにできるだけニュートラルな(偏向が無く当たり障りがないってことね)形で記載したものであって、理解させることを主眼に書かれたものではないと思います。
なので、受験は全て教科書の内容から出題される、教科書を完璧にすれば怖いものは無い、という物言いも、私は誇張だと思います。確かに、教科書レベルの知識でも、それらを本当の意味で完璧に理解し、もれなく記憶してしまえば相当な実力になると思います。しかし、教科書の記述は分かりにくい(数学は別)し、本当の意味で完璧に理解するための十分な情報もないので、教科書だけで本当の理解を獲得するのは不可能です(”教科書を”完璧に覚えることは頑張ればできると思いますが、むなしい営みだと思います。無理して字面を覚えているだけなんだから。分かりにくーい日本史や世界史の教科書の字面を一生懸命覚えて無理やり分かった気になろうとする、あれです。なお、個人的には、政治経済の教科書は良くできていると思います)。
教科書の分かりにくさの例を1つ挙げると、化学に出てくるアンモニアソーダ法(炭酸ナトリウムの製法)の説明でいきなり、”塩化ナトリウムの飽和水溶液にアンモニアを吸収させた後、二酸化炭素を吹き込み”みたいな事が書いてあるわけですよ。化学の初学者は当然「え!」となるわけです。「塩化ナトリウムの飽和水溶液にアンモニアって、、一体何がしたいの?どういう意味があるの?」という疑問が湧いてわけがわからなくなるのは、寧ろ正常な頭を持っていることの証でしょう。その心は教科書には書かれていません。これで”教科書で十分”なんて言われても、私にはその言葉の意味がわかりません。
某巨大掲示板に、「東大英語といえどもすべてアルファベットで書かれている。アルファベット以外からは問題は出ない。だから、アルファベットを完璧に覚えれば東大英語も解ける!」という書き込みがあって笑ってしまったことがありますが、言い得て妙だと思います。教科書で十分という物言いは、ほとんどこれに近いと言っても過言ではないと思います。
非常に分かりにくーい教科書。先生の授業をベースにして、ラクをしながらさっさと理解してしまって、後は何度も復習して必要最低限の知識の漏れを無くす。教科書なんて、それ以上のものではないと思います。もちろん、最終的には、教科書に書いてあることすら頭に残っていないのでは話にならないですよ。要は、最低限の必要知識の(雑な)チェックリストにすぎないということです。教科書ガイド。。。どうなんでしょう?使ったことないので知りません。
(3)1冊の本を完全に潰すには複数の本が必要
(1)、(2)の話とほぼ同じ。言い換えるとこういう事になります。”1冊の本を完璧に”というのは非常に耳障りのいい言葉ですが、そういう姿勢で勉強しようとする人に対して、その要求を単体で満たしてくれるような完成度の高い本など、まずありません。それに近い参考書はあるにしても、ベースにあるのは教科書で、その部分は割愛していることが多いです。
もちろん、あれもこれも手を広げる時間がない人は”メインの”本を絞る必要があるわけですが、そのメインの本が分からないときに補助となってくれる別の本が手元にあるに越したことはありません。まあ、この辺は(親の)経済力との兼ね合いでもあります。でも、どんなに優れた本でもネットに勝てないです。ネットを活用することですね。
ちょっと話がずれますが、桁外れな出来方をする超優秀な人は、受験なんかまだ全く考えなくていい小さい頃から、興味のおもむくままに大量の本を乱読するということをやってしまってるんです。そうやって、膨大な情報源に触れながら、本当の理解を積み重ねた人達なんです。”1冊の本を完璧に”なんてけち臭い受験テクニックで能力に磨きをかけたわけではないのです。スケールが違います。
誤解がないように念を押しておきますが、多くの、時間がない凡人受験生は”あれもこれも手を広げすぎない”勉強は正しいのですよ。というか、現実的にそんな事をしている時間はない。ただ、1冊のメイン本を完璧に仕上げるということと、本は1冊だけ準備すればいい、ということは必ずしも同じではないですよ、ということです。
ちょっと長くなってきたので、ここらへんで切って、続きは次回にしたいと思います。こんな事を書こうかと思っています。
(4)暗記したかどうかよりも、自分の技術がその本を上回ったかどうか
(5)中学・高校の全過程を何周もする
(6)本よりも問題演習